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翌朝、目を覚ましたニーナは朝食をとるために、シルキーと連れ立って宿の一階へ向かった。昨夜久しぶりに、我にもなく大泣きしてしまったせいか、なんとなく目が腫れぼったい気がする。階段を下りながら、ニーナは熱を持ったようにも感じる目元をこすった。
一階の酒場まで下り切り、席を求めて視線を巡らせたニーナは、ダワの姿を見つけて思わずシルキーの後ろに隠れた。彼は宿の入口に近い隅の席に座っており、すぐにこちらに気付いてにこやかに手を振って来た。お酒のせいとは言え昨夜の失態を思い出すと、ニーナとしてはダワと顔を合わせるのは大変いたたまれない。そのまま回れ右したいところだったが、シルキーが先に歩いて行ってしまったので、ニーナも渋々続いた。
「おはようございます」
「おはよう」
シルキーと挨拶を交わし、ダワはニーナにも笑みを向けた。
「ニーナもおはよう。気分はどう?」
ダワは自然に聞いてきたが、ニーナは心底気まずい心地だった。恥ずかしさに心なしか顔が熱くなるのを感じながら、ぼそりと答えた。
「平気……昨日はごめんなさい」
「気にしなくていいって。お酒の失敗で言うなら、可愛いもんだ。女の子に胸を貸すのも、男の仕事の内さ」
ダワがあっけらかんと笑うので、ニーナもようやく笑みを返せた。
ニーナ達の分もダワが席を取っていてくれたので、二人はそのままテーブルについた。少しすると、注文をしたわけでもないのに料理が運ばれて来た。豆とひき肉をたっぷりの香辛料で煮詰めたものに、薄いパンが添えられている。ダワも同じものを食べているところを見ると、どうやら朝食の内容は決められたものであるらしい。そう納得しながら、ニーナはスプーンを取った。
「二人は、今日発つのかい」
ダワの問いかけに、シルキーが頷いた。
「はい。朝食が済みましたら、すぐに発つ予定です」
「ずいぶんと急ぐんだね。せっかくだから、もう少しゆっくり観光していけばいいのに」
「色々と急を要するので、そうも言っていられないのです」
「そうか。それなら仕方ないね」
残念そうに言いながら、ダワはパンにひき肉を乗せてかじった。
「ねえ、ダワ」
意を決してニーナが呼びかけると、ダワは口をもぐもぐさせながら顔を振り向けた。
「ダワって、もっと南の方まで行ったことはある?」
口の中のものを飲み込んでから、ダワは応じた。
「南の方っていうと、例えば?」
「ええっと、ザウィヤ? だったかしら」
「ザウィヤだって」
ダワは驚愕して、素っ頓狂に言った。
「あんな南端の町まで行くのかい。なにしに行くか知らないけど、やめておいた方がいいんじゃないかなあ」
「どうして?」
ダワは顔をしかめて頬を掻いた。
「一度だけ行ったことがあるけど、正直なにもないよ。林業の町だからそこそこ人はいるけど、女の子が喜ぶようなものはなかったけどなあ。しかも今はトロールに襲われてひどいあり様らしいし。やっぱりよした方がいいんじゃないか。それこそなにがあるか分かったものじゃない」
ダワの言うことは、すでにニーナも承知していた。ニーナの目的は町よりもトロールの方であるのだが、あえて彼に伝えることでもない。
「もう一つ聞いてもいい?」
「なんだい」
「ダワは、南の火を知っている?」
「ひ?」
ニーナはまた少しだけ考えて言葉を選んだ。
「南の方の、大きな火」
「大きな火? 熱帯林で火事でもあったかい?」
よく分からない様子でダワは首を何度かかしげた。
デアベリーの宮殿で精霊から聞いた火の様子を伝えられないものかと、ニーナも頭をひねりながら説明する言葉を探した。
「火山とか火事とかとも違って、瞬間的に大きな火がわっと広がるような。しかも、それが何度も。そういうのを見たことはない?」
いまいち要領を得ないニーナの説明に、ダワは唸りながら頬杖を突いた。
「大きな火……なんだろう。瞬間的にってことはなにかの爆発? それが何度もとなると、爆弾とかかな」
「バクダン?」
「火薬を固めたものだよ」
「カヤクって?」
少し考えるような間を置いてから、ダワは答えた。
「炭と硫黄と硝石を混ぜた黒い粉なんだ。火を点けると一瞬で燃えて爆発を起こす。ほら、採掘場の発破とかでも使うだろう」
ダワがかみ砕いて教えてくれ、ニーナはやっとそれがなにか理解した。だが、それでも分からないことがある。
「それをどうするの?」
「東の国では、それを武器に使っているんだ。長さを調節した芯に火を点けて、敵に投げつける。すると、敵のところで爆弾が大爆発を起こす」
ダワはさらりと言ってのけたが、ニーナは背筋に冷やりとしたものを感じた。
「敵に投げつけるって……それって、人にぶつけるってことでしょう?」
「ぶつけるっていうのは少し違うけど。投げつけられて、あ、と思った時にはどかん。ものにもよるけど、戦闘で使われるようなのなら手足の一、二本は簡単に吹っ飛ぶかな。ハルバラドは最近、サマクッカ帝国から火薬武器を仕入れているって聞くし、もしかしたら対トロール用にでも使っているのかも」
今度こそ、ニーナの背筋は凍った。そんなものが人に向けられるところなど見たくはない。しかも本当に対トロールに使われているとしたら、おかしな火の正体は明らかに思われた。
爆弾について大したことないように言うダワの感覚も、ニーナには理解しがたかったが、東方人の彼には案外馴染み深いものなのかもしれない。
「それについては、わたくしも昨日少し聞きました。新しい武器のおかげで、トロールを追い払うのが以前より容易になったとか」
シルキーが平静に言い、ニーナは青ざめた。
「それって、やっぱり」
シルキーはニーナに顔を向けて頷いた。
「間違いないでしょう。どんなものなのかは実際に見てみないと分かりませんが」
「確かめるしかないわね。ディーリア軍が着く前になんとかできるといいんだけど」
真剣に話す二人を眺めながら、ダワがパンの最後の一片を口に放り込んだ。
「なにか深い事情がありそうだね」
空の食器を重ねながら、ダワはちらりと笑った。
「よかったら、ザウィヤまで案内するよ。ここから決して近くはないし、女の子だけじゃ心配だ」
ダワの申し出に、ニーナは一度シルキーと顔を見合わせた。
「ありがたいけど、あんまり迷惑はかけられないわ」
やんわり断ったが、ダワは気にせず、テーブルに肘を突いた。
「それは心配いらないよ。おれも元々もう少し南まで行く予定だったし、あと少し足を伸ばすだけのことだ。ついでだよ、ついで」
「でも、すごく急ぐし」
「それならなおのこと。いい辻馬車を捕まえれば三日もかからないよ」
ニーナは困ってシルキーを見た。
「どうしよう」
「そうですね……」
シルキーは少しだけ考えるようにわずかに首を傾けた。
「まとめて飛ばしてしまうというのも、手と言えば手ですが。なんと言っても早いですし」
シルキーの思わぬ発言に、ニーナはぎょっとした。
「ちょっと、シルキー。そんなこと言っていいの? できるわけないでしょう」
「もちろんできますが、いたしませんよ、そんなこと」
あっさり発言を覆し、シルキーはダワに笑いかけた。
「そういうことですので、案内は不要です。さあ、ニーナ様、参りましょう」
そういうこととはどういうことなのかは放り出し、シルキーはちょうど食べ終えたニーナを促した。彼女が動作で急かすので、ニーナも思わず焦る。
「もう行くの」
「ゆっくりしていてはディーリア軍に追い付かれてしまいます」
「そうだけど、でも、まだまだ追い付いては来ないわよ」
「今は一時でも惜しいのです。領域が侵されてからでは遅いのです」
「…………」
唖然とするニーナとダワをそっちのけで、シルキーは珍しく強引に引き立てた。
「それではダワ様、失礼いたします」
「ちょっとシルキー、押さないで」
言ってはみたもののシルキーは聞かず、そのままニーナは押されるままに部屋へ戻った。部屋に押し込まれたニーナは、扉を閉めるシルキーを憤然として見た。
「どうしたのよ。全然らしくないわ」
しかしシルキーはひるまず、むしろ少し笑んでニーナを見た。
「これからは、少し強気になることにしました。ダワ様に負けていられません」
謎の意気込みを語るシルキーに、ニーナは眉をひそめた。
「なんでダワに対抗してるのよ。彼となにかあったの?」
「まさか――ただ、少し悔しかっただけです」
わけが分からず首をかしげるニーナの横をすり抜け、シルキーはてきぱきと荷物をまとめ始めた。
その後もニーナはなにがあったかを問い質そうとしたが、シルキーは頑なに話そうとはしなかった。彼女がこれほど反抗したことは過去になく、ニーナは苛立たしさよりも物珍しさを感じ、少々のからかいも含めていつか聞き出してやろうと心に決めた。
* *
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(遅いな……)
ヘスカルア南門を出てすぐの場所で、ダワは欠伸をかみ殺した。あれから急いで荷を整えて、どうにかニーナ達より先に宿を出て来た。これほど興味を惹かれる他人というのは滅多にない。どうあっても二人の旅に同行するつもりだった。
南に向かうのであればこの門を出てくると思うのだが、どうしてか、いくら待てども少女達の姿が見つからない。ディーリア人の少女二人連れとなれば、そうそう見逃すこともないはずだ。
どこかで入れ違っただろうかと疑い、ダワは次の行動を決めかねて、何とはなしに空を仰いだ。この日は快晴で、まだ朝に近い時間とは言え南の強烈な日差しに目が眩みそうなほどだった。額を撫ぜる風だけが、かろうじて心地よさを運んでくる。
遠い上空を、鳥の影が横切った。普段ならそのまま見送ってしまうが、しかしその時のダワはその影にわずかな違和感を感じた。違和感の正体を求め、眉を寄せて目を凝らす。影は南の方向へ飛び、あっという間に遠ざかってただの点となり消えた。
一瞬の間に見出したものに呆然ととしたあと、思わず笑いがこみ上げて来て、ダワは隠すように口を手で覆った。
「――これは、やられた」
呟きながら、いっそ卑怯だとダワは思った。
いつもの自分であれば、ただの目の錯覚として処理するか、そもそも気付きもしないだろう。だが、今は不思議とすんなり受け入れて納得できてしまう。さきほど飛び去ったものが見間違いでないとするならば、太刀打ちできるわけがない。
少しの落胆と、踊り出すような高揚感の中、ダワの迷いは消え去った。早足に門を離れ、街道脇で客待ちをしている辻馬車の御者に声をかける。
「この馬車はザウィヤのあたりまで行けるかい?」
煙草をふかしていた御者の男は、怪訝に振り向いた。
「ザウィヤだって? お兄さん、本気か?」
「親友がザウィヤにいてね。家を建て直す手伝いをすることになったんだ」
それらしい理由をダワが告げると、御者は胡乱な顔をしたが、それ以上は聞かずに後ろの車を示した。
「乗りな。近くまでは行く」
「助かる」
礼を言っていくらかの金を渡し、ダワは馬車に乗り込んだ。間もなく、幌を張った簡素な馬車が、きしみを上げて走り出す。赤い大地を踏みしめ、温い風が通り抜ける馬車から、ダワは南の空を見上げた。先ほど見た影は、もうどこにもない。あの速さであれば、今日中にでも南の果てに着くかもしれない。
(さあて、追い付けるかな)
ますます面白くなってきたと思いながら、ダワはこれから起こる未知への期待に胸を膨らませた。





