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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第2章 緋色の遁走曲

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7 仮面舞踏会

 控え室を出ると、波のように押し寄せる喧騒に飲み込まれた。カットグラスを惜しげもなく飾ったシャンデリアが人々の頭上に燦然(さんぜん)と輝き、金箔仕上げの天井がその光を振りまいて、大広間は昼間のように明るい。

 扉を出てすぐは、大広間を見下ろせる吹き抜けの柱廊になっていた。エリヤに手を引かれるまま大理石の柱の横を通り、玄関ホールから続く大階段へと向かう。階段を下りながら、ニーナは人混みの中で否でも目を引く赤黒の色彩を見つけた。


(カディーったら。まだつかまってる)


 伯爵令嬢は、彼女とお近付きになろうと集まる人々に挨拶をしながらも、その手はしっかりカディーの腕に絡ませており、当分放す気はなさそうだ。

 今日の舞踏会は若者のためのものだとベンソン医師が言っていたが、実際その通りであるようだった。誰もが仮面で顔を隠しているので分かりにくいが、揃いの仮面を着けた従僕以外に年かさらしい者はおらず、招待客は皆、地主や名家の子女といった様子だ。


 階段を下りきると、エリヤに気付いて挨拶しようとする人々に、あっという間に取り囲まれた。彼と一緒に登場したことで思いがけず注目を集めてしまい、ニーナは堪らずその場を離れた。人の波を掻き分けながら、苦労して柱の陰へと避難する。舞踏会はまだ始まったばかりだったが、慣れないドレスと人混みですっかりくたびれ、やはり参加するのではなかったと、早々に後悔していた。

 大広間の隅で、ニーナは急に一人ぼっちになった気がした。溢れかえる人々は皆、顔を隠し、表情を隠し、誰一人としてニーナを知らない。思い思いの豪華な衣装に身を包んだ貴人達は、今のニーナをどのように見ているだろう。形だけドレスを着せられて放り込まれた世界に、彼女は居場所を見失ってしまった。母ならこの場所をどのように歩いたのだろうと、想像してみたが、物悲しさが胸を占めただけだった。


 どれくらいそうしていたか分からないが、壁際で立ち尽くすニーナの前に、横から葡萄酒のゴブレットが差し出された。顔を向けて見れば、場慣れた様子のエリヤが立っていた。ニーナが思わず逃げた厚い人の群れを、いつの間にかさばき切ったらしい。

 少しためらってから、ニーナは杯を受け取った。


「退屈そうだな」


 彼が話しかけて来て、ニーナは葡萄酒を一口飲んでから答えた。


「当り前よ。元々参加するつもりなんてなかったんだから」


 あくまでぶっきらぼうに返し、ニーナは葡萄酒の赤黒い表面に視線を落とした。


「場違いなのよ。ここはあたしがいる場所じゃない」


 口に出してみると、ますますそれが身に染む気がした。


「わたしも時々、そう思うことがある」


 ニーナが顔を向けると、エリヤの目は煌々(こうこう)とした大広間中央に向いていた。


「君も前に言っていただろう。わたしはこの世界に向いていない。そうも言っていられない立場なのは重々承知しているが、息が詰まりそうになるのは確かだ。初めて公の社交場に立った時には、すぐに広間から逃げ出したものだ」


 エリヤが顔を振り向け、仮面から覗くニーナの目をとらえた。


「場違いでもいいんではないか。場違いだろうとなんだろうと、君は逃げ出さずにこの場に立つことができている」


 近くを従僕が通りかかり、エリヤはニーナと自分のゴブレットを下げさせた。そしてニーナの正面にまわって手を差し出した。


「少し踊ろう。体を動かせば、多少は気分がましになる。せっかくドレスが似合っているんだ。少しくらい楽しむ試みをしてみてもいいんじゃないか」


 体を動かせばのくだりは彼個人の感覚ではないかと思ったが、挫けた気持ちが心なしか持ち直すのを感じた。だがエリヤに慰められたのが(しゃく)で、ニーナは少々意地悪な気分になった。


「いやよ。ダンスに誘うなら、もっとちゃんとした申し込み方があるんではないの」


 仮面越しに、エリヤが笑ったのが分かった。


「では――ニーナ、わたしと踊っていただけますか?」


 エリヤが優雅にお辞儀をして改めて手を差し出し、ニーナは共謀するような愉快さを感じた。お酒が入ったことで、気が大きくなっているのかもしれない。彼の手を取ると、滑るように大広間中央へといざなわれた。


 ダンスの輪に加わると、エリヤがすんなりとワルツに乗り、ニーナはあまり考える必要がなかった。パートナーが巧みなので、慣れない彼女でも足運びを迷わずに済んだのだ。本人が自身をどのように評価していようと、彼はやはり宮廷仕込みの貴公子なのであり、踊り一つとっても当たり前の男性とは違うのだった。

 楽しいと思っている自分に気付き、ニーナは内心で驚いた。体を動かすだけで気がまぎれるのは、自分にも当てはまることだったらしい。エリヤは仮面の向こうで閃く笑みを見せ、彼もまた楽しんでいるのが伝わって来た。

 楽団が奏でる三拍子に合わせて景色がまわるたび、ニーナはダンスに没頭していった。御曹司と踊る彼女は誰だろうと、囁き合い、嫉妬を向ける令嬢もいたが、すべてはニーナの意識の外でのことだった。嫌っているはずの貴族の若者と微笑み合うのは奇妙な心地ではあっても、それほどいやな気分ではなかった。その理由が、相手がエリヤだからなのか、自分が変わったからなのかまでは、今のニーナには分からないのだった。





 曲が終わり、二人は手を取ったまま壁際まで退いた。


「なにか飲みものを取って来よう」


 わずかに息を弾ませるニーナに告げて、エリヤがその場を離れる。ニーナは再び一人になったが、今度は不思議と思いわずらわずにいられ、大広間の様子を観察する余裕さえあった。

 踊る前と後で、ここまで気の持ちようが変わるとは思わなかった。単純に、エリヤがニーナの機嫌の取り方を心得始めているだけな気がしないではないが、物憂(ものう)いまま時間をつぶすより有意義だと思うことにした。


 階段横に陣取る楽団が、わずかな楽器の調整の後に、次の曲を奏で始めた。一つ前の曲で踊っていた人々と入れ替わるように、広間中央に集った者達がまわり始める。

 その時、まわる人々の向こうを影法師のように横切る、黒ずくめの若者を見つけた。背中に垂れた緋色の髪は見間違えようがなく、ニーナは嬉しくなって、広間をまわり込むように彼を追った。彼は淀みない足取りで広間を奥へと向かっており、ニーナは人混みで見失うまいとスカートを持ち上げて自然と小走りになった。

 大広間の一番奥は庭園に面しており、壁の下半分にガラス入りの格子戸が連なっていた。今は明々とした室内を映し出し、外をよく見ることができない。若者がそのガラス戸から出て行くのを見て、ニーナは足を速めた。

 外に出た途端、冷気が肌をなめてニーナはすくみ上った。暦の上では明日から冬になる。夜ともなれば、肩を露出したドレスで出られるものではなかった。それでもニーナは、テラスの縁に立つ若者に歩み寄った。


「カディー」


 呼びかけると、彼は驚いたように振り向いた。そして、自分で自分の肩をさするニーナを見て、さらに目を見開いたようだった。


「ニーナ、そんな格好で出て来たのか」


 ニーナはすでに歯が鳴りそうだったが、構わずカディーの隣に並んだ。


「うまく逃げられたみたいね」

「まあ、なんとかね」


 ため息をつくように言いながら、カディーは黒い上着を脱いだ。


「寒いなら中にいたらいいのに」


 カディーがニーナの剥き出しの肩に上着を着せ掛け、プラチナ色の(おく)れ毛を撫でる。上着に残る彼の体温が肌に伝わって来て、ニーナは気持ちまで温もる気がした。


「カディーはここでなにしてたの?」


 一瞬間があってから、カディーは答えた。


「少し人混みに酔ったから、気分を変えようかと思って」

「ベロニカにあれだけ連れまわされたら、確かに変な酔い方をしそうだわ」

「そうだね」


 ニーナが納得すると、カディーは――仮面でよく見えなかったが――苦笑のようなものを浮かべた。


「少し庭を歩いて来るよ」


 カディーがテラスの手すりを伝って、庭園へ降りる階段へ向かったので、ニーナは慌てて追い駆けた。


「あたしも行くわ」


 追い付いてもう一度隣に並ぶと、カディーは足を止めた。


「寒くないかい」

「平気。歩けば体も温まるわ。行きましょう」


 ニーナが腕を絡めると、仮面越しに見たカディーの瞳がちらと揺れた気がしたが、彼は何も言わずに再び歩き出した。

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