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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第4章 森の守り手

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13 震える森

 地を這うような重低音が大地を震わせた。音の方角に顔を向ければ、森から鳥が一斉に飛び立ち、土煙が立ち上るのが見えた。


「始まった!」


 空の高みから、これから起こることを見極めていたニーナは、叫ぶと同時に身を翻した。波打つ緑の上を走り、霞んでゆく黄色い煙を目指す。空気に溶けた硫黄の臭いが流れて来て鼻腔を刺し、眉を寄せた。

 また別の場所で爆発が起こった。同時に、トロールの悲鳴が耳の一番奥を震わせる。ニーナが肩をわななかせると、シルキーが隣で囁いた。


「ニーナ様、焦ってはいけません。一番守るべきは御身です」

「分かってる」


 短く答えて、ニーナは一直線に空を駆けた。轟音とトロールの悲鳴の間に聞こえるのは、人が叫び交わす声。騎士に先導されて、兵達は数種の爆弾を駆使し、トロールを熱帯林の外へと追い立てて行く。密林の途切れた場所に目を向ければ、いくつもの大筒が並べられ、彼らを待ち受けている。

 ニーナは覚悟を決めて、口を強く引き結んだ。


「シルキー」

「はい」


 返事と共に、シルキーが動いた。

 風が強く木々を揺らし、高密度の熱帯林が波のように高くうねる。風は森の外へと抜け、ゆっくりと渦を巻き始める。ニーナの胸元で四連の精霊石が日の光にきらめき、その内の、緑の石の中で淡い光が躍った。

 シルキーの風の中に砂の流れる音を感じて、ニーナは意識を集中させた。息を吸い込み、言葉を乗せる。


《――飛べ》


 地面の砂が一気に舞い上がった。風に乗った砂塵が、木々の隙間を走り抜ける。トロールを追い立てる兵達の間を駆け、足下から取り巻いて行く。

 瞬間、砂の柱が立ち上がった。風の力を得て、爆発の土煙も巻き込み、吹き荒れる砂の嵐が兵達を飲み込む。砂は密度を増して彼らの行く手を阻み、視界を奪った。

 男達が驚き叫び合うのが聞こえたが、ニーナはひるまなかった。これで簡単には動けないはずだ。このまま一時的にでも退いてくれればい。誰かを傷付けたくはない。

 討伐隊の足止めをしながら、ニーナはトロールのための道を開いた。木々の枝葉をわずかに避けさせ、熱帯林の奥地へといざなう。トロールが討伐から逃れるのを見やりながら、ニーナは一度息を吐いた。まだ、気は抜けない。

 再び、爆発音が轟いた。トロールのための道で煙が上がり、ニーナは青ざめた。驚いたトロールが向きを変え、森の外を目指してしまう。

 恐慌して木々をなぎ倒しながら突き進む巨躯の向こうに、砂嵐を逃れた少数の部隊が見えた。彼らを先導する騎士に、ニーナは奥歯をかみしめた。


「エリヤの馬鹿」


 爆発が重なり、追い立てられたトロールが、密林の外へと一直線に向かう。


「そっちは駄目!」


 砂嵐をエリヤ達に差し向けたとしても、狂乱したトロールまでは止められない。ニーナは叫び、彼らの背を追った。

 岩に似た巨躯が木立を抜ける寸前、追い立てていた兵達が散って行く。森から飛び出したトロールは、自分を狙う無数の大筒を前に立ち尽くした。

 考えるよりも先に、ニーナの体は動いていた。


「ニーナ様!」


 後ろでシルキーが叫んだ。だが、今のニーナには届かなかった。少女は衝動のままに、墜落する速度で降下する。

 ニーナがトロールの前に降り立ったのと、いくつもの砲口が火を噴いたのは、ほぼ同時だった。


「ニーナっ!」

「ニーナ様ぁっ!」


 遠くで、エリヤの叫び声と、シルキーの悲鳴が聞こえた気がしたが、すぐに轟音で掻き消えた。自分に迫るものを感じながらも、体は動かない。ただ、守らなければという思いだけが、少女をその場に縛り付ける。

 視界が白い閃光に覆われ暗転する。全身が、炎の熱に包まれた。





 全身を覆い尽くす灼熱に、意識を手放すことさえできなかった。熱さに肌を焼かれながら、ニーナは、終わってしまった、と思った。末のイヴたるニーナの死は、そのまま星の終焉となる。やがて元素の加護を失った未熟な命が地上に満ち、星は緩やかに崩壊へ向かうだろう。

 炎の腕が体を締め付け、肌を焼く熱を遠くに感じる。

 そこで違和感に気付き、ニーナは現実に引き戻された。灼熱が去ると、肌に残るのは柔らかな温もりだった。覚えのある感覚に、伏せていた目を薄く開く。ゆるゆると顔を上げれば、多彩に輝く青紫の瞳と目が合った。

 炎の色の髪が視野で揺れた。それをニーナは、信じられない心地で見詰めるしかできなかった。


 誰もが今起こったことが理解できずに立ち尽くす中で、彼は静かにニーナから離れた。癖のない緋色の髪が肩を滑り、日差しに揺らめく光を放った。


「カディー……」


 恐々と、ニーナは彼の名を呼んだ。反応するように、彼の青紫の目が細められる。どうやら本当に、幻でも見間違いでもない。しかし胸を去来するのは再会の喜びではなく、なぜ、という疑問だった。

 以前はいつも括っていた髪が伸びるままになっているのに違和感を覚え、彼がぼろぼろの服を着ていることにニーナはようやく気付いた。白いシャツはあちこちが黒く焦げ、場所によってはすっかり焼け落ちてしまっている。だが、そこから覗く肌は火傷一つなく、滑らかなままだった。

 見れば、彼の足元では真っ赤な液体となった鉄が溶け広がり、地面を焼いていた。


「ニーナ様っ!」


 叫ぶ声がして、蒼白なシルキーが駆け寄って来た。彼女に腕をつかまれて、ニーナはやっと我に返った。


「ニーナ様、あなたという方は……っ! お怪我は? どこか痛むところはありませんか」


 錯乱したように取り縋るシルキーに、ニーナはどうにか落ち着かせようと笑みを向けた。


「大丈夫、なんともないわ。……彼が、助けてくれたから」


 安心させるように言うと、シルキーは呆けたようにニーナの顔を見た。すると不意に涙ぐみ、きつくニーナを抱き締めた。


「よか……っ、よかった……っ!」


 ニーナの肩に顔をうずめて、シルキーは堰を切ったように泣きじゃくった。物静かでも気丈な彼女が泣くのを見て、ニーナは心底申し訳ない気持ちになった。


「ごめんなさい、シルキー。あたしは無事よ。だから、そんなに泣かないで」


 嗚咽を漏らすシルキーの背中を、ニーナはそっと抱いた。彼女はいつでも、ニーナのために無理をしてくれている。守ってくれているジンを、また傷付けてしまった。

 シルキーはやがて嗚咽を飲み込むと、意志の強い瞳でニーナを見た。


「こんなこと、もう許しません。二度とこんな無茶はしないと、どうか誓ってください」


 シルキーを見詰め返して、ニーナは頷いた。


「ええ、もうしない。ごめんね、シルキー。これは全部あたしのせい。あなたは悪くないのだから、自分を責めないで」


 不安な表情を見せるシルキーの乱れた髪を、ニーナはそっと撫でた。


「今のは君の責任だ」


 静かな声に、ニーナとシルキーは同時に振り向いた。燃える前髪の奥の瞳は、冷たい色でこちらを見ていた。


「彼女を守るのが君の役目。だから、今、彼女を守れなかったのは君の責任だ。彼女を守りたければ、決して手を離してはいけない。いいね」


 低く響く若者の声に、シルキーはゆっくりと口の端を引き結んだ。彼と同色の瞳の奥で、感情の色が揺らめく。


「あなたが……あなたがそれを言いますか!」


 ニーナは驚いてシルキーを見た。彼女が声を荒らげるのを聞くのは初めてだった。


「確かにわたくしは、力ではあなたに及ばないかもしれません。ですが、わたくしはニーナ様のジンです。それが誇りであり、気持ちで劣るとは思いません。あなたは自らに与えられた役目をまっとうもできず、あまつさえ逃げ出し、隠れ、放棄した。そんなあなたに、責められるいわれはありません」


 今までになく感情的なシルキーを、ニーナは呆然と、若者は無表情に見ていた。


「言いたいことはそれだけ?」

「なっ……」


 なにも感じていないかのように若者が返し、シルキーの顔が怒りに赤らんだ。だが絶句するばかりで、それ以上言葉が出て来ない。シルキーが言葉を継がないと見ると、若者は黙って背中を向けた。彼が立ち去ろうとするのを見て、ニーナは慌てて手を伸ばした。


「待って! 待っ……」

「お待ちください!」


 ニーナよりさらに前に出て、シルキーが声を張り上げた。そして行く手を遮るように、若者の正面へとまわる。睨むような少女の眼差しを、彼は沈黙で受け止めた。

 シルキーが深く息を吸い込んだ。


「あなたはもう、ジンではありません。ジンと同等の力を持つというだけの、ただの火です。……ですが、ニーナ様はあなたを求めていらっしゃる」


 肩を震わせて、シルキーは一度言葉を区切った。


「……ほんの、一時いっときでもいいのです。どうか、おそばにいて差し上げてください。……お願いいたします」


 最後の方は、かすれるほど小さな声だった。自尊心さえ投げうって、シルキーは頭を下げた。


「お願いです。今だけでも、ニーナ様のおそばに……」


 唇を噛み締めて頭を下げるシルキーを、若者は感情のこもらない瞳で見詰めた。




 * *




 想定外の事態に、その日のトロール討伐は中止が決まり、砦に戻ることになった。負傷した兵もあり、その手当もしなくてはならない。一度は追い詰めたトロールも姿を消してしまい、ディーリア軍の初陣は成果なく終わった。

 列をなして砦まで向かう道すがら、エリヤはちらと斜め後方を見やった。多くの人の中にあって否でも目に付く赤の色彩。長らく姿を消していた若者の出現に、エリヤはひどく動揺していた。一年以上前に北のフォルワース領主館で消えたはずの彼が、なぜこんな南の果てに現れたのか。

 その若者のすぐ隣を、プラチナ色の少女が歩いている。彼女の反応もまた、エリヤは解せなかった。

 ニーナは誰よりもカディーとの再会を望んでいた。そのはずの彼女が喜ぶこともなく、ただ黙って歩いている。むしろ、どこか思い詰めたようなその顔は、心なしか青ざめていた。


 歩を緩めて、エリヤは列の後方へと下がり、カディーの横へ並んだ。カディーは気付いているはずだが、ちらともこちらを見なかった。それに少々むっとしつつも、エリヤは構わず話しかけた。


「砦に着いたら、まずわたしの天幕へ来い。聞きたいことは山ほどあるが、その服を着替えるのが先だろう」


 エリヤが焼け焦げだらけの服を差して言えば、カディーはようやく視線を向けて来た。


「……分かった」


 囁くほどの声でカディーが答えるのを聞き、エリヤはニーナに視線を移した。今の会話は聞こえていただろうが、彼女は変わらず俯き気味に歩いている。声をかけようかとエリヤは口を開きかけたが、結局なにも言えずに口を閉じた。

 砦に着くと、ニーナ達は彼女らの天幕に待たせて、エリヤはカディーだけを自分の天幕へと呼んだ。荷物から着替えを引っ張り出し、天幕中央に黙って立つカディーへ投げ渡す。


「わたしのでいいな。サイズは合うはずだ」


 着替えを受け取ったカディーは、わずかに考えるような間の後で、おもむろに焼け焦げたシャツを脱いだ。彼の色白の体を見据え、エリヤは目を細めた。シャツは役目を果たさないほど焼けているのに、その肌は火傷どころか傷一つない。生地が完全に燃え落ちていた背中でさえ白いままだ。

 放たれた砲弾の向かう先にニーナがいるのを見た時、正直生きた心地がしなかった。だが次の瞬間になにが起きたのか、エリヤを含めた誰もが分からなかったに違いない。ニーナが突然、巨大な火柱に包まれ、それが消えた時には無傷のニーナと、カディーがそこにいたのだ。

 どう考えても普通ではない。だがそれ以上に、エリヤの中でくすぶるものがある。

 灯火に艶めく赤い髪をエリヤがじっと見ていると、着替えを終えたカディーが呟いた。


「言いたいことがあるのなら言えばいい」


 カディーがエリヤの目を正面から見返し、エリヤもその瞳の底知れない光を見据えた。


「なぜ、今になってニーナの前に出て来た」


 思った以上に声が強張ったが、どうにか平静を装った。カディーは動じたようには見えなかったが、遠くを見るように視線を逸らせた。


「出てくる気はなかった。でもそれ以上に、ニーナを失うわけにはいかなかった」


 静かに言ったカディーの言葉に、エリヤは一瞬で頭に血が上った。感情のまま手を伸ばし、彼の胸倉をつかみ上げた。


「それならなぜ消えた」


 悔しさにも似た感情が押し寄せ、自然と語気が強くなる。


「そんなにニーナが大事なら、どうして彼女を置いて行くようなことをした。あの後、ニーナがどれだけ苦しんだか、分かっているのか」


 すると、ここに来て初めてカディーの表情が動いた。眼差しが睨む鋭さになり、顔が険しく歪む。


「ぼくだって望んでそうしたわけじゃない。でも、どうしようもなかった」


 急にカディーが強く言い、エリヤは彼の胸倉をつかんだまま口をつぐんた。


「ぼくらは使い捨てなんだ。いくらでも代替がきく――本来なら、ぼくはあのまま完全に消されていた」


 カディーの言葉の不穏さに、エリヤは目をすがめた。


「貴様……なにと関わっている。それはなんの組織だ」


 カディーが、息をもらすように冷笑した。


「君の父親も、ぼくに同じことを聞いた」


 はぐらかすカディーに手を上げそうになるのを、エリヤはぐっと堪えた。


「そんなことはいい。答えろ」

「女神の定めた、この星のことわり。だれも覆すことはできない」

「真面目に答えろ」

「真面目さ。これ以上の真実はない」

「……もういい」


 彼に答える気がないのだと判断したエリヤは低く言い、突き放すように手を離した。襟を整えるカディーに背を向けて、天幕の出口へ向かう。外へ出る前に、一度足を止めた。


「ここで待っていろ――せめて、彼女には真実を話せ」


 振り向かずにエリヤが言えば、背後で息を吐くのが聞こえた。


「……そうだね。彼女がまだ知らない真実を、ぼくは伝えるべきなのかもしれない」


 その声は返答というよりも、独白に近い気がした。カディーがどんな顔でそれを言ったかは見ないまま、エリヤは天幕を出た。このままここにいては、彼に殴りかかってしまいかねなかった。

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