表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第6章 白金のイヴは四大元素を従える

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

63/76

2 地のジン

「トロールが増えているのは、やっぱり女神の意思だったのね」


 火の精霊が照らした木の根をまたぎながら、ニーナは誰にともなく呟いた。


「アストラが動いている以上、間違いありません」


 半歩後ろを歩くシルキーが低めた声で肯定すると、ニーナの前を行っていたルーペスが肩越しに少女達を振り返った。


「風のトロールが言っていた、火というのは?」


 経緯を知らないルーペスが疑問に思うのも当然だった。先日のできごとが自然と思い出され、ニーナの目が細まる。


「……火のジンがいるの。元々あたしを守ってくれていたジンが、今はアストラの所にいる」

「なるほど。そういうことでしたか」


 納得して、ルーペスは正面に顔を戻した。

 一度はザウィヤの町を離れたニーナ達だったが、人里近くのトロールが増えていく現状に、やはり討伐をやめさせる必要があるとの結論に達していた。討伐を止めることができれば、襲われる危険のある無理な伐採も減らすことができるだろう。そうして砦へと戻って来た矢先、ニーナ達は風のトロールの襲撃を受ける討伐部隊と遭遇した。


「火や水のトロールの動きも感じます。女神達は本気ですね。このまま進行し続けるなら、ハルバラドは壊滅します」

「…………」


 ルーペスの率直な見解に、ニーナは口を引き結んだ。

 日は落ちかかり、空は朱から紺へと移ろっていた。夕映えが密な枝葉の輪郭をくっきり切り取っており、森の底はすでに夜の色合いだ。火の精霊が足もとを漂いながら道を照らしてくれてはいたが、足場が悪い中、夜闇を掻き分けて進むのは慎重にならざるをえなかった。


 討伐隊と相対していたトロールらの話を整理しつつニーナ達が野営地に戻ると、ダワが火をおこして待っていた。少女達の気配に気付いて、つついていた火から顔を上げた彼は、いつもと変わらぬ人懐こい笑みを口元に浮かべた。


「ああ、よかった。なかなか戻ってこないからどうしたかと思った」

「ダワ、待ってることなかったのに」


 ニーナが少々あきれ気味に眉を持ち上げて言ったが、ダワはかえってけろりとした。


「おれは自分がしたいようにしてるだけ。食事できてるよ」


 小振りの鍋に香辛料で豆が煮てあった。鍋を火の上に吊るして温め直すダワの姿があまりにいつも通りで、緊張し続けていたニーナの頬がつい緩む。

 四人で火を囲んで夕食をとり、ようやく人心地ついた。元々話好きなダワは絶えず喋っていたが、ニーナ達がなにをしているかを聞くことはない。どうしても深刻になってしまう現状で、変わらず振舞う彼の存在が、申しわけなさを感じつつもありがたかった。

 ふと、隣でため息をつく音を聞いた気がして、ニーナは顔を向けた。大きな背中をわずかに丸めたルーペスが、どこか遠くを見るような呆けた顔をしていた。


「ルーペス、疲れている?」


 ニーナが気づかって声をかけると、彼は珍しく焦った様子を見せてから苦笑いした。


「いいえ。大丈夫です。気にしないでください」

「なにかあったら言って。ディーリアから来てくれて、あたしは助かっているけれど、疲れないはずないもの」


 ニーナが言い募れば、ルーペスは苦笑を柔らかいものに変えた。


「本当に、大丈夫なんです。元々、体の疲れというものは感じませんし。なんというか……ジュリアとこれだけ長く離れているのは、初めてなもので」


 困ったように、ルーペスは眉尻を下げた。


「正直、自分でもここまで精神的に参るとは思っていませんでした。ジュリアなら一人でも大丈夫だろうことは分かっているつもりですが、やはり考えないではいられないものですね。経験してみるとよく分かります。これだけの不安を感じながら、リオはよく、なん年も一人でいたものです」

「リオ?」


 ルーペスの口から出た知らない名に、ニーナは首をかしげた。不思議がる少女にルーペスはやや目を見開き、なにやら思い至った様子で口元に手をやった。


「そうか……ニーナにはきちんとお話ししていませんでしたね。すみません。ジュリアもわたしも、この話題はつい避けがちで」


 言ってから、ルーペスは火を挟んだ向かい側を一瞥した。そこではダワがシルキーを相手に、旅先のあれこれを楽しげに語っている。シルキーは東方人の話を穏やかな様子で聞きつつも、ルーペスの視線に目をちらと合わせることで答えた。

 二人のジンの間でなにが交わされたかニーナには分からなかったが、ルーペスが小さく頷いた。


「少し、向こうで話しましょう」


 ルーペスが立ち上がって火のそばを離れたので、ニーナは慌ててその後を追った。

 野営地から離れたとは言っても、ルーペスが立ち止まったのは樹影の隙間から灯りが見える範囲だった。だが声が届かない距離ではあり、少し静かに話すだけならば十分だ。

 地のジンは地面から大きく突き出した頑丈な木の根を示し、ニーナがそこへ座る間に、自身も同じように突き出した根へと腰を下ろした。話す態勢ができたところで、ルーペスが軽く息を吐くのが聞こえた。星明りも届かぬ森の夜闇で表情は判然としないが、束の間の沈黙で、彼が考えるか迷うかしているのは感じられた。


「リオは、エベリーナのジンです」


 ルーペスがぽつりと言い、ニーナはゆっくり目を見張った。彼の態度からおぼろげに察してはいたものの、驚きが胸の内にじわりと染みるように広がる。

 地のジンは、丁寧に選び取るように言葉を発した。


「エベリーナが出て行くとき、リオは塔に残ることを選びました。二人の間でどんなやりとりがあったのか、わたしには分かりません。エベリーナを止めに行ったはずのリオが一人で戻って来て……そして、エベリーナの部屋に閉じこもってしまいました」


 当時を感情を思い出したのか、ルーペスの眉が痛ましげに寄った。


「声をかけても返事をせず、そこに主人を見出そうとするように窓の外を見詰めて、動こうとさえしなかった。そのままリオは、なん年も誰とも言葉を交わすことはしませんでした。ジンにとって寝食は重要なものではありませんので、命にかかわることはありませんが……あの時のリオはとても見ていられなかった」


 息を詰めて聞き入るニーナを見て、ルーペスはゆっくりまばたきした。


「アストラからの接触もあったようですが、リオはそれさえ受けつけなかったようです。そうしてわたし達がなにもできないまま時間だけが過ぎ――リオは消えてしまった。あの日、塔からリオの気配が消えて、わたし達はエベリーナの死を知りました」


 言葉を失って、ニーナは口元を覆った。

 ずっと胸の内に引っかかってはいた。なぜ母のそばに、ジンがいなかったのか。しかしジュリアやルーペスが話題にしない以上、わざわざ問うのもはばかられ、今に至っていた。


「……ねえ、ルーペス」


 恐る恐る、ニーナは声を発した。これまで聞けずにいたことが、もう一つある。今聞かなければいずれ後悔する。そんな予感がニーナの中に生まれていた。


「……お母さんは、どうして出て行ったの?」


 闇の向こう、ルーペスの瞳が色を変えて揺らめいたように見えた。やはり、知らされていないことがまだある。ニーナとて自分がすべてを把握していないことくらいはよく理解していた。しかしそれが母に関わるとなれば、あえて知らせていなかったととらえても仕方がなかった。

 森を浸す闇の底で、ニーナは自身の心音が大きくなるのを意識した。


「エベリーナが出て行ったのは……」


 まだ迷いがあるのか、ルーペスは言葉を途切れさせた。ニーナは彼から目を離すことはせず、視線で先をうながし、続きを待った。地のジンも黙って少女を見詰め返していたが、やがて心を決めた様子で目を伏せて息を吐いた。


「……いずれ、話さねばならないことですしね。本当は、今回の件にかたがついて、もう少し落ち着いたらと考えていましたが。それはきっと、わたし達のエゴなのでしょう」


 ルーペスが自身に向けてそれを言っているように、ニーナには見えた。もう一度息を吐いて、ルーペスは目を開いた。


「エベリーナが出て行ったのは――ケンジー・パーカーを愛していたからです」


 父の名前が出て、ニーナは眉をひそめた。地のジンは静けさをたたえた眼差しで少女を見据え、続ける。


「イヴは本来、配偶者を持ちません。もちろん、男性がいなくては子を成しえませんから、父親はいます。ですがその父親が誰であるかが問題になることはない――イヴは身ごもった時点から、相手の男性との接触を禁じられるのですから」

「え……」


 驚きが口を突いて出たが、言葉は続かなかった。ニーナを見るルーペスの瞳は、静かなままだった。


「イヴに代替わりが必須である以上、子供は絶対に必要です。しかしそれこそが、イヴの秘密が流出する可能性をもっともはらんでいる。相手の男性が自分の遺伝子を継ぐ子の存在を知り、さらにイヴの秘密を得たとなれば、なにを考えると思いますか。それも多くの場合、王国中の貴人が集うデアベリーでのことです」


 ルーペスの問いに、ニーナは答えを持たなかった。分からないと訴える眼差しに応えるように、彼は抑揚少なく言った。


「男性は力を求め、誇示する性質を強く持っています――もちろん、すべての男性がそうだとは言いませんが――人の歴史を鑑みれば、新たな国を興し、侵略し、戦争を主導した者の多くは男性です。そして、かつてイヴの暗殺を企て、手を下したのもまた男性。そのような相手がイヴの秘密と子の存在を知れば、自身の力のために利用しようと考える者が必ず現れます。だから、関係を断つのです――エベリーナは、それに抗った」


 話しながら、ルーペスは顔に落ちかかった苔色の髪を物思わしげに払った。


「愛する者と添い遂げるために、これまで定められてきたイヴのあり方を変えようとしたんです。しかしケンジーの死によって、彼女の望みとそのための試みは打ち砕かれた。自ら死を選んだのも、彼女なりの最後の抵抗と仕返しだったのでしょう」


 ニーナに押し寄せた衝撃は、思考に空白をもたらした。頭が上手く機能せず、視界がゆるやかにまわるような感覚に見舞われる。それを押さえ込もうと、ニーナは自分の両肩を強く抱いた。

 言葉を発しない少女に、ルーペスは悲痛な色を瞳に映した。


「もっと、早く話すべきでしたね。エベリーナと同じになりはしないかと考えすぎるあまり、あなたの気持ちまで考えることができていませんでした。すみません……戻りましょう」


 ルーペスはおもむろに立ち上がった。しかしニーナはかえって体を丸め、腕に力を入れた。


「……先に戻ってて」


 声はかすれたが、ルーペスには届いた。彼はうつむくニーナをしばらく見ていたが、少女が動かないと見ると、ためらいつつも体の向きを変えた。


「落ちついたら、戻ってくださいね。シルキーが不安がります」


 ニーナは返答しなかったが、ルーペスは彼女に気を使うように足音をしのばせて野営地へと戻って行った。

 一人になっても、ニーナの思考はままならなかった。頭の中までが、身を包む夜闇に侵食されてしまったようだった。ただ一つだけ、入り組みもつれた脳裏に浮かぶものがあった――エリヤの姿だ。


 どんな状況であっても味方であろうとしてくれる彼の誠実な眼差しが、今は心臓を締め上げる。共に生きよう、と言った若者の声が思い出され、目をきつくつむり、両手で顔を覆った。


(エリヤ……あたし、一緒にいられないかもしれない……)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

★ 最新作 ★

転生悪役令嬢 VS 物語の作者。中華風転生お屋敷ロマンス。

『物語改変は許しません ― 転生悪女は花より紅なり ―』
『物語改変は許しません ― 転生悪女は花より紅なり ―』PR画像

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ