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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第4章 森の守り手

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16 慕情

 シルキーは感じ取ったものに息をのみ、俯けていた顔を上げた。勢いのままに立ち上がり、なにかを見出すように虚空を見詰める。同じ天幕の中、入口付近に立っていたエリヤが驚いて顔を向け、テーブルを挟んで座っていたダワも訝しむ声で言った。


「どうした?」


 だがその問いかけは、シルキーには届いていなかった。彼女の瞳は天井の向こうにあるものを映し、揺らぐ。


「火が……」


 シルキーの無意識の呟きを聞きつけて、ダワの眉がひそめられる。全身に震えが走り、シルキーはその場にがくりと膝を突いた。


「シルキーっ」


 素早く立ち上がって身を寄せたダワに支えられ、手を突くまでには至らなかったが、シルキーは力なくうなだれた。血の気をなくす彼女に、エリヤも焦った様子で駆け寄って来る。


「大丈夫か。どこか具合でも――」


 心配するエリヤに、シルキーは強く首を振った。


「火が……火の方が、行ってしまった……っ」


 遠ざかる気配に、シルキーの胸を絶望が満たす。途端に涙が溢れ、シルキーは顔を覆った。


「やはり、駄目なのですか。ニーナ様の願いを叶えることも、許されないのですか……」


 無力感にさいなまれ、シルキーは嗚咽に息を詰まらせた。取り乱す彼女をなだめるように、ダワは肩を抱いた。


「シルキー、落ち着いて。ニーナになにかあったのか」


 力強い腕を感じて、震えながら顔を上げれば、気遣わしげなダワと目が合う。その視界の端にエリヤを見付けて、シルキーはそちらに顔を向けた。


「エリヤ様……」


 かすれる声で呟きエリヤを凝視すると、シルキーは唇を噛んで、ダワの腕を振り払った。そして、自分の意地もプライドもかなぐり捨てて、エリヤの前に両手を突いた。


「エリヤ様、今すぐニーナ様のところへ行ってください」


 シルキーの突然の行動に、エリヤはぎょっとした様子を見せる。シルキーは構わず、地面に額を擦り付けるように頭を下げた。


「もう、あなたしかいないのです。……わたくしでは駄目なんです。お願いします。どうか早く、ニーナ様のところへ!」

「だが、君は……」

「行きな」


 ためらうエリヤの言葉を、ダワが遮った。ダワは顔を上げさせるように、シルキーを抱き寄せた。


「彼女はおれに任せて、君はニーナのところへ。シルキーがこれだけ取り乱すくらいだ。なにかあったに違いない」


 上体を抱き上げられるままシルキーが顔を上げれば、ダワが穏やかに微笑んだ。そして彼はエリヤに顔を向け、頷いて見せた。エリヤはまだ躊躇する様子があったが、心を決めたように表情を引き締め、背中を向けた。

 エリヤが天幕を出て行くのを見送り、シルキーは再び俯いた。堪らず、涙がこぼれる。嗚咽をもらすシルキーの肩を、ダワが抱き締めた。


「大丈夫。ニーナはそんなに弱い子じゃない。君が一番分かっているだろう? 大切なら、なおのこと信じてあげようよ」


 潤んだ瞳で、シルキーはダワを見上げた。


「ダワ様……」


 彼は今まで見せた中で一番優しい表情をしていた。不思議と、動揺していた感情が静まって来るのを感じる。シルキーはゆっくり呼吸すると、ダワの腕の中で目を伏せた。


「そうですね――わたくしが、ニーナ様を信じなくては。ニーナ様も、わたくしを信じてくださっているのですから」

「信頼には、信頼で答えないとね」

「――はい。ありがとうございます」


 シルキーが目を閉じたまま祈るように言うと、そっと髪を撫でられた。そしてしばらくの間の後で、唇に柔らかなものが触れるのを感じた。




 * *




 シルキーに言われるまま、ニーナがいるはずの天幕までやって来たエリヤだったが、入口の前で再び躊躇していた。中の様子は見えないが、妙に静まり返っている。本当に人がいるのか危ぶみながら、エリヤは呼吸を整え、入口の布に手をかけた。

 中にいたのは、少女一人だけだった。馬鹿なと思い視線を巡らせたが、彼女と一緒にいるはずの若者の姿はない。少女は取り残されたように深く俯き、薄暗い天幕奥に据えられた寝具の縁に、力なく座り込んでいた。重く垂れたプラチナの髪に隠れ、表情は見えない。だが、自分がまったく彼女の意識に入っていないことが、エリヤには分かった。

 入口の布を下ろし、少女に歩み寄った。すぐそばまで寄っても、彼女が顔を上げる気配はない。


「ニーナ……」


 膝を突き、名前を呼んでみたが、それ以上言葉が続かなかった。痛みを伴う沈黙の中で、油の切れかけた灯火だけが小さく音を立てる。

 その静寂が、不意に破られた。


「……エリヤ」


 聞き取れるか否かのかすかな呟き。はっとするエリヤの目の前で、ニーナの肩が震えた。


「馬鹿は、あたしだ……」


 俯いたまま、ニーナは絞り出すように言った。


「カディーは違うんだって、分かってるつもりだった。でも、結局分かってなかった。あたし、それでもいいって、言えなかった……だから、カディーは……」


 ニーナは声を詰まらせ、表情を隠す前髪の隙間から雫が落ちた。


「……どうしてあたし、カディーを傷付けることしかできないんだろう。あたし、最低だ……最低だっ」


 ニーナが顔を覆って泣き崩れる。その姿に我慢ならず、エリヤは衝動的に少女を掻き抱いた。

 少女は声を張り上げることはせず、ひたすらに泣きじゃくった。彼女の痛みと悲しみが直に伝わるように、エリヤの胸の辺りがじわりと熱くなる。嘆きに煽られ、エリヤの感情までが抑えようもなく逆巻いた。


「……忘れてしまえばいい」


 耳元で低く囁いた。だがニーナには届かなかったのか、泣き止むことはない。唇を噛み、エリヤは息を吸い込んだ。


「忘れてしまえばいいんだ! 泣くくらいなら、あんな男のことは忘れてしまえばいい」


 エリヤが叫んだ瞬間、ニーナが喉を引きつらせて泣き声を途切れさせた。それで彼女を驚かせてしまったことが分かったが、噴き出した感情は止まらない。湧き上がるのは、さっきまでこの場所にいただろう男に対する怒り。自分ならば、大切だと思う人をこんなに泣かせはしない。


「君を置き去りにするような男、いつまでも思う必要はない」


 きつく抱き締めて言えば、ニーナの肩が切なく揺れた。


「……そんなの、無理よ」


 ニーナの手がエリヤの胸を押し、体が離れた。少女の拒絶に、心臓が引き絞られるような痛みが走る。エリヤが腕を離すと、彼女はうなだれたまま言葉を続けた。


「カディーは家族だもの。忘れられるわけない。カディーを忘れるってことは、ロイにおばあちゃん、お父さんと、お母さんのことまで忘れるってことよ。……できるわけないじゃない。家族の思い出には、必ずカディーがいるの」


 泣きながらもどこか責めるニーナの口調に、エリヤは失言に気付いた。今のエリヤの言葉は慰めではなく、自分の気持ちを押し付けただけだ。気付くと共に急速に冷静な自分が戻って来て、エリヤはためらいつつも、もう一度、今度は極力優しく少女の頭を抱き寄せた。


「今のは、わたしが間違っていた……申しわけない」


 謝罪にニーナは反応しなかったが、エリヤを突き離そうともしなかった。大人しくエリヤの腕に身を預けて、嗚咽と共に時折しゃくりを上げている。長い時間そうしてじっとしていたが、やがてぽつりと、エリヤは吐き出した。


「――わたしでは、駄目なのか」


 ニーナを抱く腕の力を、わずかに強めた。


「カディーの代わりでも構わない。わたしがそばにいることで、君が泣かずに済むのなら、わたしはいつまででも君と共にいよう――それでは、駄目だろうか」


 ふつりと、嗚咽が止まった。体を離して顔を覗き込めば、ニーナは虚を突かれたように目を見開いていた。エリヤが目を合わせていると、彼女は徐々にまごつく様子で瞳をさまよわせた。


「そんな……そんなの、駄目よ……エリヤに悪い」


 狼狽えるニーナの髪に指を差し入れ、エリヤは微笑んだ。


「わたしがいいと言っているんだ。なにも悪いことはない――君が好きだ。君が泣いていることの方が、わたしにはずっと耐えられない」


 揺れていたニーナの瞳が、ようやくエリヤをとらえた。琥珀色とはしばみ色の眼差しが、真っ直ぐに交わる。見詰め合いながら、エリヤは引き付けられるように顔を寄せた。唇が重なっても、少女は嫌がる素振りを見せなかった。


 数度ついばむように口付けた。口付けは少しずつ長くなって行き、やがて舌を重ね合わせると、切ない吐息がもれて、体温が上がった気がした。唇を押し付けるのに合わせて体ごと力を込めれば、わずかな抵抗の後で、少女の体が寝具に倒れた。

 若者がわずかに体を浮かせて唇を離すと、少女の潤んだ眼差しと出会った。


「エリヤ、あたし……」


 やや頬を染めたニーナの髪を、エリヤは感触を確かめるように掻いた。


「君を泣かせたくない。いやだったら言ってくれ」


 真心を尽くして言えば、ニーナは恥じらうように目を伏せた。


「……いやじゃない」


 消え入るほど、かすかな囁きだった。若者は安堵して微笑み、身を沈めて、愛しい少女に深く深く口付けた。

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