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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第3章 白金姫と黄金姫

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7 夜話

 ハワード家の冬の邸宅は、王宮から見て南西の北河畔にあった。気持ちばかりのほりが巡らされた敷地内は、石造りの建屋を芝の庭園が取り囲み、街中で面積を確保できない分、正面に塔を二つ設け高さで部屋数を補っている。エリヤの部屋は正門から見て左側の、一家の私的な部屋が集められた塔の一室だった。

 帰宅して着替えを済ませたエリヤは、ようやく一人になった部屋で息をついた。日は完全に落ちており、この時間になれば出かける者も少なく、街の喧騒は遠くなる。誰も見ていないのをいいことに、エリヤは青いビロード張りの長椅子にだらしなく寝そべったが、ニーナとの約束を思い出してすぐ起き直った。


(窓を開けておくんだったか)


 エリヤは立ち上がって、庭園を見下ろせる張り出し窓のカーテンを引き開け、かけ金をはずした。そのまま窓も開けば、初冬の冷えた夜風が室内に流れ込む。体の向きを変えて、窓枠に腰を預けるようにもたれると、一つため息をついた。

 王宮でのニーナとの再会後、ヘンリーの追及からはどうにか強引に逃げ切った。しかし吹聴されてはたまらないので、誰にも言うなとだけは伝えたが、彼の口の堅さをエリヤはいまいち記憶していないのだった。

 少々の懸念を抱えて、エリヤは考え込むように目を伏せた。


 本当にニーナは現れるのか。時間が経つにつれてエリヤの中で疑う気持ちが首をもたげていた。約束はしたものの、街屋敷にはニーナを知る者も多く移って来ており、堂々と姿を見せられるとは思えない。窓の鍵を開けておけと言っていたということは、なにがしかの手段で敷地に侵入し、窓から出入りしようとでもしているのか。だがエリヤの部屋は塔の二階であり、それも容易くはなさそうだ。

 はたして、どうするつもりなのだろうと、エリヤがぼんやり考えた時だった。


「きゃあっ」


 窓の外から少女の悲鳴が小さく聞こえ、エリヤは反射的に窓枠から体を浮かせた。


「わあぁっ! エリヤ、退いて! 退いてっ!」


 すぐさま続いた叫び声に、なにごとかと慌てて振り返る。

 目の前に、人の足があった。


「うわっ」


 めちゃくちゃに振りまわされる足が、仰天するエリヤに襲いかかった。足を取り巻く布地にあっという間に視界が埋め尽くされ、直後、衝撃と共にエリヤは盛大にひっくり返った。柔らかく重みのあるものが、仰向けたエリヤの上半身にのしかかる。


「きゃあぁ! ごっ、ごご、ごめん!」


 エリヤの顔の周りで足がじたばたし、引っ込むと共に視界を覆っていた布地も消える。上に乗っていたものも転がるようにいなくなり、代わりに、狼狽えた少女の顔が視界を埋めた。


「大丈夫? どこかぶつけなかった?」


 顔に近さにそれはそれで動揺しながら、エリヤはかろうじて返事をした。


「なんとか……」


 起き上がるためにエリヤが体をひねると、ニーナは手助けするように彼の二の腕に手を添えた。


「ごめん。本当にごめんなさい。こんなつもりじゃなかったんだけど……」


 上体を起こしたエリヤは、軽く頭を振って目をしばたかせた。かたわらに膝を突いたニーナが、眉尻を下げて顔を覗き込む。


「本当に大丈夫?」


 視野のちらつきがおさまり、エリヤはようやく彼女に顔を向けた。


「ああ、大丈夫だ。それよりニーナ、なにがどうなっているんだ。君は今、どうやってここに来たんだ」


 エリヤのもっともな質問に、ニーナは困ったように頭を掻いた。


「今のは、なんと言うか……ちょっと失敗したの」

「なにを失敗したらこうなるんだ」

「それはちょっと言えないんだけど……」


 ニーナがきまり悪そうに目を逸らす。彼女があまりに言い辛そうな表情をするので、エリヤはひとまず、今すぐ追及するのは諦めた。それよりも、先ほど視界を埋めたものを思い出して顔が熱くなるのを感じ、それを紛らわすために立ち上がった。

 その時、部屋の扉が控えめに叩かれ、エリヤの心臓は跳ね上がった。慌てふためいてニーナの背中を押し、カーテンの中に隠れさせる。二度目のノックまでの間になんとか取り繕い、エリヤは扉から顔を覗かせた。部屋の前にいたのは若い従僕だった。


「どうした」


 従僕は軽く会釈をしてから口を利いた。


「夜分に申し訳ございません。先ほどお部屋から大きな音がいたしましたので、ご様子をうかがいに上がりました」

「ああ。さっき、チェス盤をテーブルごとひっくり返してしまったんだ。もう片付けたし、心配いらない」

「そうでございましたか。大変失礼いたしました。それでは、おやすみなさいませ」

「おやすみ」


 エリヤは扉を閉めて、従僕の足音が遠ざかるのを聞き、ようやく胸を撫で下ろした。カーテンが揺れ、ニーナが顔だけを出した。


「もう行った?」

「ああ、行ったよ」


 とんだどたばたに、エリヤは顔を撫でながら部屋の奥へ戻った。


「適当に座るといい。葡萄酒でよければあるが、飲むかい?」

「ええ、貰うわ」


 エリヤが二人分の葡萄酒を注ぐ間に、ニーナはカーテンから出て暖炉前の椅子に座った。彼女にゴブレットを渡してから、エリヤは並べて据えてあるもう一つの椅子に腰を落ち着けた。


「一人で来たのか? 昼間は侍女が一緒だったようだが」

「シルキーのこと? 彼女は来ないわ。来るなって念を押して来たし」


 ニーナは葡萄酒を一口飲んで続けた。


「すごくいい子なんだけど、心配性で堅苦しすぎるのが玉にきずなのよね。彼女、もっと遊ぶことを覚えるべきだと思う」

「心配は当然なんではないか。こんな時間に一人で出歩くのは感心しない」

「仕方ないわ。昼間から堂々とこんなところには来られないもの。あんただって、そこまで暇じゃないでしょ」

「それはそうだが……」


 言い淀み、ニーナ相手にはあまり言っても無駄だと判断したエリヤは、軽く肩をすくめた。葡萄酒で口を湿し、慎重に言葉を選んで接ぐ。


「これを聞いていいのか分からないんだが……あの侍女は、カディーの関係者か?」


 ニーナは口に運びかけたゴブレットをぴたりと止め、そのままエリヤに目線を向けた。


「どうしてそう思ったの」


 ニーナの声がやや冷たさを帯び、エリヤはやはり聞いてはいけなかっただろうかと考えた。それでも問われたので、彼は昼間に見た黄色い髪の侍女を思い出しながら答えた。


「なんとなく、カディーと似ている気がしたんだ。具体的にどこがとは言えないんだが……雰囲気というか、目が合った時の印象というか、そういうのがどことなく」


 言ってみて、内容の不確かさにエリヤは自分で苦笑した。


「やはり気のせいだな。多分、目の色が似ていたからそう思っただけだ」

「ふうん」


 ニーナはエリヤを見たまま、改めて葡萄酒を口に運んだ。


「あんたって、鋭いんだか鈍いんだか分からないわね」


 ニーナの口調は感心した風だったが、褒めてはいなかった。彼女の言い方にちょっと引っかかりを覚えつつ、エリヤは脇の小テーブルにゴブレットを置いた。


「君は今、王宮に住んでいるのか?」


 ニーナはゴブレットを両手で包み込むように持ち直した。


「まあね」

「一年前から、ずっと?」

「そうよ」

「なぜ、君が王宮に?」


 答えあぐねるように、ニーナは束の間黙った。なにか考える様子で、少し瞳をさまよわせる。


「……多分あたしは、お母さんの通った道を逆に辿っているんだと思う。少なくとも周りは皆、そうなるように動いてる」

「君の母親は確か、元貴族で、駆け落ちしたって……」


 かつて聞いた話を思い出しながらエリヤが確かめると、ニーナは頷いた。


「こっちに来て、お母さんのことがたくさん分かったの。あと、カディーのことも。カディーは娘のあたしなんかよりずっと、お母さんのことをよく知ってた」

「カディーに会えたのか」


 ニーナは眼差しに哀惜を帯び、首を横に振った。


「カディーはもう帰ってこない。それは確かよ」


 拗ねるように、ニーナは口を尖らせた。


「お母さんとカディーはあたしの知らないことを共有してたから、ある意味ぐるだったのよ。あたしに隠しごとして、嘘ばっかりついて。結局二人共いなくなってしまったんだから、こんなひどいことってないと思う。せめて少しでも話してくれていれば、もしかしたらなにか違ったかもしれないのに」


 ニーナはあおるように葡萄酒を飲み干し、深く息を吐いた。空のゴブレットを小テーブルに置き、もう一度ため息をついて苦笑いを浮かべる。


「ごめんね。なんか愚痴みたいに。今の家だと、なかなかこういう話できなくて」

「いや、わたしは構わない。それで君の気が済むのであれば」


 エリヤは足を組み、ひじ掛けに軽くもたれて姿勢をくつろげた。


「君がわたしを気の許せる相手と思ってくれているなら嬉しい。やはり、母親の関係者に出奔した本人の話はしづらいか」

「そうね。まあ、出て行く前のお母さんの話はたくさん聞かせてもらえたし、意外と大丈夫だったりもするけど。それでも、やっぱり話しにくいことって出てくるものね。今日エリヤに会えて、よかったのかもしれない」


 ニーナはつかえがとれた様子で微笑み、エリヤはその笑顔が眩しく感じて目を細めた。


「会わない間になんだか変わったな、君は。貴族嫌いは、もうなくなったのか」


 エリヤの指摘に、ニーナはちょっと考える表情をした。


「色々分かって、馬鹿らしくなったていうのはあるかも。もちろん好きになんかはなれないけど、こだわるべきはそこじゃないって言うか。それに――」


 ニーナは少し上目遣いに、エリヤを見た。


「エリヤって、貴族と話してる感じがあんまりしないのよね。伯爵やベロニカと話したときなんかは、なんとなく油断できない感じがあったんだけど、あんたの場合はそれがないっていうか」

「……それは、いいことなのか」


 げんなりした調子でエリヤは言ったが、ニーナは気に留めなかった。


「話しやすいっていうのは長所よ。エリヤの場合、うまくやって来られているんだから、きっとそれなりの使い分けとかができてるのよ。素が多少ぼんくらだったとしても、それを隠せるのも能力なんじゃないかしら」


 エリヤはむっとした。


「今のはさすがに褒めていないだろう」

「そんなことないわ。精一杯褒めたわよ」


 束の間睨み合うように、二人は視線を合わせた。そして、どちらともなく噴き出し、同時に笑い声をたてた。

 ニーナは本当によく笑った。領主館ではほとんど自分に向けられることのなかった表情すべてを、エリヤはこの夜だけで見尽くした気がした。心を開いた彼女がどれほど感情豊かかを今更のように知り、その笑顔に強く惹き付けられる自分をエリヤは改めて意識した。一度は諦め、手放しかけていた気持ちが、再びしっかりとした感触を伝え、熱を帯びてくる。

 その後も、長く離れていた二人の話題は尽きる事はなかった。エリヤは、ニーナと心安く笑い合えるささやかな幸せを噛み締め、二人きりの夜は更けて行った。





 会話が途切れたところで、ニーナはおもむろに立ち上がった。


「あたし、そろそろ帰るわ。少し長居し過ぎちゃった」


 もう夜中に差し掛かる時間ではあったが、エリヤは物足りなさを感じた。


「もう行くのか」

「遅くなりすぎると、シルキーが心配するしね。あんたの安眠を邪魔する気もないし」

「わたしのことなら構わないのに」

「だめよ。ちゃんと寝ないと。仕事中に居眠りしても知らないから」


 諭すように言いながら、ニーナは入って来た張り出し窓の方に体を向けた。


「待って」


 エリヤは立ち上がり、思わずニーナの腕をつかんだ。振り返った彼女の目は、少し驚いたように見開かれていた。


「もう少し、もう少しだけ」


 離れがたく、エリヤは言い募った。触れられる距離で見詰め返してくるニーナの瞳に、鼓動が急激に早くなる。わずかな沈黙であっても、心臓の音が彼女に伝わってしまいそうなほどだ。息苦しいほどの胸の高鳴りに、それ以降の言葉がうまく喉を通り抜けなかった。

 ふと、ニーナが破顔した。


「変な顔」


 つかまれていない方の手を伸ばし、ニーナはそっとエリヤの頬に触れた。


「そんな顔して、子供みたい」


 エリヤは自分がどんな顔をしているかまで分からなかったが、ニーナの方から触れて来たことで、今度は心臓が止まってしまいそうだった。彼女は一歩距離を詰めると、寄り添うように額をエリヤの胸に当てた。


「明日また、同じ時間に来るわ。おやすみなさい」


 囁いて、ニーナは硬直するエリヤの手から滑るように離れた。そのまま勢いをつけて窓枠に飛び乗り、外へ向かって身を躍らせた。

 ニーナの姿が消えるのを見て、エリヤは我に返って慌てて窓へ駆け付けた。


「ニーナ!」


 身を乗り出して下を見たが、庭木が風に揺れているだけで、少女の姿はなかった。冷えた夜気が額を撫で、静謐な闇の底に一帯は沈んでいる。求める姿はもうどこにもなく、エリヤは夢から醒めたような感覚で立ち尽くした。

 確かめるように、去り際にニーナが触れた頬に手を当てた。そこに残る彼女の肌の感触に、自然と口元が緩む。


「明日、また……」


 ニーナに会える。そう思うだけで浮かれる自分に呆れてしまう。それでも満ち足りた幸福感に浸りながら、エリヤは寝支度を始めた。

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