表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第2章 緋色の遁走曲

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/76

10 喪失

 翌日、ニーナは熱を出した。前日に冷え切った体が、今度は発散しきれぬ高熱を持ち、起き上がることさえままならなかった。

 カディーの失踪は、領主館の人々に動揺をもたらした。動ける使用人は総出で庭園の森を捜索し、湖をさらったが、なに一つ手がかりは見つからなかったのだ。敷地の外に出た可能性も考えて、門番や周辺住民への聞き込みを行ったが、それらしい人物を見た者はいなかった。

 カディーの失踪そのものは伯爵家を揺るがすものではなかった。しかしエリヤはいつも以上の雑務に追われ、幾人かの女性使用人はヒステリーを起こしたのだった。


 寝込んだニーナは、ぼんやりと天蓋を見詰め、とりとめもなく思いを巡らせていた。色々な感情は湧き上がるのにどれも中途半端で、ただただ気分悪く胸の中にわだかまる。朦朧とした意識の中で、気付けば過去へと思いが飛んでいた。

 幼い頃、ニーナの家族は南の温かい平地に住んでいた。借りもののささやかな農地で父が花を育て、それを売ってつましいながら家族仲よく暮らしていた。カディーが家族に加わったのは、ロイが生まれた翌年だった。母がどこからか連れて来た年上の子供を、最初は女の子だと思ったことを今でも覚えている。

 当時のカディーは、笑わない子供だった。泣きもせず、怒りもせず、まったく感情を表に出さなかったのだ。しかし決してニーナに逆らわなかった彼に、今思うとかなり無茶で残酷なわがままを強いて来た気がする。

 カディーがよく笑うようになり、ニーナが彼を頼る関係に落ち着いたのは、確か両親の死後、ディザーウッドに移り住んでからだ。


 ふと、ニーナの視界を黄色い影が横切った。緑の丸いものがころりと胸に乗り、顔を覗き込んでくる。それらを見まいとして、ニーナは目を伏せた。

 カディーの消えた夜から、ニーナの見る景色は一変していた。

 鳥の翼に似た形をした黄色い生きものがいたるところを飛び交い、腕の生えた魚のような青い生きものが泳ぎ回っていた。足元を見れば、苔のような毛に覆われたずんぐりと丸い生きものが、短い足で不器用に駆けていく。灯火の周りでは、トカゲに似た真っ赤な二本足の生きものが跳ねていた。

 それらは皆、掌に乗る程度の大きさなのだが、どれも見たことのない奇妙な姿で、当たり前の生きものとなにかがずれていた。なにせ彼らが見えるのは、ニーナだけなのだから。周りの人間が気にしていないところを見れば、この奇妙な生物達が見えていないのは明らかだった。ニーナは、突然見えるようになった怪奇なものに驚きはしても、狼狽える気力はなかった。


 収穫祭から四日が経った。ニーナはまだ微熱が続いていたが、この日は起き出し、談話室の椅子に座っていた。向かいの椅子にはエリヤが座り、テーブルに何枚かの書類を広げている。彼はカディー失踪の聴取のために、ここに来ていた。はたから見れば、ニーナを領主館で保護した当初と同じ光景のようだった。だが、今回の彼女はなにを聞いても頑なに口を閉ざしていた。

 進まない聴取に、エリヤはため息をついた。


「君がそれほど意固地になる理由はなんだ。カディーを見つけたいと思わないのか」


 向かい合うニーナは、俯いたまま微動だにしなかった。それでもエリヤは辛抱強く、彼女の言葉を待った。カディーが見つかるか否かは、もはやニーナの意志にかかっていると、彼は考えていた。

 どちらも言葉を発しないまま、ただ時だけが過ぎていく。聴取を始めたのは正午を少し過ぎたくらいだったが、気付けば外の光が赤みを帯びていた。

 長い長い沈黙の後で、ようやくニーナが小さく呟いた。


「……もういい」


 かすれた彼女の声に、エリヤは眉をひそめた。


「なんと言った」


 また少し間があって、ニーナはさらに細く、絞り出すように言った。


「もう探さなくていい……どうせ見つからない」

「それは、ハワード家が信頼できないということか」


 エリヤが自然と責める口調になると、ニーナは俯いたまま緩く首を振った。


「誰であっても同じ。カディーはもう、帰ってこない」

「なぜ言い切れる」

「だってそうだもの!」


 消極的なニーナをエリヤが思わず責めると、彼女はいきなり喚いた。


「あたし、カディーのことなにも知らなかった。ずっと近くにいたのに、自分のことばかりで、ひどいことまで言って……あたし、最低だ」


 収穫祭の夜から時が経つごとに、ニーナの胸の内を占めたのはカディーへの嫌悪や憎悪でなく、後悔だった。両親を失うきっかけを作ったのが彼だったとしても、ニーナを絶望の淵から救い上げてくれたのも彼だった。折れそうな時には必ず隣にいて、支えてくれていたのだ。しかし、いつしかそれが当たり前となり、甘え続けてしまった。

 過去に思いを向ければ、そこに悔恨はあれど、彼を憎み切ることなどできるはずがなかった。


 少女の目から雫が落ちるのを見て、エリヤは焦ったように立ち上がった。彼女は俯いて唇を噛み、必死で嗚咽を堪えていた。目を押さえ、何度も拭っても、涙は止まらない。雫は指の間からもこぼれ、膝を濡らした。

 エリヤは彼女のそばに寄り、顔に被さる前髪を指先でそっと払いのけた。


「……どうか、泣かないでくれ。君に泣かれると、どうしたらいいか分からなくなる」


 自信なく言うエリヤを、ニーナは濡れた目で見た。顔を上げた少女の頬を、彼が親指で拭う。


「君には、笑っていて欲しい。だから、カディーを見つけたいんだ。君のこんな姿、とても見ていられない。わたしは……」


 今言える、エリヤの精一杯の本音だった。一瞬ためらって、彼は続けた。


「わたしは……ニーナが、好きなんだ」


 ニーナの目が、ゆっくりと見開かれた。ぎこちなく腕を伸ばし、エリヤはできるだけ優しく彼女を抱きしめた。若者の腕の中で、少女が身を固くする。エリヤは自分を落ち着かせるように、ゆっくり呼吸した。


「君が、わたし達のような貴族を嫌っているのは十分に分かっている。それでも……初めてなんだ、こんな気持ちになったのは。だから、どうかそれ以上、泣かないでくれ」


 いつからだろうと、エリヤは考えた。始めはただ、この哀れな少女を守ってやりたいと、それだけだった。強気に振舞う彼女の瞳の奥に、時折寂しさが透けて見える気がして、目が離せなかったのだ。エリヤの目は自然と少女を追うようになり、その時々の彼女の表情だけで、自身も一喜一憂するようになっていた。

 そして、ニーナへの明確な感情を意識したのはごく最近――収穫祭の夜だった。舞踏会で踊った時に、彼女から向けられた笑顔。仮面越しではあっても、あれは間違いなくエリヤだけのものだった。その時、これまでにないほど気持ちが満ち足り、そのまま彼女を独占したいという思いが、唐突に湧き上がったのだ。そうでなければ、大広間からニーナが姿を消した時、あれほど必死になって探しはしなかった。

 気まずさを誤魔化すように、エリヤは苦笑した。


「卑怯だな、わたしも。こんな時に、こんなことを言うなんて」


 腕の中で、ニーナは顔を逸らすように伏せた。


「エリヤ……ごめん」


 予期していた答えだった。それでもやはり、エリヤの胸には苦みが走った。同時に、温かいものもじわりと広がった。


「初めて、ちゃんと名前を呼んでくれたな」


 エリヤの呟きにニーナは仰向き、それから少し考えるように目を細めた。


「……そう、かもしれない」


 ニーナは恐る恐る、エリヤの胸に顔をうずめた。


「ねえ、エリヤ」

「ん?」

「もう少し、こうしていてもいい?」


 沈黙の後、エリヤは答える代わりに、そっと少女の頭を撫でるように抱いた。窓から見えていた夕日はいつの間にか沈み、その残照ばかりになっていた。





 深夜、ニーナは吹き込んで来た冷たい風に目を覚ました。部屋は闇の支配するところとなっていたが、あえかな月光によって、南向きの窓のカーテンが揺れているのが見えた。そこに佇む黒い人影を見つけ、ニーナは警戒して体を起こした。

 すると、相手が先に口を利いた。


「ニーナ・パーカー様でいらっしゃいますね」


 耳元を柔らかく撫でる、涼やかな少女の声だった。


「あなたは?」


 ニーナが問うと、相手が微笑んだのが気配で分かった。


「風のシルキーです。お迎えに上がりました。我が君」


 ニーナは大きく一度、深呼吸した。

 来るべき時が来たのだ――すべてを知りたい、というただ一つの思いが、ニーナの背中を押した。


「今、支度するわ」




 * *




 翌朝、フォルワース領主館から少女の姿は消えていた。少女の使っていたはずの部屋には、なに一つ彼女の痕跡は残っておらず、始めから空き部屋であったように整然としていた。

 それを目の当たりにした伯爵家の若君は、人知れず膝を突き、落胆した。





 第2章 了




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

★ 最新作 ★

転生悪役令嬢 VS 物語の作者。中華風転生お屋敷ロマンス。

『物語改変は許しません ― 転生悪女は花より紅なり ―』
『物語改変は許しません ― 転生悪女は花より紅なり ―』PR画像

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ