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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第1章 ディザーウッドの少女
7/76

7 襲撃

 食堂のテーブルにフォルワース州の地図を広げ、エリヤ・ハワードは錆色の髪を刈り上げた男と向き合っていた。男は角ばった指で、街道を示す線を差し、なぞるように滑らせる。


「先日、州都の南で荷馬車を襲った強盗団は、東に逃げ去りました。そのまま一度情報が途絶えていたのですが、昨日、北のナージングの町で一味の一人が目撃されました。それを元に足取りを追ったところ、どうやら奴ら、東の州境近くまで行った後、北に折れてシルワ山麓へ続く道を北上したようです。現在ナージングの市中を自警団によって捜索中です」


 男の報告を聞きながら、エリヤは口元に手を当てて思案した。


「アーサー、ナージングの町の出入りは見張っているな」

「もちろん」

「強盗団が町を出たという情報は?」

「今のところありません」

「それなら――」


 エリヤは、ナージングと書かれた文字の上に指を置いた。


「町の北と西は薄くしていい。その代わり南と東を確実に押さえるんだ。州外に出してはいけない。西へ出れば、この州都を通らずには州外へは向かうのは難しいはずだし、北はボースリー村がある以外は森と、あとは山脈を越えて国外へ出るしかない。よほどの装備がなくては無理だ」


 エリヤの指の動きを追いながら、アーサーは鷲鼻を掻いた。


「動かせる人員としては、ぎりぎりといったところですが、まあなんとかなるでしょう」

「州都はハワード家が直接張っている。西へ逃げられてもここで押さえられるはずだ」

「北へ行った場合、ディザーウッドに逃げ込まれると厄介ですな」


 危惧するように言ったアーサーを、エリヤは眼差しを強くして見据えた。


「ああ。だからナージングとボースリーの自警団の連携が不可欠になる。その統率も君に任せたい。できるか」


 問いかけの形をとっていたが、それは指示だった。

 分厚い胸板の前で腕を組み、ハワード家の私兵隊長は四角い顎をなでながら少し考える素振りをした。だが最後にはやや面白がる様子で口の端を上げた。


「分かりました。やりましょう」






 アーサーが退出した後も、エリヤは立ったまま、ゆくゆくは自身が治めることになる領地の地図に見入っていた。

 強盗団がまだナージングの市中にいるのであれば、先ほどの指示で問題ないはずだ。だが、すでに町を出てしまっていた場合のことも、可能性として考えておかなければならない。


 動員できる人数を踏まえて、とれる行動の選択肢を頭の中でつぶしていると、背の高い少女が扉からひょっこり顔を覗かせた。


「お邪魔かしら」


 思考を中断してエリヤが顔を向けると、少女はそっと扉を閉めて食堂に入って来た。


「楽しそうですわね」

「……なにをどう見たらそういう言葉が出るんだ」


 エリヤはげんなりして、薄茶の巻き毛を結い上げた妹を見た。彼女の方こそ楽しげな様子で、エリヤの隣に並んでならうように地図を見下ろした。


「これも次期伯爵に必要な下積みですもの。お兄様には頑張っていただかないと」

「言われずとも分かっている」


 エリヤは軽くため息をついた。


「ベロニカ、そんなことを言いに来たのではないだろう。なんの用だ」


 薄荷色の目を笑みの形に細めて、ベロニカはエリヤの顔を見上げた。


「お兄様にお聞きしたいことがありますの。本当はもっと早くお聞きしたかったのだけれど、なかなか機会がなくて。今日はお目付け役のアマリアが出かけているから、心おきなく話せますわ。お兄様としても、あまり他の方のお耳には入れたくない話でしょうし」


 ベロニカがもったいぶるように笑うので、エリヤはぞっとした。警戒を強めながら、言葉の先を促す。


「それで、なんだ」


 ベロニカの瞳で光が躍った。


「お兄様を悩ませているものはなにかしら、と思って」

「は?」


 拍子抜けして、エリヤは気の抜けた声を出してしまった。


「それなら見ての通りだ。今は強盗が逃亡中で……」

「そうではなくて」


 ベロニカはやや強く遮り、少々呆れたような表情をしてから、気を取り直すように続けた。


「お兄様、この間ディザーウッドから奇跡の生還をされて来たでしょう。その後からなんだか様子がおかしいから、なにか悩んでいらっしゃるのかと」


 言われて、エリヤは思わず考え込んだ。


 あれから間もなく一ヶ月が経とうとしている。しかし変わったことと言えば、あの樹海に人が住んでいる事実を知ったことと、当分は森へ行くのを禁じられてしまったくらいだ。ブレイガム男爵ニコラスは先々週に領地へ帰り、カディーとの約束は守っている。


 他に特別な変化はない。少なくともエリヤ自身はそう思っていた。


「変、かな」

「変ですわ。自覚ありませんの?」

「そう言われても、心当たりがなくてはなんとも」

「まあ」


 エリヤは正直に言ったのだが、ベロニカはそうは取らなかった。


「わたくしに隠しことができると思っていらっしゃるの? 素直におっしゃられたらいかが。お兄様を悩ませているのはどちらの女性?」


 妹の突拍子もない発言に、エリヤはぎょっとした。


「どうしてそういうことになるんだ」

「あら、違いますの? わたくしは絶対にそうだと踏んでましたのに」

「絶対に違う。なにを言い出すんだ」

「ふうん……」


 ベロニカは引き下がったが、その顔は納得していなかった。

 呆れて、エリヤは長々と息を吐いた。


「君といい、ニコラスといい。どうしてそう、わたしに女性をあてがいたがるんだ」


 うんざりして言うエリヤに、ベロニカは芝居がかった仕草で頬に手を当てて憂うように答えた。


「だってお兄様ったら、浮いた話が一つもなくてつまらないんですもの」

「君だって縁談をすべて蹴っている。ひとのことは言えないはずだ」

「わたくしの場合、眼鏡にかなう殿方がいらっしゃらないだけですわ」


 エリヤは反撃のつもりだったのだが、ベロニカには効かなかった。兄にまったく話す気がないと分かると、彼女は潔く会話を切り上げた。


「お兄様が言いたくないということでしたら、わたくしはそれでも構いませんわ。探る手立てはいくらでもありますもの」


 去り際に片目をつむって見せ、ベロニカは長いスカートを摘まんで食堂を出て行った。

 再び一人になったエリヤは、ここで三度目のため息をついた。


 妹を嫌っているわけではないが、一緒にいるとどうにも疲れる。彼女には兄をからかうのを楽しみにしている節があり、いつも言動に振りまわされてばかりだ。

 エリヤの異性に対する苦手意識の原因の大半が、彼女にあると言えなくもない気がした。


 だが、今回ベロニカが言った内容は、エリヤに過去を顧みさせるだけのものはあった。


 妹が変だと言い張るからには、心当たりはなくても、身近にいてそう感じさせるなにかがエリヤにあったのだろう。彼女の言う通り、もし――自身でも気付かぬ内に――恋着している女性がいるとしたら誰なのか。


 考えながら、エリヤは無意識にテーブルの地図へと視線を落とした。北に連なる山の麓が、森を示す緑で広く塗りつぶされている。


(森で関わったとなるとニーナか……いや、まさか)


 輝くばかりのプラチナの髪を思い出しながら、エリヤはその可能性を自ら否定した。

 美しいと表現できる少女ではあるとは思うが、初対面からあれだけ正面切って嫌われたのだ。そんな相手に少々の苦さはあっても、好意など持ちえるはずはない。


 それでもなんとなく物思いから抜け出せないまま、エリヤは地図に書かれた「ディザーウッド」の文字を見つめていた。




 * *




 日没後。森へ分け入る、いくつもの影があった。夜空は晴れ渡っていたが、銀の月光は厚く絡み合う梢に遮られて地上へは届かない。足元さえおぼつかない闇の中を、彼らは奥へ奥へと突き進む。


 一人が、あ、と声を出し、前方を指さした。そこは他となにも変わらない闇であるようだったが、見る角度が変わると、木々の合間にちらりと灯りが見えた。さらに歩を進めれば、誰の目からも灯りが確認できるようになる。


 彼らは目配せし合うと、灯りの方角を真っ直ぐに目指した。




 * *




 洗い終わった食器を片付けながら、ニーナは小さく欠伸をした。外はすっかり夜の装いで、テーブルのランプと炉の火だけで照らされた室内は暗い。だが、ジゼルは孫の様子にすぐに気付いた。


「ここはいいから、もうお休み」

「え、でも……」


 まだ片付けが途中だと言おうとしたが、ジゼルが微笑んで押し止める。


「あと少しだ。やっておくよ」


 ニーナは一瞬迷ったが、ありがたく任せることにした。


「それじゃあ、先に休むわ。ありがとう。おやすみなさい」

「おやすみ」


 前掛けをはずしながら短く挨拶を交わし、ニーナは梯子を上った。

 梯子を上がってすぐのベッドでは、すでにロイが寝息を立てていた。もう一方のベッドは空いている。今日はカディーが留守なのだ。


 弟の乱れた布団を掛け直してやり、柔らかい髪を撫でながら額に親しみのキスをした。それから、間仕切りの向こうにある自分のベッドへ向かう。寝間着に着替え、布団に潜りこんだが、ニーナはすぐに眠ることはなかった。


 眠る前のこの時間が、ニーナは好きではなかった。それまであった眠気が、束の間覚める。幽々とした静寂は、意識しなくとも彼女を過去の記憶へと引きずり込む。


 早く眠ってしまおうと体を丸め、ぐっと目をつむった。一つ、二つと呼吸を数える内に、徐々に気が静まっていく。やがて、眠気が戻ってきた。


 緩やかに沈み込む意識に身を任せる。しかし物音を感じて、意識が引き戻されてしまった。なんの音かと、ニーナは上体を起こした。


 音は、下の居間から聞こえた気がした。ニーナが布団に入ってからかなり時間が経っているはずだが、祖母がまだ起きているのだろうか。

 ベッド横の蝋燭に灯を入れて、ニーナは布団から滑り出た。すると、誰かが梯子を上がって来る音がした。


「おばあちゃん? どうかしたの?」


 ロイを起こさぬよう声を低めて、ニーナは衝立から顔を覗かせた。そこにいたのは祖母ではなく、見上げるほど大きな黒い塊だった。

 一瞬、夜闇が実体を持ったかに見えた。しかし蝋燭の小さな光でそれが人であることを見出すに至り、ニーナは大きく息を吸い込んだ。


「だ……」


 誰なのか問おうとしたが、その前に黒ずくめの人影が目の前に迫り、床に押し倒された。真上に影が覆い被さり、口を塞がれる。感じる体熱と息遣いが、相手が悪意ある人であることを伝え、ニーナは戦慄した。


「姉ちゃ……」


 さすがに目を覚ましたらしいロイの声が聞こえたが、鈍い音と共に途切れた。事態に思考が追い付かないままニーナはますます恐慌し、半狂乱になってあがいた。


「おい、なにしてる」


 知らない男の声がして、ニーナを押さえ付けている人物が切羽詰まったように答えた。


「ちょっと手伝え。この女、暴れて……っ」


 後から現れた男は舌打ちして、横から手を伸ばした。


「口はいい。肩と腕を押さえろ」


 いくつもの手がニーナを押さえ込み、気付けば頬が床に押し付けられていた。腕が背中でねじり上げられ、自由がきかない。


「ほら、そっちしっかりつかんでろ。下に連れて行くぞ」


 力ずくで引っ立てられ、ニーナはなお抵抗した。


「いやだっ、放して! いや!」


 ニーナは叫び、そのまま引きずられるようにして階下へと連れて行かれた。

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