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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第6章 白金のイヴは四大元素を従える

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4 懐疑

 雨と共に、トロールは去って行った。後に残ったのは崩れ落ちた塁壁と、瓦礫と泥に埋まった大砲。いくつもの天幕がなぎ倒され踏み荒らされた砦内は、深い水たまりがあちこちにでき、まともに歩き回るのさえ困難だった。

 西日に長く影を伸ばすその光景に、ようやく砦に戻ったエリヤは言葉を失った。


「若!」


 アーサーが、立ち尽くすエリヤに気付いた。砦を囲う柵だった瓦礫を乗り越え、駆け寄って来る。


「よかった。ご無事でしたか」


 心底ほっとした様子のアーサーに顔を向けるも、エリヤは笑みを返す事はできなかった。エリヤは全身に泥をかぶってひどいありさまだったが、アーサーも大差ないほど真っ黒で、泥はところどころ白く乾き始めていた。


「トロールに連れ去られたと聞いて、捜索に向かわせようかとしていたのですが、うまく逃げられらのですね」

「……あのトロールは、わたしになにもしなかった」


 上の空で返答しながら、エリヤは目の前の惨状へと視線を戻した。


「被害の状況は、分かるか」


 アーサーはエリヤの隣に立ち、表情を厳しいものに変えて、やって来た方向へと体の向きを変えた。


「現在確認中です。けが人はなん人かいますが、その他に人的被害は今の所ないようです」

「町の方は、なんともなかったんだな」


 小さく首を回して、エリヤは砦の外へと顔を向けた。トロール達は砦の先までは行かなかったらしい。騒ぎに人が集まって来てはいたが、ザウィヤの町そのものには目に見えた被害はないようだ。


「町と人への被害はありませんでしたが、火器類がことごとく破壊されました。火薬も、空のトロールに保管庫の屋根を破壊され、雨をかぶっています。どれだけ使えるものが残っているかは分かりませんが、当分はトロールを追い払うのも難儀しますな」


 討伐部隊としては壊滅的な被害だ。それでも、あれほどの襲撃にあって人的被害がなかったというのは驚異的に思われた。エリヤを連れ去ったトロールの様子や、他のトロールが人に興味を示していなかった事を思い出すと、他に目的があったのだろうかと勘繰りたくなる。


(あのトロールは、わたしを助けてくれたのか……?)


 小さな空のトロールにとらえられていなければ、エリヤはあのまま丸太の下敷きになっていただろう。たとえそれが意図でなかったとしても、命を救われたには違いなかった。

 エリヤは泥で固まった髪を掻き、額を拭った。その程度では拭い切れない疲弊が、重い質量を持ってまとわり、心身を押しつぶさんと膨れていく。終わりの見えない日々が、濃い濁りを帯びて視界を覆い、もはや目指すべき行き先は見失っていた。


(わたしは、ディーリアに帰れるんだろうか……)




 * *




 日輪が頂点を過ぎ、日差しに熱せられた地面からの放熱で、気温はますます高くなった。森を覆う草いきれに息苦しいような不快さを感じながら、ダワはじわりとにじむ汗を拭った。目の前を行き交うのは、土嚢や材木を担ぎ、運ぶ兵卒達。その額に浮かぶ汗の量はダワの比ではない。


 トロール襲撃で破壊された塁壁の補修は進み、砦も元のように杭で囲われた。だが武器の補填はいまだできておらず、トロールへの対抗手段がない今、ザウィヤの町民を含め、南の森へは極力近づかないよう通達がされている。そのためか、トロールの目撃情報は減り、火薬の破裂音を聞かない日が続いていた。

 指揮官ハカムの下どうにか統率を維持している状況下で、砦を頻繁に出入りするダワを見咎める者もいなくなっていた。


「手を止めろ。気温が上がってきた。休憩だ」


 指揮官の声が響き、泥まみれで立ち働いていた兵卒達は持っていたものを置き、解散した。その流れに紛れ込むように、ダワはすっかり顔見知りになったハルバラド兵へと歩み寄った。


「やっと元通りになってきたね」

「まあ、見た目だけだがな」


 声をかければ、色黒のハルバラド兵は汗を拭きながら軽く返した。


「このところ、トロールも静かなようだしね。襲撃があった時にはどうなる事かと思ったけど」


 言いながらダワが水の袋をを手渡してやると、ありがたそうな笑みを見せて兵は受け取った。


「確かにな。武器が足りなくてこちらから手が出せないっていうのも大きいんだろうが……このまま森に近づけないんでは、ハルバラドの一番大きな産業がだめになっちまう。東の援軍が到着すれば、また大きな作戦に出るだろうな」

「東の援軍?」

「ああ。聞いてないのか」


 意外そうに、ハルバラド兵は片眉を上げた。


「援軍が来たから、寸断されてた東の山麓の道も復旧にこぎつけた。ここから行っている奴らも一緒に戻って来るだろう。ディーリアのやつらがいるからあまり大きな声では言えないが、サマクッカ様々だ」

「それは確かに心強いね。帝国軍が来るなら新しい武器も持ってくるだろうし、今度こそトロールの一掃といけるかもしれないな。帝国軍は戦闘にも慣れているし」


 兵の話に持ち前の外面のよさで返しつつ、ダワは内心で鼻白んだ。

 ディーリア軍が滞在しているところへ、帝国軍からの援軍が来ることがあろうとは考えていなかった。ハルバラドはそれだけなりふり構わなくなっており、またサマクッカも増長しているということなのだろう。

 それにしても、とダワは考えた。


(もう道が復旧したのか。思ったより早かったな)


 一体どれだけの軍隊が来るのか調べる必要がありそうだと思案しつつ、そのままダワはハルバラド兵とあたり障りのない談笑に興じた。

 不意に、肩を叩く者がいた。ダワが振り向くと、そこにいたのはディーリアの伯爵御曹司だった。緊張しているようにも見える面差しに、ダワが口の片端を上げて見せれば、御曹司は眉を寄せた。


「話がある」


 御曹司が低音で言い、ダワは心得顔で息をもらした。


「いいよ。向こうに行こうか」


 ハルバラド兵との会話を切り上げ、ダワは若者を促すように軽く肩を押した。御曹司はやや顔をしかめつつも、なにも言わずに従った。

 二人は無言のまま塁壁を離れ、修復された砦の柵の前まで移動した。人の往来がないではないが、門から離れた場所であれば、さしで話すのに支障はない。司令官の声が届くだろう距離なのを確認して、ダワは身を反転しながら柵に背中をもたせかけた。


「それで、話って?」


 ダワはごく自然に問うたが、御曹司の表情はかえって強張ったようだった。ダワのように力を抜いた立ち方というのがどうにもできないのが、この若者だった。


「……ニーナは今、どこにいるんだ」


 やはり、とダワは考え、うっすら笑んだ。


「気になるかい?」

「当たり前だろう」


 やや前のめりになって、御曹司は声を大きくした。


「ニーナは近くにいるのだろう? なぜ姿を見せない。彼女は一体、なにをしようとしているんだ」


 畳みかけるような問いかけを静かに受け止めながら、ダワははしばみ色の眼差しに透ける感情を見た気がした。御曹司の若さゆえの素直さと経験の浅さに、微笑ましさを感じつつも、つい嘲笑が混じる。さらに上の世代から見れば、ダワとて大差はないのだろうが。


「ニーナ達がなにをしようとしているのか、おれだってはっきりは分かってないよ。ただ、そうだな。今の君よりは、ニーナを信頼しているかな。あの子達が、誰かを傷付けるでなく、人もトロールも含めたなにかを守ろうとしているのが分かるからね」

「それは……」


 御曹司の瞳の揺れを、ダワは見逃さなかった。この若者は、ニーナのこととなると途端に、取り繕うということができなくなるらしい。それだけ少女に対して真摯な証拠ではあるのかもしれないが、ある種の危うさも感じた。


「ニーナに会いたいって事なら、よした方がいいんじゃないかな。必要があれば彼女の方から来るだろう。それまで待つべきだ。今の君が会っても、彼女を追い詰めて傷付けるだけだよ――確かに、ニーナには秘密が多い。でも、そんな彼女を好きになったのは君だろう。おれなんかよりずっとニーナを見て来てるんだろうに、今さらなにをそんなに怖がってるんだ」

「別に、怖がっているわけでは……」


 御曹司は反論しかけたが、結局それ以上言葉が続かなかった。煮え切らない若者の様子に、ダワはため息をついて髪を掻いた。

 そこへ、作業再開を告げる司令官の声が届いた、ダワはもたれていた柵から体を浮かして進み出ると、すれ違い様に若者の肩に手を置いた。


「君が信じないでどうする。彼女に会う前に、まずは自分の気持ちの在りかをしっかり見定めることだね」


 御曹司の反応を待たず、言い終わると同時にダワは歩みを進めた。立ち働く兵卒達のところへは戻らず、そのまま砦をまわり込んで町の出口を目指す。森に入ったところで、横目にちらりと砦の方角を見た。


「ちょっと、説教くさ過ぎたかな」


 ぼやいてはみたが、後悔はしていなかった。今の彼は、ニーナの精神的な支えになっているに違いないのだ。ニーナが泣けば、そばにいるシルキーも悲しむことになる。正直、伯爵御曹司がどうなろうともダワは一向に興味はないのだが、少女達が悲しむのは本意ではなかった。

 さて、とダワは気持ちを切り替えた。

 今日も砦で有用な情報を得る事ができた。それをくだんの少女達と共有すべく、ダワは青葉が強く香る森へと分け入った。

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