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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第5章 風が運ぶもの

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7 オアシスの国

「いたたた……」


 地面に打ち付けた腰を押さえ、ダワは体を丸めた。体の下は柔らかな黄色い砂地だったが、灰色の石や岩も一面にはごろごろとしている。幸いそれらにぶつからずには済んだようだが、臀部でんぶから背骨にかけてしびれるように痛んでいた。


 ハルバラドから砂漠への移動は、ダワの想定に反して優雅な空の旅とは行かなかった。飛ぶというより吹き飛ばされたという表現の方がしっくり来るかもしれない。一昼夜もの間、不安定な体勢のまま強風にさらされ続けた体は、思ったほど冷えてはいなかったが、筋肉が強張ってぎくしゃくとしていた。

 すぐには立ち上がれず、ダワは座り込んだまま背負子しょいこを下ろして、荷物の蓋を開いた。かなり揺すぶられたので中が乱れてはいたが、荷をばら撒かずには済んだようだ。シルキーがなにがしかの方法でうまくやってくれたのかもしれない。


 ひとまず安堵して、ダワは首を巡らせた。視界を遮るもののない黄色い砂地が、波模様の陰影を描きながら地平線まで続いている。所々に突き出した岩が、たたずむ人影のようにも見えた。

 果てなく見える砂漠の中に、砂と同じ色をした町の影を見付け、ダワは腰をさすりながらゆるゆると立ち上がった。四角い建造物が密集するその場所まで少々距離はありそうだが、おそらく歩けないことはない。日は高く、砂の照り返しがきつい砂漠の真ん中にいつまでもいては、あっという間に干からびてしまいそうだ。この距離ならばさっさと町に入ってしまった方がいいだろう。

 そう判断したダワは、腰をひねって体の具合を確かめてから、荷物を背負い直した。


「もうちょっと近くに下ろしてくれてもよかったのにな」


 ぼやいてはみたが、空から下りて来るところを他人に見られては騒ぎになるのが分かり切っている。この場所で正解なのだろう。

 荷物の重さを肩に感じながら、ダワは町の方角に足を踏み出した。





 中央砂漠西寄りの国、モンスデラ共和国はオアシスに集まった人々によって作られた都市国家だった。今はサマクッカとの臨戦態勢にはあるが、砂漠の東西を結ぶ交易路の要衝ようしょうであり、人と物の行き来が絶えることはない。それでも町を出入りする者への目は厳しくなっており、手形を持っているダワも入国手続きに常より時間をとられ、町に入った時には空が赤みを帯びていた。

 モンスデラは外から見ると砂漠に同化するようにめた色合いに見える。実際、町の大部分を占める家屋はどれも単調な砂色の矩形くけいで、元は鮮やかに塗ってあったであろう壁面もすっかり色褪せてしまっていた。町の中心にある礼拝堂だけが、青と黄色で彩られた柄タイルを全面に敷き詰められ、その色鮮やかさを維持していた。


 ダワは町に入ったその足で、礼拝堂近くにある市場へと向かった。

 市場はモンスデラで一番大きな建造物だった。オアシスを望む位置に長く伸びた建物の中に入れば、いくつかに枝分かれした通路に大小数千の店舗が寄り集まっており、食料品や生活用品、絨毯や宝石まですべてこの場所で揃えることができた。

 もっとも人の多い食料品店の区画を抜け、衣料品店の並びを通り過ぎたダワは、無数の銀食器が積まれた店の前に立った。通路に張り出す売台に並べられた食器類は形こそ簡素だが、品よい輝きを見せている。薄暗い店内の壁には銀の首飾りや腕輪が隙間なく吊るされており、人が生む空気の流れにかすかに揺れていた。店舗の一番奥には硝子戸の付いた棚が置かれ、より精緻な細工のされたゴブレットや、宝石のはめられた宝飾品が整然と並べられている。その中には、ダワが手がけたものも少なくなかった。棚の横には木の板を組んだだけの会計台があったが、今は無人だった。


「おやっさん、いるかい!」


 会計台の奥の扉に向かって声をかければ、ややあってから、浅黒い顔に白の交じったひげを蓄えた男が顔を覗かせた。


「なんだ、ダワじゃねえか」

「久しぶり、おやっさん。ちょっとこっちの方に用事ができたから寄らせてもらった」


 ダワが挨拶をする間に、店主の男は会計台の後ろから背もたれのない椅子を出して来た。荷物を下ろしたダワはありがたく座らせて貰い、ようやく一息ついた。疲れをにじませて汗を拭うダワに、店主は会計台にもたれながら苦笑した。


「今回はずいぶんと長かったな。どこまで行ってたんだ」

「ちょっと南の方をぐるっとね」

「どうせまた女の尻でも追い駆けてたんだろ」

「その言い方はひどいなぁ。今回の子は一筋縄では行かなくて、口説いてる最中なんだ」


 ダワがわざと口を尖らせてみせれば、店主は豪快に笑った。


「相変わらずだなあ、お前は。しばらくはいるのか」

「いいや。急ぎの用があって、そう長くはいられないんだ」


 ダワは足を組んで、ももに肘を置いた。


「そういえば、こっちはまたずいぶんと物騒なことになっているみたいだね。影響は出てるのかい」


 話題を振れば、店主はちょっと顔をしかめて肩をすくめた。


「人は増えてるんだがなあ。傭兵ばかりで治安が悪くなっていけねえ。北路ほくろの東半分がサマクッカに押さえられちまったしなぁ」

「ものが入って来ないのかい」

「いや」


 否定しつつも難しい表情で、店主は固そうな顎ひげをなん度も撫でた。


「ものは案外と普通に入って来る。だが、ここに来るまでの間にサマクッカが勝手に課税しててよ、値段がつり上がってんだ」


 なるほど、とダワは眉を持ち上げた。


「好き勝手してくれてるね。国土面積としてはもう十分だろうに、まだ満足できないのか」


 ダワの共感に店主は身を乗り出し、言葉にも熱が入り出した。


「まったくだ。あいつら、道沿いに新しく町やら宿駅しゅくえきやらをいくつも作っててよ。道の整備が進むのはありがたくもあるが、そこを通るたびに金を寄越せと言われちまったら、たまったもんじゃねえ」


 店主の愚痴を聞きながらダワは口の片端をあげ、話の区切りと同時に、へえ、と笑った。


「それはまた、サマクッカはいい資金源を手に入れたもんだね。砂漠の交通路を押さえたとなれば、一体どれだけの隊商がそこを使うことになるやら。また当分は東に帰るのはやめとこうかな」


 ダワは考えるように頬杖を突き、上目を遣って店主を見た。


「でも、サマクッカが砂漠の東半分を手に入れたのは結構最近だろう? 町を作るったって、そんなすぐすぐに体裁が整うものなのかい」


 素朴な疑問を装って問うてみれば、店主は口を歪めて眉間の皺を深くした。


「おれに聞くなよ。知るわけねえだろ、そんなこと。占領した土地だし、資材さえ揃えば人足は足りてんじゃねえか」

「それは確かにありそうだね」


 砂と岩しかない砂漠の真ん中で、町を作り上げるだけの資材の入手は大変困難なはずだ。その資材の出どころがすべてハルバラドであるとするならば、熱帯林の大規模伐採も説明がつくように思われた。

 あとは裏付けをどうとるべきかと考えながら、ダワはしばらく当り障りのない会話を続け、適当に席を立った。


「邪魔したね。また来るよ」


 荷物を重たげに持ち上げるダワに向かって、店主は軽く手を上げた。


「ああ。いいものができたらまた持って来いよ。お前の作ったのは評判がいいんだ」

「そうするよ。ありがとう、おやっさん」


 ダワは荷を背負ってから軽く手を振り返し、売台の間を縫って店を出た。

 食料品店ですぐに食べられるものを調達し、市場を出た時には、濃紺の空に無数の星が出ていた。砂漠の夜の外気はひんやりと冴え、昼間との気温差に身震いする。二の腕をさすりながら、ダワは北へ方角を定めて歩き出した。

 月は出ているがごく細く、さやかなきらめきが降り注ぐかのような星夜だった。町の中心から離れるごとに灯りは減り、闇が濃度を増していく。黒の上にぼんやりと浮かぶ砂色の壁が連なる砂利道を早足に進みながら、ダワはわずかに首を曲げて、横目に背後を伺い見た――市場を出てからずっと、足音が一つ、後ろから聞こえていた。


 ダワがさらに足を速めると、背後の足音も同様に速さを増したように思われた。すでに屋外の人気ひとけは絶えており、ついて来る足音を紛うことはない。引き離すことはせず、速度を保ったまま、ダワは角を曲がってより暗い路地へと身を滑り込ませた。体ごと振り向いて、その場で尾行者を待ち構える。ダワの姿が見えなくなっても足音に焦った様子はなく、もしかしたら当てが外れただろうかと首をひねった。だがそれほど待つことなく、路地の角に男が姿を見せた。

 大変背の高い男だった。ダワは背の高い方ではないが、相手は頭二つ分近く見上げる位置に顔があるように思われる。長身な者の多いディーリアに行ったとしても、一つ抜き出た高さがあるだろう。頭に日除けの布を巻いたままの男の顔は暗がりではっきり見えなかったが、暗色の瞳の中で朱や緑の光が揺らめいた気がした。


「お兄さん、おれになにか用?」


 いつでも逃げ出せるよう、後ろへ引いた足に力を込めながら、ダワは自分から声をかけた。ダワの待ち伏せに男は特に驚いた様子もなく、目を細めて苦笑のようなものを浮かべた。


「すみません。ずいぶん風に好かれてらっしゃる方がいるなと思いまして。声をかけてよいものか分かりませんでしたので、つい」


 柔らかな口調で謝罪する相手に不信感を募らせ、思わず眉をひそめる。


「男に好かれる趣味はないんだけど、用件があるなら手短に頼めるかな」


 男は笑みを淡いものに変え、警戒を隠さないダワを見据えた。男の多彩な色を見せる眼差しが、ダワの目からやや下へと逸らされる。束の間の無言のあと、彼はごく抑えた声で言った。


「その、首から下げているものはなんですか」


 ダワははっとし、口を引き結んだ。見詰める男の瞳が揺らぐことはなく、見透かすような静けさだけをたたえている。誤魔化しは意味をなさないだろうことを悟り、ダワはためらいつつも、襟に手を入れて銀の鎖を引っ張った。引き出された黄色い石は、青い闇の中で色を褪せさせてはいるものの、星明りを映してきらめいた。

 男の目がさらに細められた。笑みは消え、眉間と口元に厳しさを覗かせる。彼が次に発した声は、一音低いものだった。


「その石は、どこで手に入れたものですか」


 ダワは深呼吸した。おそらく、この返答を間違えてはいけない。


「ある女の子からの借りた大切なものでね。返さないといけないから、欲しいと言われてもあげられないんだ。ごめんね」


 薄く笑ってダワは言ったが、男の表情は変わらなかった。目だけがわずかに上へと動き、ダワの目線を通り過ぎた位置で止まった。

 男の腕がゆっくりと持ち上げられた。ダワの頭上に手がかざされ、思わず身構える。だが、その手はダワに振り下ろされることも触れることもないまま、再び静かに下ろされた。


「嘘を言っているわけではなさそうですね。あなたは、南から来たんですか」


 相手の意図を図りかね、ダワは胡乱な目で見上げた。ダワの思うところを察知してか、男は困ったように相好を崩した。


「そんなに警戒しないでください。おそらくわたしは、あなたの言う女の子の関係者です」


 言いながら、男は頭に巻いていた布を解いた。彼が頭を振れば、布に押し込められていた癖の強い髪が頬に落ちかかる。彼の髪は、夜闇の中でもそれと分かるほど、鮮やかな緑色をしていた。笑みの形に弧を描く瞳が動きに合わせて色を変え、正面から見た時の青紫は見覚えのあるものだった。

 呆気にとられるダワに向かって、男は小さく腰を折った。


「ニーナの祖母ジュリアに仕えるルーペスと申します。少しだけ、お話を伺えますか」

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