1 東方人
ハルバラド共和国は温暖だが、ディーリア王国と比べると痩せた土地が多かった。農地には南国らしい大きな葉の植物が枝を伸ばしているが、それ以外の場所では草もまばらな赤い大地が広がっている。日に一度はバケツをひっくり返したような大雨が降り、舗装の行き届いていない街道はあちこちがぬかるんで、車輪を取られる馬車や牛車も少なくなかった。
それらを足の下に見ながら、ニーナ達はハルバラドの首都ヘスカルアに立ち寄るため地上へと降りた。
真っ赤な平地の中心にあるヘスカルアは、街全体が壁に囲われた城郭都市だった。上部に胸壁のある石積みの壁に阻まれ、外部から街の様子を見ることはできない。首長官邸ヘスカルア城と礼拝堂の丸い屋根だけが、壁の上から外を覗いている。塔のある門楼は見るからに物々しいが、壁の大きさの割に小さく、荷馬車がちょうどすれ違える程度の幅だ。
街道と繋がる門には、旅人や行商人らしき人々が列を作っており、ニーナとシルキーもそこに紛れ込んだ。とは言っても、肌の浅黒い南方人の中に入っては、ディーリア人の白い肌はどうしても浮いてしまう。目立つ色の髪は帽子に押し込んでいたし、ニーナ達以外にも肌色の違う異邦人の姿はちらほらあったが、なんとなく落ち着かない心地で並ぶ時間は大変じれったく感じられた。
革の胴着を着た兵士が見守る門を抜けると、ニーナは目の前に広がった景色に息をのんだ。
道は外とは打って変わって石畳で平らに舗装され、水牛の引く車が行き交っていた。建物はどれも赤レンガの壁面に漆喰でレースのような模様が描かれ、空を見上げるほどに高い。それが無秩序に立ち並んで、複雑な編み目のように無数の路地を作っている。主道の両側には見たことのない食材や揚げ物の並ぶ露店がいくつもあり、そこにひしめく人々は極彩色の服を着ていた。
彼らの服は、本当に色鮮やかだった。冴えた赤や黄緑、水色やピンクまでが折り込まれ、ニーナ達の茶色い男装がかえって目立つほどだ。ディーリアではなかなか見ることのないその色彩は美しかったが、慣れないニーナは目が眩んでくらくらして来そうだった。
異国に来たのだという実感が押し寄せてニーナが思わず足を止めると、シルキーがその背をそっと押した。
「ニーナ様」
後ろから人は次々と来ており、ニーナは我に返って慌てて歩を進めた。
「国が違うと、街はこんなにも違うものなのね」
「人は、文明によってあらゆる環境への順応をする生き物ですからね。ディーリアの街をそのまま持って来ても、この土地には適さないのでしょう。風土というのは、文化に一番大きく影響するものです」
しみじみと呟くニーナに、シルキーはわけ知り顔で言った。
二人はひとまず主道を一回りしてみた。店舗を一つ一つ見て行くと、極彩色なのは人の服ばかりではなかった。幾何学模様の絨毯や積まれた食器、種類別に山になった香辛料までもが色鮮やかで、独特の辛みと酸味が交ざる香りを振りまいていた。色とりどりなガラス片を表面に敷き詰めたランプが店先に連ねられ、夜も様々な色の光が道を照らすのだろうことを想像させる。そしてどの店でも、売台から壁まで一切の隙間を許さず、商品をびっしりとを敷き詰めるように陳列しているのが圧巻だった。
一通り主道を見終わると、ちょうど昼時になった。香辛料の香りに胃を刺激されたニーナはシルキーに声をかけ、目についた角の食堂に足を向けた。
道に面して開口部を大きく設けた食堂は、ほぼ満杯になっていた。いくつも丸テーブルが並んだ店内には地元民から旅人まで入り乱れ、少々むっとするほどの熱気と賑わいを見せている。ニーナ達は忙しくテーブルの間を縫う店員を避けながら空いている席を探し、隅の方にようやく二つ並びの空きを見つけた。そのテーブルには、東方人と思しき黒褐色の髪の男が先客として座っていた。
「ここ、いいですか?」
相席を求めて声をかけると、鶏肉の串焼きにかじり付いていた男は顔を上げた。
「ああ、どうぞ」
彼が感じよく微笑んだので、ニーナも、ありがとう、と笑みを返した。席に着くと、店員の中年女性がすかさず注文を取りに来た。ニーナはこちらの料理がよく分からなかったので、注文はシルキーに任せた。
注文を終えると、同席の男が話しかけて来た。
「君達、地元の人間じゃないね。旅の途中かい?」
彼の気さくな問いかけに、ニーナは軽く頷いた。
「ええ、まあ」
「珍しいね、女の子二人連れなんて。しかも君達、北方人だろう? こんなところまで、ずいぶん大変だったんじゃあないか」
どう返したものか考えつつ、ニーナは当り障りなく答えた。
「そうでもないわ。一人だとやっぱり大変かもしれないけど、二人なら案外平気なものよ」
ね、とシルキーに同意を求めると、彼女は嬉しそうに、にこりと微笑んだ。男は感心した様子で焦げ茶色の目を細くした。
「なるほどね。でも気を付けな。この国は平和な北の国と違ってごろつきも多いから。君達みたいな若い女の子は特に注意しないと」
鶏肉の串を振り振り、彼は忠告した。
「心配してくれてありがとう。あなたもこの国の人ではなさそうだけど、旅人なの?」
ニーナが問うと、男はかじった鶏肉を飲み込んでから答えた。
「これでも物売りでね、あちこちまわってる。この街にはお得意さんがいるんだ」
男はなぜか自慢げに笑んでみせた。
彼は東方人らしい黄色い肌である以外は取り立てて目を引く容姿ではなかった。それでも笑顔は飛び切り感じがよく、対面する人間を不思議と温かい気分にさせた。
(この人、いい人かも)
男はぱっと見た感じでは二十代半ばを過ぎるかと思われた。艶のある黒褐色の髪を、後頭部で短い房に結っている。顎の丸い顔はどことなく愛嬌があり、ほどよく砕けた喋りは人を引き付けるものがあった。
会話の途中で料理が運ばれて来た。注文したのはインゲン豆のトマト煮込みと言うらしい。インゲン豆はニーナもよく知っていたが、トマトは馴染みがない。赤い煮汁を種なしパンに付けて味見してみたが、わずかに甘さの感じられる爽やかな酸味は意外と嫌いではなかった。
「商品は、なにを扱っていらっしゃるんですか」
シルキーも男に好印象を持ったのか、彼女には珍しく話を促した。
「銀細工だよ」
言いながら、男はくたびれた上着の内ポケットに手を入れた。
「こういうのを作って売り歩いてるんだ」
彼の差し出した掌を覗き込み、ニーナははしゃいだ声をあげた。
「素敵!」
さえずる小鳥を模した、銀のブローチだった。ちょうど握り込めるくらいの小振りなものだが、羽の一枚一枚まで丹念に彫り込まれた精巧さもさることながら、歌うくちばしはなんとも愛くるしい。丸い目には緑の石がはめ込まれ、その艶が生気さえ感じさせた。
「これ、本当にあなたが作ったの?」
「もちろん。これでも結構評判いいんだ。宿に戻ればもっと色々あるけど、見たいかい?」
「見たい!」
ニーナがすぐさま飛び付くと、シルキーが窘めた。
「ニーナ様、いけません。こんな見ず知らずの方と」
しかしすっかり乗り気になったニーナは取り合わなかった。
「いいじゃない、固いこと言わないでよ。シルキーだって興味あるでしょう? それにもしかしたら、何か情報も貰えるかも」
「ですが、ご迷惑になっても……」
「おれは構わないよ」
男が人好きする笑みを見せ、シルキーは困って言葉を詰まらせた。これ幸いと、ニーナは話を進めた。
「こう言ってくれてるんだから、行きましょうよ。ね?」
「……ニーナ様がそういうのでしたら」
シルキーが折れたのを見て、男はさらに機嫌をよくした。
「じゃあ決まり。おれはダワ。よろしく」
ダワが手を差し出したので、ニーナは握手に応じた。
「あたしはニーナ。こっちはシルキーよ」
自己紹介が終わると、ダワはにこにことして頬杖を突いた。
「ニーナとシルキーか。いやあ、嬉しいなあ。こんなところでこんなに可愛い女の子達とお近づきになれるなんて。これだけでも、はるばる南まで来た価値があったよ」
彼の言い方に、ニーナは首をかしげた。
「価値もなにも、あなたは商売に来たのでしょう?」
「まあ、そうなんだけど」
不思議がるニーナに、ダワの笑みにやや苦笑が混じる。だが、それでめげる彼ではなかった。
「まあいいや。それじゃあ、食事が終わったら早速宿に戻ろう」
「ええ」
明るく頷いて、ニーナはパンをかじった。





