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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第2章 緋色の遁走曲

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8 夜の園

 大広間と打って変わって、外には静寂があった。寒空の下にあえて出ようと思う者はほとんどおらず、テラスで密やかな会話を楽しむ数組の男女がいた以外は、庭園に人の気配はない。

 庭園は、植栽された森と、細長い湖を有する広大なものだった。テラスから降りてしまえば、その端がどこにあるのかさえ見えない。石畳を敷いた遊歩道が、木立の間を縫うようにいくつも伸びており、そぞろ歩きには持ってこいだ。道に沿って据えられたベンチや東屋には煌々とした照明が絶えることはなく、夜であっても足元が危うくなるほどの暗闇ではなかった。


 遊歩道を歩く間、二人にほとんど会話はなかった。人工林の中をカディーが黙々と歩を進め、ニーナはただそれに寄り添って付いて行く。大広間の喧騒はやがて聞こえなくなり、ガラス越しの灯りさえ木立の間に消えたところで、二人は森を抜けて湖に出た。庭園の湖は、自然の小川をせき止めて造成されたものだった。敷地の下流側に小さなダムがあり、その先が滝になっている。遊歩道の先には湖を渡る屋根付きの石橋があり、カディーはその手前で足を止めた。そして、ため息をひとつこぼした。


「……もういいだろう。姿を見せたらどうなんだ」


 カディーが急に呟き、ニーナは不審に思って彼を見上げた。しかし仮面を着けた彼の表情は見えず、自分にかけられた言葉とも思えずに首をかしげる。どうしたのかとニーナが問いかけようとした矢先、正面から別の声がした。


「ようやく応えたね」


 囁くような、若い男の声だった。

 正面の石橋は、両側に柱が並ぶ柱廊のようになっていた。その柱が支える屋根の上。一番手前の端に腰かける人影を見つけて、ニーナは驚いた。つい今まで、そこには誰もいなかったと彼女は断言できた。現れた彼は暗闇にも映える純白の服を着ており、忽然と出現したのでなければ橋に着いた時点で気付いたはずだ。しかし彼は始めからそこにいたかのように、ゆったりとした様子で座っていた。

 男は、重力を感じさせない動きでふわりと地面に降り立った。ゆとりのある上着の裾がひるがえり、夜闇に溶け込む黒髪が長く尾を引く。彼が顔を上げる動きに合わせて瞳が緑や朱に光り、正面から見た色は青紫――カディーの瞳と同じ色だった。

 思わず見入るニーナの方へ歩み寄りながら、男は細面の顔に柔らかな笑みを浮かべた。


「こんばんは、ニーナ。(すえ)の者よ。こうして顔を合わせるのは初めてだね」


 彼が自分の名前を知っていることに、ニーナは少なからず警戒した。


「……あなた、誰?」

「アストラ。星を管理する者」

「星?」

「すぐに分かる」


 アストラと名乗った若者は、二人の目の前で立ち止まった。その目はニーナではなく、真っ直ぐにカディーをとらえている。カディーの腕をつかんでいるニーナにも、彼の体の強張りが伝わって来た。


「カロル、君が応じる気になってくれてよかった。これ以上の強攻はしたくなかったからね。――顔をよく見せてごらん」


 腕を振り上げるようにして、アストラがカディーの仮面をはぎ取った。カディーの肩が震え、あらわにされた彼の顔は、ニーナが見たことがないほど青ざめていた。

 カディーの褪めた頬に、アストラが触れた。


「変わらないようだね。よく力が満ちている。せっかくソルはよいものを作ったのに、傷付けるのは惜しい」


 カディーは沈黙したまま、アストラを見ていた。その顔からますます血の気が引いてくのを見て、ニーナは堪らず二人の間に割って入った。


「ちょっと離れなさい」


 カディーを背中に庇うように、ニーナは体を割り込ませた。アストラはカディーの頬から手を離して数歩下がり、ニーナは彼を睨みつけた。


「あんたなんなの? いきなり現れて。言っておくけど、彼はカディーよ。カロルなんて名前じゃない。人違いよ」

「ニーナ……」


 名前を呟いたのはカディーだった。アストラは表情を変えることなく、今度はニーナへと視線を向ける。


「カロルは灼熱。赤き炎の名前だ。カディーというのはエベリーナが付けたものだね。彼女が勝手なことばかりしたせいで全部がめちゃくちゃだ。困ったものだよ」


 不意打ちのように母の名前が出て、ニーナは愕然とした。彼がかつての母を知る人物であろうことに、思いがけず動揺する。それはどうしてか恐怖に似たものを呼び起こし、ニーナは後ずさった。

 その背中を、後ろにいたカディーが支えた。


「ニーナ。少し下がっていて」


 ニーナはカディーを振り仰いで見たが、彼の視線はアストラに据えられていた。口調はしっかりしていたが、顔は変わらず青い。

 カディーはニーナを後ろへ押しやるようにして前へ出た。


「アストラ。あなたはぼくを処分しに来たのでしょう。それなら早く済ませたらいい。……覚悟ならできてる」

「カディー、何言ってるの!」


 ニーナは狼狽してカディーの左腕をつかんだが、彼は振り向かなかった。アストラが、くつくつと喉を鳴らして笑った。


「全部承知の上で八年も無視していたわけか。まあ、承知していなかったら、そもそもジン失格だけれど。でも大丈夫。すぐに削除はしない。ソルが生かしておけってさ」


 アストラは目を細めて、カディーを見た。


「君に守護者として最後の仕事をさせてあげよう――四瑞石(しずいせき)を持っているね」


 カディーが息をのむのが、ニーナにも聞こえた。長くためらうような沈黙の後、彼はゆるゆると右手を持ち上げた。しかしその手にはなにもない。その時、彼の掌をきらめきが掠めた気がして、ニーナはまばたきした。たった一度のまばたきの間に、カディーの手に幅広な金の腕輪が握られていた。腕輪の中央には、滑らかな卵型の石がはまっている。石は、夜と夕暮れの交じる空のような青紫をしていた。


「それをニーナに」


 アストラが命じるように言った。


「でも、これは……」

「ニーナに」


 アストラは反論を許さず、カディーは口をつぐんだ。何度か深く呼吸をして、カディーは後ろのニーナに向き直った。


「……ニーナ、左手を出して」


 ニーナはカディーを見上げた。正面から目が合い、彼は青紫の瞳で真っ直ぐと見詰めてくる。その眼差しは、どこか悲哀を帯びていた。

 気をのまれたニーナは、戸惑いながらもゆっくり左手を差し出した。カディーは差し出された手をつかみ、自分の口元に寄せた。そのまま彼が中指の先を口に含み、ニーナは思わず固まる。ぬめる舌先を感じて狼狽えた直後には、同じ場所に尖った歯が当たった。


「痛いっ」


 噛まれたのだと分かった時には、指先はカディーの口元を離れ、赤い血をにじませていた。ニーナが思わず引こうとした手を彼は離さず、傷を付けた指を腕輪の石へと押し当てた。

 すぐに、変化は現れた。ニーナの指が触れたところから、なにかが染みるように石の色が変わっていく。青紫だった石の色は徐々に明るく、鮮やかさを増し、やがてニーナの血の色がそのまま移ったような真紅に染まった。


「これって……」


 ニーナは呟いたが、石の変化はそれで終わらなかった。石はさらに色を変え、黄色に、そして緑、青を経て、再び赤になった。


「四つの元素が君を認めた」


 呆然とするニーナに、カディーが囁いた。


「血の封印は解かれ、イヴの力が目覚める」


 腕輪の石は、元の青紫色に戻っていた。その腕輪をカディーはニーナの左腕にはめ、そのまま両手で包むように手を握った。


「……ごめん、ニーナ」


 俯いた彼の顔は、なにかをこらえるように、悲痛に歪んでいた。


「違うよ、カロル。目覚めの時にはおめでとうと言わなくては」


 浮かれたように、アストラは言った。


「ようやくすべてが修正される。これで君の役目も終わった」


 アストラが、カディーの背中に手をかざした。


「ご苦労様」

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