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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第1章 ディザーウッドの少女
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4 森の住人

 着替えを済ませた二人が居間に戻ると、気付いた婦人が振り向いて微笑んだ。


「お二人共カディーのサイズでちょうどですね。よかった」


 二人が借りた服は木綿と亜麻でできており、彼らが普段着ている上等なものとはかけ離れた、ごく質素なものだった。だが長身な二人が着ても問題ないだけの丈があり、綺麗に洗濯がされていて着心地は悪くない。


 婦人が小股に駆け寄って来たのでエリヤは改めてお礼を言おうとしたが、彼女が先に口を開いた。


「濡れた服はお預かりします。炉の近くに吊るしておけばすぐに乾きますから」


 心遣いに、エリヤは笑みをこぼした。


「なにからなにまでよくしていただいて、本当にありがとうございます」

「いいえ」


 婦人がにこりと微笑む。年齢を刻む目元の皺が、飛び切り感じよかった。


「そういえば、名乗りが遅くなりました。わたしはエリヤ・ハワード。それでこっちが」

「ニコラス・ヘネシーです。どうぞお見知りおきを」


 二人が名乗ると、婦人はいかにも驚いた様子で口に手を当てた。


「ハワードというと、もしかしてフォルワース伯爵様の?」


 驚かせてしまったことに、エリヤは複雑に笑んだ。


「ええ、まあ」

「でしたらこんな粗末な服、かえって失礼だったのでは……」


 とんでもない、とエリヤは首を振った。


「迷惑をかけているのはこちらですし、こんなによくしていただいてとても感謝しています。今はなにも持ち合わせていませんが、屋敷に戻ったらまた改めてお礼をさせてください」


 エリヤは本心から言ったが、婦人がやや表情を陰らせた。


「それは……やめておいた方がいいと思います」


 遠慮とは少し違った響きを感じて、エリヤはどうしてかを尋ねようとしたが、その前に婦人が言葉を次いだ。


「あたしはジゼル・パーカーです。まだしばらく雨は止まないでしょうから、どうぞゆっくりして行ってください」


 濡れた服を取り上げた婦人は、それを干すためにまた炉の方へ歩いて行った。

 パーカー夫人の様子にエリヤとニコラスは顔を見合わせたが、彼らを呼ぶ声がありすぐ向き直った。


「そんなところに立っていないで、兄ちゃん達もこっちに座りなよ」


 今の会話を聞いていただろう少年は、しかしなにも気にした風もなく二人を手招きした。テーブルについていた彼は自分の向かいの席を示し、二人が座ると満足げな様子で、わずかに浮かせていた腰を落ち着けた。


「おれ、ロイって言うんだ。兄ちゃん達は、エリヤとニコラスでいいんだよね」


 屈託のない少年に、エリヤの表情は自然と優しくなる。


「ああ、そうだ。君にも感謝しないとな。あそこで君に会えなかったらどうなっていたことか」

「まったくだ。危うくエリヤと心中するところだ。最期の瞬間を共にするなら、やはり男でなく美姫であって欲しいものだな」


 エリヤは呆れて友人を見やった。


「ニコラス、子供相手にそういう話はよせ」


 二人が普段の調子で言い合っていると、それぞれの前に湯気を立てるマグが置かれた。ロイが真っ先に自分のマグに手を伸ばし、息を吹きかけながら中身を一口飲んだ。


「お口に合うか分かりませんが、よろしければどうぞ。体が温まりますよ」


 パーカー夫人に勧められて、二人もありがたくご馳走になった。マグの中身は、豆を使ったとろみあるスープだ。生姜がわずかにきいており、体の芯に火がともったように温かくなる。屋敷では口にすることのない素朴な味わいに、二人は舌鼓を打った。


 パーカー夫人は炉の近くに椅子を一つ持っていくと、炉の灯りを頼りに繕いものを始めた。

 それを待っていたように、ロイが椅子の上で膝立ちになり、エリヤ達に顔を寄せた。その目は、年相応の好奇心で輝いている。


「ねえ、兄ちゃん達って森の外の人だよね。あんなところでなにしてたんだ?」


 エリヤはテーブルに腕を乗せ、くつろいだ姿勢で答えた。


「わたし達は狩りをしていたんだ」

「狩り? ああ、だから弓なんて持ってたんだ。そういえばディザーウッドの縁の方はいい猟場で、巻き込まれると危ないからあまり行くなってカディーが言ってたな」


 思い出す表情でロイが言うと、ニコラスがやや気になった様子で会話に入った。


「そのカディーという男は不在なのか? 我々は服まで借りてしまったようだか」


 ロイは頷いた。


「カディーは今、町まで買い出しに行ってるんだ。今日帰ってくるはずなんだけど、この雨だから遅くなるかもなぁ」

「君の父親なのかい?」


 エリヤが純粋に問うと、少年はおかしがって笑った。


「違う違う。カディーは兄ちゃん達と同じくらいの歳だし、父さんはおれが赤ん坊の頃に死んじゃってるしさ。この家で大人の男はカディーだけだから、家の外のことで、おれや姉ちゃんだけじゃできないことをしてくれてるんだ」

「やはり君には姉君がいるのだね!」


 突然ニコラスが身を乗り出し、押し退けられたエリヤは椅子をひっくり返しそうになって慌ててつま先で持ち堪えた。ロイはニコラスの反応に一瞬ぎょっとした表情をしたが、すぐに答えた。


「いるよ。そういえば姉ちゃん遅いな。どこまで行ってるんだろう」


 直後――噂すればと言うかなんと言うか――扉が乱暴に開いて家に駆けこんでくる者がいた。テーブルの三人が思わず目をやる前で、その者は大きな音を立てて扉を閉め、悪態をついた。


「もうっ。どうして今日はこんなにツイてないのよ」


 水が絶え間なく滴るプラチナの髪を、少女はいかにも不機嫌に掻き上げて束ね、水気を絞った。さらに大胆に、濡れて足に張り付くスカートを短くたくし上げてきつく絞る。

 炉の前に座っていたパーカー夫人が、繕いものを椅子に置いて立ち上がった。


「まあニーナ。ずいぶん遅かったじゃないかい」

「おばあちゃん、ちょっと聞いてよ。さっきね……」


 答えながら顔を上げたところで、少女の言葉と動きがぴたりと止まった。琥珀色の視線と、はしばみ色の視線が交差する。正面から目が合ってしまって、どう反応したらよいか分からず、エリヤは硬直して彼女を見た。


 束の間見詰めあっていたが、少女が先に我に返り、たくし上げていたスカートを慌てて戻した。少女は柳眉を逆立て、リネンを持って歩み寄ってきたパーカー夫人に詰め寄った。


「ちょっと、おばあちゃん。どういうことよ。なんであんなのがカディーの服を着て家にいるわけ?」

「お客様に失礼をお言いでないよ」


 夫人は窘めながら、少女の濡れた髪にリネンを被せた。


「雨に降られて困っていらしたんだ。放っておけないだろう? 不満は後でいくらでも聞いてあげるから、とにかく髪を拭いて早く着替えておいで」

「でも、おばあちゃん」

「自分の格好をよく見なさい。殿方が困っておいでだよ」


 言われて、少女は濡れ鼠になった自分の姿を見下ろし、口を尖らせて沈黙した。そのまま彼女が視線だけでこちらを見たので、エリヤはやや気まずい心地で目を逸らした。


「分かったわよ」


 少女は不服そうに答えると、テーブルを避けるように遠まわりして、奥の梯子を上っていった。

 その後ろ姿を見送ってから、パーカー夫人はエリヤ達に向き直った。


「すみません。見苦しいところをお見せして」

「いえいえ、とんでもない」


 機嫌よく返したのはニコラスだった。


「とても快活で清々しいお孫さんだ。後ほどゆっくりご挨拶させていただけたら光栄だ」


 ニコラスの満面の笑みに、夫人は微苦笑を返した。


「ニーナにお二人の事情を話して来ますね。なにかあれば呼んでください」


 ゆったりとした動作で奥へ向かい、夫人も階上へと姿を消した。


「水も滴るいい女、といったところか」

「ニコラス、そんな俗な言い方はよせ。失礼だろう」


 エリヤは咎めたが、ニコラスが気にするはずがなかった。それどころか、なにかを企むような意地の悪い笑みでこちらを見てくるので、エリヤは不快に顔をしかめた。


「なんだよ。気持ち悪い。わたしの顔になにか付いているか?」

「分かり切ったことを言わせるな。まさかこんなに面白いことになるとは思わなかった」

「なにが言いたい」

「ロマンスさ」


 ニコラスはまるで歌うような身振りをした。


「君の犬が麗しい乙女を驚かしてしまった時から始まっていたのだ。わたし達は彼女の弟に救われ、辿り着いた家には行方不明になっていた犬がいた。そして、そこで乙女と再び出会う――これの意味するところは一つだろう」

「だからなんなんだ」

「運命と呼ばずになんとする」


 エリヤは鼻で笑った。


「くだらない。ただの偶然だよ」

「運命とは偶然の重なりだ。これを機会に君ももう少しご婦人に興味を持ったらどうだ」


 二人のやり取りを奇妙そうに眺めていたロイが、頬杖を突いて会話に割って入った。


「兄ちゃん達、姉ちゃんを知ってたの?」

「その通りだ、ロイ君。我々は彼女を探していたんだ」

「真に受けるなよ、ロイ。この男は大抵いい加減なことしか言わない」


 二人の会話をいまいち理解していないらしいロイにエリヤが釘を刺すと、ニコラスは心外とばかりに腕を組んだ。


「わたしは真実しか言わないぞ」


 しかしニコラスが憤然としたのは一瞬で、すぐに上機嫌を取り戻してエリヤの目を覗き込んだ。


「役者は揃っている。森の娘と伯爵家の御曹司。物語の題材として申し分ない。身分違いの恋となれば燃え上がること必至だ。カディーという名のライバルはすでに確定しているようだが、それもまた物語を盛り上げるいいアクセントだろう」


 エリヤは呆れ返って肩をすくめた。


「付き合いきれないな。君はどうしてそう妄想が好きなんだ」

「ほほう」


 エリヤのすげない態度に、ニコラスは見下すように胸を反らせた。


「なら宣言してやる。ここで手をこまねいたら、君は後で後悔することになるぞ」

「しないよ、後悔なんて」


 少し意地になってエリヤが言い返すと、ニコラスはテーブルに片肘を突いて不敵に笑った。


「そう言っていられるもの今の内さ。わたしの予感は当たるのだ」


 自信満々にニコラスは請け合ったが、エリヤは鼻で笑って取り合わなかった。

 結局二人の話について行けず会話に入り損ねたロイは、若者達のやり取りを眺めながら、彼らがあまり姉の不興を買わなければいいなとだけ考えていた。機嫌の悪い姉の相手ほど、彼の手にあまるものもないのだった。




 * *




 濡れた服を着替えたニーナは、祖母が梯子を下りていく音を聞きながら、背中からベッドに倒れこんだ。

 ベッドの横では、小さな灯火が揺れている。ニーナは寝返りを打つと、薄暗い屋根裏で唯一灯された火を見つめた。若者達との予期せぬ邂逅による混乱が去ると、胸の中にあるのは重い苛立ちだけだった。


 彼らに個人的な恨みがあるわけではない。犬がニーナに跳びかかったのは彼らの落ち度であることに間違いないが、そもそも、カディーの帰りを待ち遠しく感じ、猟場と知りながら森の縁に近いところまで行ってしまったのは自分だ。


 彼らが、素直に自らの非を認めることのできる、誠実な若者達だろうことは感じられる。しかしニーナにとって問題になるのはそこではない。


 昼間に出会った時、鳶色の髪の若者は、マントを留めるピンを胸に付けていた。その金色の飾り部分に刻まれていた模様。あれは間違いなく、貴族が家の印として使う紋章だ。

 無数の家紋から、なにがどの家のものかを判別できるほどの知識はないが、自分が暮らす土地の領主の紋くらいはニーナでも知っていた。


 襟から手を入れ、いつでも身に着けている首飾りを服の中から引き出した。それを灯火にかざせば、先端の水晶で光が複雑に反射して金の飛沫が散る。

 一点の曇りもない無色の水晶。そこに絡みつく針金に通された金鎖がさらりと音を立てた。


 これはニーナを守ってくれるお守りだと、手渡してくれた母の顔が蘇る――それが、母の最期の言葉だったけれど。

 ニーナはにじむ涙を堪えると、首飾りを胸に抱くように握りしめた。


「……貴族なんか、大嫌い」

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