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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第6章 白金のイヴは四大元素を従える

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6 火のジン

「ニーナ……」


 少女の名が口を突いて出たが、彼女は返事をしなかった。エリヤも突如現れた少女に戸惑いが先に立ち、言葉が続かない。エリヤを見詰めるニーナのおもてはほの白く、縁取るプラチナの髪が夜闇に燐光を放っているようにも映った。

 躊躇うように数度唇を震わせ、ニーナがようやく声を発した。


「……エリヤに、話すことがある」


 少女の硬質な声音に、エリヤはつい息を飲む。聞こう、と以前ならすぐに答えていたかもしれない。それが今は、聞いたら後に戻れなくなるだろう予感に尻込みする。

 マントをつかんだ手に、ニーナが力を込めた。


「お願いエリヤ。あたしの話を聞いて欲しいの」


 訴えるように重ねられ、自身の少女を見る目が揺らいだのが分かった。ニーナは気付いたかもしれない。それでも動揺を隠そうと、エリヤは口を開いた。


「若、どうされました」


 割り込んできた声に、エリヤは反射的に振り返った。御曹司がなかなか来ない事に気づいたアーサーが、騎士達の輪から離れて小走りにやって来ていた。エリヤが体の向きを変えた事で少女の姿が目に入ったらしく、アーサーは怪訝そうにしていた眉を開いた。


「お嬢さんがみえていたんですか。これはとんだお邪魔を」

「いや、いいんだ」


 なんとなくたじろいで、エリヤは返した。


「わたしの食事はいらないと伝えておいてくれ。ニーナ、向こうで話そう」


 早口に言いおいて、エリヤはニーナの肩を押した。

 逃げるようにその場を離れたエリヤだったが、広場が見えなくなるとニーナが先に立って歩き出した。少女は砦の外へ向かい、帝国軍の陣を避けるように町を抜けて森へと分け入っていく。その間、少女は声を発さず、エリヤも話しかけてよいか分からなかった。


 気づけば、森深い場所まで来ていた。町灯りは遠く、木立の合間からごく小さな光が時折のぞくだけだ。月光は枝葉の差しかけにさえぎられ、数歩先の視界さえままならない。しかしなぜか、少女の後ろ姿は鮮明に浮かび上がって見えた。四方から張り出す木の根で足場は悪いはずだが、暗闇であっても歩みに危うさを感じないのが不思議でならなかった。

 ニーナが足を止めた。エリヤは彼女の言葉を待ったが、冷えた沈黙は変わらず、少女は振り返る様子も見せない。森のざわめきばかりが耳につく静けさに耐えかねながらも、エリヤは声をかけるのを躊躇した。


「迷うのなら、わたしが代わりにお話ししますか?」


 背後から男の声がして、エリヤの両側を人影が横切った。ニーナに歩み寄って行く後ろ姿で、一方がシルキーであることはすぐ分かった。声の主であろうもう一方の男も、ニーナといる姿を以前に見たことがある。確か、ルーペスと名乗っていた。


「大丈夫。自分で言うわ。ありがとう」


 寄り添うように立った二人にニーナは顔を向けて言い、流れる動きでエリヤに向き直った。彼女は心を決めるように深く呼吸したが、エリヤはかえってひるんだ。少女への猜疑心を自覚してしまった今、彼女を傷付けずにいられる自信が、エリヤにはなかった。

 ゆっくりと、ニーナが深呼吸した。


「正直、なにから話したらいいか、あたしもよく分かっていないの。もしかしたら、エリヤを危険に巻き込むだけなのかもしれない。でも、少しでも希望に繋がるなら、話すべきだって思ったの――エリヤのことはなにをしてでもあたしが守る。話を聞いて、関わりたくないって思ったならそれでもいい。エリヤの責任じゃないから」


 自身の中でも整理しようとするように、ニーナは一息に言った。少女の決意を感じ取り、エリヤは逃げるわけにはいかない自分を悟った。


「分かった……聞こう」


 エリヤの返答に、ニーナは頷くように一度まばたきした。


「トロールは本来、人を襲いはしないの。彼らは、女神の守護者だから」

「女神?」

「創世女神のソルとルナ。赤道より南は女神達の領域よ。その禁則地に、人が踏み入ろうとしている。トロール達は、それを防いでいるのよ」


 思いがけない方向の話に、エリヤの中で戸惑いが先に立った。創世女神の名は、聖堂に置かれている星の聖典にあるものだ。ディーリアの人間であれば教養として知っているものではあるが、それにトロールが関わるとなれば話は別だった。


「トロールが、守護者? そんな話は、聞いたことがないが……」

「知らなくて当然よ。これは、厳重に守られた秘密なのだから」

「そうだとして、なぜ君が?」


 ニーナは確かめるように、両側に立つシルキーとルーペスに目配せした。二人はそれだけで少女の意をくみ取り、エリヤへと顔を向ける。

 二人は突然、上着を脱ぎ捨てた。目の前で着衣を脱ぎ出す男女に、エリヤはたまらずぎょっとする。

 だが、シルキーのシャツの下から現れたのは白い肌ではなく、黄色い羽毛だった。見覚えのある色に、エリヤの思考が止まった。


 服を脱ぎながら、少女の姿が変化していた。胴と脚はあまりに細く、詰め物もなしにどのように服を着ていたのかさえ、もう分からない。風にあおられるように逆立った髪は扇型の冠羽かんうとなり、両腕は最後の衣服を投げ捨てると同時に、風をつかむ翼に姿を変えた。再びこちらを見た青紫の目に目蓋はなく、不気味に正円を描いていた。

 その姿はあまりにも空のトロールに酷似していた。だがトロールにしては小さく――砦襲撃時にエリヤを連れ去った空のトロールの姿と重なった。


「君は、あの時の……」


 おそるおそる、ルーペスの方にも目をやった。そこに男の姿はなく、地衣類に覆われた大岩のような生き物がこちらを見ていた。

 無意識に後ろに引いた足が、木の根に引っかかった。体勢を立て直す余裕もなく、エリヤは無様に腰をついた。逃げ出すどころか、すぐに立ち上がることもできないまま、エリヤは恐怖心を飲み下すように喉を鳴らした。


「トロール……」

「違うわ。ジンよ」


 エリヤの声に被せるように、ニーナが言った。


「あんたはもう一人、ジンを知ってるわ」


 少女の言葉に、エリヤの止まっていた思考が動き出した。戸惑ったのは一瞬で、過去の記憶をたどれば答えを導き出すのにさほど時間は必要ではなかった。心当たりは、一人しかいない。


「カディーが……?」


 ニーナが頷いた。


「トロールが女神の守護者なら、ジンはイヴの守護者よ」


 ニーナの話は知らない言葉ばかりで、エリヤは聞き返すことをやめた。夜闇の中で彼女の琥珀の瞳がきらめいて見えた。


「イヴは、すべての命の母体。本来なら知られてはいけない、この星の秘密。そして――あたしが今のイヴよ」




 * *




 エリヤを砦へ送り届けたルーペスが野営地に戻ると、人の姿で身なりを整えたシルキーが焚火の前に座っていた。ダワは、久しぶりに同郷の者と話せる機会だと言いながら帝国軍の偵察へ行っているので不在だ。ニーナの姿がなかったので顔を巡らせれば、少し離れた茂みの前に横たわる少女の背中を見つけた。布を被って体を丸めた姿は、拗ねた子供を思わせるものがあった。


「ニーナは眠ったようですね」


 向かい合う位置に座りながらルーペスが言えば、シルキーは淡く笑んで頷いた。


「はい。ついさきほど」


 眉尻を下げ、シルキーは眠る主人へと視線を向けた。

 ニーナの話を聞いたエリヤは、表立った拒絶は示さなかった。しかしその目にあったのは隠しきれない恐れと戸惑いであり、かろうじて発せられたのが、時間が欲しい、という返答だった。ニーナはそれを受け入れた。

 野営地に戻った後も、ニーナは普段通りに振舞ってはいたが、ふとした瞬間に思い詰めた表情が覗いた。それがかえって痛ましく映り、シルキーはニーナに早く休むよう勧めたのだった。


「どうなると思われますか」

「正直、わたしにも分かりかねます。このようなケースは前例がないので」


 シルキーの問いに、ルーペスは焚火の炎を見詰めて答えた。


「秘密を外部の人間に明かしたイヴが、過去にいなかったわけではありません。その時には、秘密を知った人間は速やかにイヴと引き離され、なんらかの形で記憶なり存在なりが消されてきました。ですが、ニーナはあまりに特別です。人と星のために、これほど心を砕き、自ら行動したイヴは過去にいません。歴代のイヴは皆、運命づけられた役割の中でゆるやかな生をまっとうして来た」


 ルーペスの話を聞きながら、シルキーは正面に顔を戻し、瞳に炎を映した。


「ニーナ様はイヴとして生まれながら、そのように育てられませんでした。エベリーナ様がそれを意図していたかは分かりませんが、少なくともイヴのあり方を変えようとなさいました。ニーナ様はそれをまっすぐに、受け継いでいらっしゃるのだと思います」

「エベリーナの望んだ変化を、女神達がどのようにとらえるのか。すべてはそこにかかっているでしょう――そうですよね?」


 最後の一言を、ルーペスは目線を横に向けながら言った。シルキーも特に驚くこともなく、同じ方向へと顔を向ける。座る二人をやや見下ろすように、若い男が立っていた。緋色の前髪を透かして、瞳が炎の光を反射していた。


「エリヤについては、女神とアストラもまだ様子をみている。彼らも慎重になっているんだ――ニーナは、エベリーナに似過ぎているから」


 若者が返答をしたことに、ルーペスは満足して口元を緩めた。


「女神達でも、そのように考えるんですね。今回の件がいかに微妙で難しいか、よく分かります」


 ルーペスは目を合わせるように、顔ごと若者の方に向いた。


「顔を拝見するのは初めてですね。火のジン、カロル」


 友好的にルーペスは言ったが、火のジンは不快そうに眉をひそめただけだった。


「いつまで、ニーナをここにいさせるつもりなんだ」


 火のジンはごく押さえた声で言ったが、聞き取るのに困るほどではなかった。


「それを決めるのはニーナです」


 ルーペスが答え、シルキーが頷いて後を続けた。


「わたくしは、ニーナ様の望みに従います。ここであなたに、ニーナ様を連れてディーリアに帰れと言われても、わたくしは従うつもりはありません」

「人とトロールの衝突は避けられない以上、ここにいればニーナに危険が及ぶ可能性がある。それでもかい?」


 火のジンの問いに、シルキーはふと息を漏らして笑んだ。その瞳に宿るものは強く、揺るがないものだった。


「その危険からお守りするのがわたくしの役目です。もう二度と、手を離しはしません」


 火のジンはわずかに口元を歪めたがなにも言わず、視線だけをルーペスへと移した。


「わたしも、あなたに従うつもりはありませんよ。ニーナの望みを叶え守り抜くことが、ジュリアの意思ですから。わたしはジュリアに従います」


 ルーペスが先手を打って言い、火のジンは呆れとも諦めともとれるため息を吐いた。


「ジンのさがか……それならぼくはもう、なにも言わない」


 二人のジンに、火のジンは背中を向けた。


「ご忠告、感謝いたします」


 去る背中にシルキーは告げたが、彼は振り返らなかった。炎の色の後ろ姿はやがて夜闇に滲み、消えていった。

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