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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第3章 白金姫と黄金姫

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8 冷灰

 貴人達が談笑する煌びやかな広間の柱の横で、エリヤは物思いにふけっていた。王宮に集った知人や、外せない要人に挨拶してまわる間も心はどこか上の空で、これでは駄目だと思い、冷静さを取り戻すために一旦隅へ退いたのだ。


 この日、王宮一階の広間で開かれた夜会は、デトラフォード公爵主催のものだった。公爵は南の雄バウンスベリー侯爵との結び付きをを強くしている人物であり、北の雄として侯爵に引けを取らない権力を誇るフォルワース伯爵のハワード家としては、牽制の意味でも顔を出さないわけにはいかない。革新派の筆頭である侯爵が幅を利かせるようになれば、保守派を率いる形になっているフォルワース伯としては分が悪くなるのだ。それはそのまま、国の行く末を左右する議会へ反映される。

 そのことをエリヤは重々承知していたが、彼が気もそぞろな理由は別のところにあった。

 今宵は夜会で不在にすることを、ニーナに伝え忘れてしまったのだ。


 ニーナは互いの都合がつく限り、毎晩顔を見せていた。決まって、完全に日が落ちた頃合いに、張り出し窓から顔を覗かせる。そして暖炉の前で当り障りのない会話を楽しみ、夜半をまわる前に帰って行くのが常だった。彼女は家のことを話したがらなかったが、母方の祖母と、最初に会った侍女を含めた使用人二人の合わせて四人で暮らしていることまでは聞いていた。

 エリヤが予定を伝え忘れてしまった以上、今夜もニーナはやって来るだろう。念のため、使用人に部屋の掃除を断り、窓のかけ金をはずしたままで来たが、彼女を出迎えもないまま帰すのは、やはり申し訳ない気持ちになるのだった。


「まったく、見ていられないな」


 急に声をかけられてエリヤが振り向くと、ブレイガム男爵ニコラス・ヘネシーが隣に立っていた。ニコラスはいつも流すままにしている亜麻色の長髪を、今日はリボンで括っており、面白がる表情でこちらを見ていた。


「恋人ができて浮かれるのも分かるが、それを悟らせないのが紳士というものだ」

「ニコラス……誰に聞いたんだ」


 エリヤが渋い顔で言うと、ニコラスは口の前に指を立て、おどけるように片目をつむった。


「それは言わない約束でね。しかし、近頃の君の機嫌がずいぶんいいことは噂になっている。まったくもって水臭い。寄宿学校以来の親友にこんな一大事を黙っているなんて。友達がいのないやつめ」


 喋ったのはヘンリーに違いないと決めつけながら、エリヤはうんざりした。


「そんなのじゃない。勝手なことを言うな」


 だが、ニコラスは引かなかった。


「で、どこまで進んでいるんだ」

「違うって言っているだろう」

「まだ手を付けていないのか」

「馬鹿を言うな。彼女は……」


 つい口走って、エリヤはしまったと思った。ニコラスの顔が、勝ち誇ったものになる。


「認めたな。それで、その彼女とはまだ恋人ではないということか」


 エリヤは拗ねるように顔を背けた。


「わたしにはわたしのペースがあるんだ。君とは違う」


 やや恥ずかしがる様子を見せるエリヤに、ニコラスは笑い出しそうになるのを堪えた。長い付き合いだが、このような反応はなかなか新鮮だ。


「約束された地位も恵まれた容姿も揃っていながら、スマートにいかないところが君らしいと言うかなんと言うか。誠実で慎重なのは結構だが、奥手なだけでは女性は手に入らないぞ」

「……そんなことは分かっている」


 へそを曲げたエリヤに、ニコラスは物珍しさからとはいえ少々からかい過ぎたかと考えた。


「まあ、いつの世でも女性というのは男にとって悩ましい存在ではあるものだが、今この場で君が気を向けるべきは違うはずだ――サマクッカ帝国がついに砂漠への侵攻を始めたようだ」


 ニコラスが声色を改め、エリヤは息をのんで彼を見た。


「やはり、確かなことなんだな」

「ああ。山地に守られた北と違って、平地に国境を持つ南はざわついている。今のところ、まだ砂漠の向こうの話ではあるからのんびり構えている節はあるが、革新派はどう動くかな」


 サマクッカ帝国は、大陸東の新興国だった。彼らは近年急激に勢力を伸ばし、大陸中央を占める砂漠よりも東側の一帯を征服し尽くしたという。ディーリア王国があるのは大陸西の端であり、地理的な距離がある分、これまで静観の姿勢を保って来たが、帝国が征西を始めたとなれば動揺は避けられない。しかし、中央砂漠は容易く踏破できる広さではなく、砂漠を取り囲む二つの山脈もしかりだ。実感として、いまだ遠い出来事であることは確かだった。


「ディーリアは、長い歴史で見ても武力の侵攻なしに中立を保ち続けて来たんだ。帝国が砂漠を越えて来たとしても、武力衝突を回避する方法はあるはずだ」

「バウンスベリー侯はそう考えていないようだがね」


 いかにも保守的な伯爵御曹司の意見に、ニコラスは慎重に見解を述べた。


「わたしも戦争には全面的に反対だ、と言いたいところだが、わたしの領地はバウンスベリーの中にあるのでね。あえて立場の明言は避けさせて貰うよ」

「分かっている。君はすでに爵位を授けられた身だ。こちらに付けと言うつもりはない」

「君が理解ある親友でありがたいよ。そんな親友に、一つだけ助言しておこう」


 ニコラスは本心から言い、難しい顔をしているエリヤを見やった。


「南は土地が開けている分、異国が近い。そんな場所に住んでいると、他の国の脅威が限りなく少ない北の人間がおめでたく見えることがあるのは確かだ。肝に銘じておくといい」





(おめでたい、か……)


 中立を宣言した上で、革新派へ流れる可能性を示唆したブレイガム男爵の言葉を、エリヤは反芻した。

 北の国境であるシルワ山脈より先は、極寒の地に少数民族が部落を形成しているばかりで、おおよそ国らしい国はない。西が海である以上は異国と言えば東か南を差すものであり、東へ向かうにも、北方からでは山地に分け入るか、南の迂回路を通るしかないのだ。この他国との距離の差が、ほぼそのまま保守派と革新派を分けていると言えた。


 ブレイガム男爵ニコラス・ヘネシーは、父親の早逝により同世代に先んじて議会への参加を許される地位を手にしている。しかし、若さゆえに侮られる事も多いに違いない。できれば親友と敵対したくはないが、世情によっては日和るしかないのが今の彼の立場であることも、エリヤは承知していた。


 思惑渦巻く広間からエリヤがようやく退出できた頃には、すでに夜半をまわっていた。常であれば帰宅時には暖炉に火が入れられ、部屋が暖められている。しかしこの日はエリヤがそれを断ったため、自室の扉の先にあるのは冷えた闇だった。

 窓から差し込む青い月光が光源のすべてであり、まずは灯りを点けるためにエリヤは上着を脱ぎながら部屋の奥へ進んだ。その時、月光に照らし出されたベッドにきらめきを見つけ、思わず足を止めた。そこには青く輝く無数のプラチナが広がり、真ん中で少女が眠っていた。

 心臓の音が速くなるのを感じながら、ゆっくりとベッドに歩み寄る。わずかに口を開いたまま仰向けて眠る少女は、エリヤが近付いても目を覚ます様子はなかった。


(待っていてくれたのか)


 そのことに無性に嬉しさを感じると共に、待ちくたびれて寝入ってしまったらしい少女に苦笑する。どこか大人になりきれない彼女の無防備な寝顔を見ていると、エリヤは不思議と安らいだ気持ちになった。


「ん……」


 少女がか細く呻き、わずかに身じろぎした。すぐにまた規則正しい寝息をたて始めた彼女の目尻から、雫が一筋こぼれ落ちる。


(……どんな夢を見ている)


 エリヤは目を細めて手を伸ばすと、慈しみを込めて少女の目元を拭ってやった。すると、彼女の口が小さく動いた。


「カディー……」


 瞬間、鈍器で頭を殴られたような衝撃が、エリヤを襲った。同時に、なにに対してか分からない怒りが込み上げ、突然の感情の波に体が付いてこず立ち尽くす。抑えようのない苛立ちに唇を噛むと、エリヤは唐突に湧き起った衝動のまま、少女の服のボタンに手をかけた。

 襟を開けば、喉元のくぼみと細い鎖骨の隆起が陰影を描き、薄い膨らみと共に、少女の身に着ける下着のレースが覗く。その上を転がる首飾りが目に入り、エリヤはボタンを外す手を止めた。


 少女は、三連の石が付いた首飾りをしていた。その内、無色の石は以前にも見たことがある。残りの二つは、青い月光の下では褪せたように見える黄色と、夜闇の中でもなお鮮烈な、赤。


 その赤は、この場ではいやが上に一人の若者を想起させ、エリヤは奥歯をきつく噛み締めた。少女の服をつかむ手が震え、なぜ、という思いがエリヤの胸を去来する。


 いっそこのまま、とも考えた。しかし、なにも知らずに眠る少女の儚げな寝顔を見詰めていると、長いためらいと共にその気持ちもそがれて行った。結局エリヤは、外したボタンを億劫に留め直し、脱力するようにベッドの縁に座った。

 少女の穏やかな寝息ばかりが、エリヤの耳につく。顔を覆い、彼は滅多につくことのない悪態を忌々しく吐き出した。


「――くそっ」

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