2 邂逅
藪を掻き分け辿り着いた先で、最初に目に入ったのは地面に広がるプラチナだった。そして、大きく見開かれた琥珀色の目。
猟犬に跳びかかられた少女が、いかにも仰天した様子であられもなく地面にひっくり返っていた。
「大丈夫か!」
エリヤは走り寄ると、押さえ付けるように少女の上に乗っていた犬を急いで離れさせた。すると少女が緩慢に身を起こそうとするので、素早く身を寄せて手助けした。彼女が上体を起こした時には、ニコラス達も近くまで駆けて来た。
「なんてことだ。無事かい?」
ニコラスも気遣う表情で、少女を挟んでエリヤと向かい合う位置に膝を突いた。少女は驚きからか、エリヤに背中を支えられたまま、胸に手を当てて息を乱している。
「申しわけない。まさかこんなところに人がいるとは思わなかったんだ」
弁明しながら、エリヤはプラチナの髪に付いた土を払った。
「怪我はないか? どこか痛むところは」
少女は緩く首を振り、喘ぎ喘ぎ答えた。
「……平気。これくらい、なんともない」
だが少女の目は見張られたままで、彼女の混乱が完全には去っていないことは明らかだった。エリヤはできるだけ優しく少女の手を取った。
「立てるかい?」
少女は、この時初めてエリヤに顔を向けた。繋がれた手から辿るように、琥珀の目線がゆっくりと持ち上げられ、跪いてなお高いエリヤの顔を見上げる。視線が交差し、エリヤは安心させるように少し微笑んだ。
目を引く容姿の少女だった。
エリヤの知る誰よりも色素の薄い髪が、柔らかに煙る光を彼女に纏わせている。宮廷に集う貴婦人の中には髪の色を抜いている者も少なくないが、これほど冴えたプラチナになろうはずがない。
細面の頬は今はやや青ざめているが、可憐と言うには少々尖り気味な唇は紅をひかずとも色付いていた。
見張った目をさらに大きくすると、少女は確かめるように、エリヤの胸元から手元、そしてまた顔へと、視線を往復させた。動きに合わせて複雑な濃淡を見せる瞳をエリヤが見詰めていると、なにかに気付いた様子で彼女は胸元に視線を止めた。途端に少女の眉間に皺が寄り、表情が険しくなる。
エリヤがなにかと思う前に、繋いでいた手が振り払われた。
突き飛ばす勢いでエリヤの胸に腕を突っ張り、少女はしゃにむに体を離した。彼女があまりに暴れるものだから、ニコラスも慌てて一歩下がった。
呆気にとられる一同をよそに、少女はよろめきながらも素早く自力で立ち上がった。服に付いた泥を軽く払い、エリヤに一瞥をくれる。その殺気さえ感じられるほどの鋭さに、エリヤはたまらず息をのんだ。
彼女は無言のままエリヤ達に背中を向けると、そのまま藪を掻き分けて森の奥へと駆け去った。
エリヤは思わぬことにどう反応してよいか分からず、少女が藪を掻く音が聞こえなくなるまで見送ってしまった。
すぐ横でくつくつと喉を鳴らすのが聞こえて、エリヤは非難を込めて長髪の友人を見た。
「なにがおかしい」
ニコラスはよほどツボに入ったのか、口元を押さえて肩を震わせていた。
「いや。ずいぶん嫌われたものだと思ってね」
「当たり前だろう。犬で驚かせてしまったのだから」
「そうだな。わたしは前言を撤回しなくてはいけない」
会話に沿わないニコラスの物言いに、エリヤは訝しんだ。こういう場合、この友人は大抵ろくなことを言わない。
「なにか撤回すべきことを言ったか」
あからさまにエリヤが警戒すると、ニコラスは、ふふん、と鼻を鳴らした。
「さっきわたしは、今日は運の悪い日だと言ったが、間違っていた。全くもってこんなにツイている日もない」
「わたしは十分ツイていないと思うが」
「とんでもない。女性に蔑ろにされる君というものを見られた。これは貴重だぞ」
エリヤは渋面を隠さなかった。
「あのな、ニコラス」
「そんなことより」
反論しようとするエリヤをあっさり遮りながら、ニコラスは跪いた体勢から立ち上がった。
「つい見送ってしまったが、彼女、行かせてしまってよかったのか?」
つられて立ち上がりながら、エリヤは怪訝に友人を見た。
「追えとでも言うのか? あれだけ怒らせてしまった上に追ってどうする」
「なかなか麗しいお嬢さんだったではないか。これをきっかけにお近付きになれるかもしれない」
「たとえそうだとしても、なんだと言うんだ。君が追いたいのならそうすればいい」
冗談に対し真面目に返すエリヤがおかしく、ニコラスはもう一度笑った。
「まあ、それはいいとして、本当によかったのか?」
「だから今……」
「そうでなくてだ」
鈍い友人に呆れながら、ニコラスは長髪を背中へ払った。
「この先はひたすら樹海だろう。ディザーウッドの奥には人を惑わす精霊がいて、年になん人も行方不明者が出ていると聞いたが? 前半はともかく、後半は真実だろう」
ニコラスに言われて、エリヤはやっと思い至った。すると急に少女の行方が気になり、森の奥へと目を向ける。
「確かに、少し心配だな」
「だろう? 伯爵家の人間、たとえそうでなくても、うら若き乙女を驚かした上、そのせいで行方不明になったとあっては紳士の面目に関わる」
エリヤは束の間決めかねて顎をなでたが、決断は早かった。
「そうだな。様子を見に行った方がいいかもしれない」
「ご冗談でしょう」
被せ気味に異論を唱えたのは、斜め後ろに控えていた従者だった。
「あなた方になにかがあっては、それこそ一大事です。天気も下り坂なのですから。あの娘はおそらく近くの住民でしょうから、きっと大丈夫です」
「そういうわけにもいかない」
言い募る従者に、エリヤはきっぱりと言い放った。
「安心しろ、少し見に行くだけだ。知っている範囲以上に深いところまでは行かないよ。ヤンも連れて行く。いつでも出発できるように、君は先にディザーウッドの出口へ行って馬の準備をしていてくれ」
「そんな、若様」
悲痛な声を上げる従者の肩に、ニコラスの手が置かれる。
「好きにさせてやればいいじゃないか。彼が言い出したら聞かないことくらい知っているだろう」
従者は恨めし気にニコラスを見た。
「焚き付けたのはニコラス様ではないですか……」
「その方が面白いだろう?」
従者の非難をニコラスは片目をつむって受け流し、エリヤに向き直った。
「そうと決まれば早いところ行こうではないか」
「なんだ、ニコラスも来るのか」
おいおいと言いながら、ニコラスはふざけてエリヤの肩にもたれた。
「当たり前だろう? 美人を独り占めされてたまるか」
「そんなことだろうと思ったよ」
エリヤは呆れながら友人の肩を押し戻したが、追い返すことはしなかった。そのまま二人は猟犬を伴い、森に消えた少女の捜索に繰り出した。
残された従者に、血気盛んな若者達を止める手立てはなかった。