8 僥倖
ダワは鉄製の南京錠をはずすと、厚みのある樫の扉を引き開けた。扉の中はそこだけ黒く塗りつぶしたように真っ暗で、あえかな星明りも窓の鎧戸に遮られ光源は皆無だった。
「ちょっと待ってて」
後ろに立つ人物に声をかけて、ダワは感覚を頼りに手探りで室内を進んだ。辿り着いた木のテーブルに置きっぱなしの燭台を探り当て、灯をともす。それを持ち上げてさらに部屋の中央まで移動すると、天井から吊るされたランタンの油が残っているのを確認して火を移した。
室内の様子が確認できる程度の灯りを確保したところで、ダワは入口で待たせていた人物を中に招いた。
「埃っぽくて悪いけど、適当に座って」
荷物を下ろしながら言い置き、ダワは入口から見て左奥に据えられた炉に向かった。石を組んだ炉の灰を少しだけ掻いて火をおこす。暖をとれたところでダワが振り返れば、後から入って来た苔色の髪の男は立ったまま、奥の壁一面を占める棚を眺めていた。棚には、細密な彫刻の施された銀のツボや食器が規則正しく並んでいる。本来ならわずかな光にも輝きを見せるそれらは、今は埃を被ってくすんでいた。
「ここは?」
「おれの工房。元は師匠の家なんだけど、亡くなってからはおれが使わせて貰ってるんだ」
市場で買った夕食を持ってテーブルにつきながら、ダワは答えた。
男は、無造作に置かれた金床や様々な太さのある無数の鑿を興味深そうに見て回ってから、ダワの斜め向かいの椅子に座った。
「君も食べるかい」
炒ったひき肉を包んだ種なしパンをダワは差し出したが、男はゆるく首を振った。
「大丈夫です。空腹は感じません」
「酒は?」
「必要ありません。どうぞ、気にせず召し上がってください」
「そう」
では遠慮なく、とダワはパンにかぶりついた。ハルバラドを発ってからら丸一日以上なにも食べていなかったのだ。空腹は切実なものになっていた。
パンを半分ほど食べ進め、酒で喉を潤したダワはようやく人心地ついて、相変わらず室内を見回している男の顔を見た。
「それで、ルーペスさん、だっけ? おれに話があるんだろう。おれも色々と聞きたいことはあるけど」
ダワから切り出せば、ルーペスは改めて顔を向けて来た。
「ええ。あなたがニーナから石を借りることになった経緯をお聞きしたくて」
「経緯ねぇ」
ルーペスの言葉を反復しながら、ダワは襟から黄色い石を引っ張り出した。それを指で転がしながら、正体のはっきりしない相手にどこまで話してよいか思案する。ニーナのことを知っているには違いなさそうだが、本当に味方である確証はまだなかった。
ダワが答えあぐねていると、それを見てとった様子でルーペスが口を利いた。
「ニーナもモンスデラに来ているのですか」
「おれ一人だ。東の状況を見て来て欲しいと頼まれて、今日着いたばかりなんだ」
「その石が、どういったものかはご存知ですか」
重ねられた問いに、ダワは正直に首を横に振った。手の中でもてあそんでいた石を、確かめるように燭台の火にかざす。埃の残るテーブルに、金の光が飛び散った。
「絶対に失くすなって言われたから大事なものなんだろう。ニーナ達のところへ戻るのに必要みたいだけど、これがなんなのかは知らないんだ」
「戻るのに必要?」
ルーペスの眉がわずかに寄った。
「ニーナは今もハルバラドにいるんですよね。あなたはここまで、どうやって来たんですか」
「どうって……」
そこを問い質されると思わず、ダワは言葉に詰まった。だがここで黙っては不審がられてしまうだけなので、咄嗟に当り障りなく返した。
「普通に馬車を乗り継いで来たよ。他に方法もないだろう」
ダワは力まず言ったが、ルーペスの表情は緩まなかった。ダワの嘘を見出そうとするように、やや大きめの瞳が多色に薄く輝く。
束の間、睨み合うように二人は目を合わせた。しかしダワはあくまで無言を貫き、ルーペスが諦めたように息を吐いた。
「分かりました。言いづらいのならこちらから言いましょう」
ため息と一緒に下げた目線を、ルーペスはすぐに戻した。
「シルキーの風で来たのでしょう。彼女ならそれくらいはできる」
ダワが息をのんだのを見て、やはり、とルーペスは呟いた。
「それですべて説明がつきます。あなたについて回っている風は、シルキーの差し金のようですし」
もう一度嘆息しながら、ルーペスは軽く座り直した。
「ずいぶん思い切ったものです。彼女が最善と思ってしたことなら、わたしがとやかく言うことではありませんが」
ルーペスが呆れたようにこぼし、ダワは気を引かれた。
「シルキーとも親しいのかい」
「それは、まあ。同族の仲間意識と言った方が適切かもしれませんけど。あなたは、ニーナとシルキーがなに者かは聞いていますか」
「いいや。あの子達が普通じゃないのは分かるけど、詳しくはなにも聞いてない」
シルキーの話題でルーペスの態度が軟化したのを感じ、ダワも姿勢を崩して答えた。ルーペスは眉を開き、柔和に笑んだ。
「それならよいでしょう。シルキーがあなたを信用したのなら、わたしも信用することにします。悪い方ではなさそうですし」
ルーペスが宣言するように言い、ダワは困惑顔で頬杖を突いた。
「信用してくれるのはありがたいが、おれは君がなに者かまだ分かってないんだけど」
ルーペスは不思議そうに首を傾けた。
「最初に申し上げたと思いましたが。ニーナの祖母に仕えていると」
「それが本当だとして、なんでまたモンスデラに? ニーナのおばあさんがこっちに来てるのかい」
「いいえ。わたしも一人です」
笑みの中にかすかな憂いを覗かせて、ルーペスは答えた。
「あなたと同じです。東の情勢を調べてニーナに協力するようにと、主人に言われてここにいます。もう少しだけ帝国軍の状況を確かめたら、そのまま南に向かうつもりでした。入れ違いになることなくあなたと会えたのは、幸運だったかもしれませんね」
ルーペスが眼差しに見せた寂しげな色が、隣にニーナがいない時のシルキーを思い起こさせた。同族とはそういう部分だろうかとダワは考えた。
「もう少しだけ、ということは、こっちの情報は集まっているってことだよね」
「まあ、それなりに」
「それなら、信用して手を結んだ方が得策そうだな」
ダワはルーペスに向かって手を差し出した。
「おれはダワ。ルーペスさんが言う通り、ここで会えたのは運がよかった」
「ルーペスで構いません。わたしもダワと呼びます」
ルーペスが笑みを深め、差し出された手を握った。ダワもにやりと笑い、握った手に力を入れた。
「それじゃあ、ニーナとシルキーの協力者として、これからよろしく、ルーペス」





