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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第2章 緋色の遁走曲

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5 ハーブ・ガーデン

 実りの季節、フォルワース州は夏とは違った活気に包まれていた。北国の人々は、動物が冬ごもりの蓄えをするように、これからやって来る厳しい季節を乗り切るための準備に余念がない。川辺の粉ひき小屋は絶えず稼働し、採れた魚は秋の間をかけて燻製にされる。春夏の間に刈られた羊毛はフェルトや毛織物に加工され、寒気の訪れに備えた。

 領主館も例外ではなく、厨房棟の貯蔵室は領内から納められた農作物や加工品で満杯になり、炊事場の灯が絶やされることのない日々が続いていた。


「ニーナさん!」


 ヒステリックな女性の声を背中に聞き、ニーナは胸の内で、ひゃあっ、と叫びながらだだっ広い廊下を駆けた。その後を、髪をきつく結い上げた中年女性が追い駆ける。


「淑女たるもの、はしたなく走ってはならないと、一体何度言ったら……」

「あんただって走ってるじゃない!」

「あなたが逃げるからです! それに言葉遣いもいけません! あんたではなく、あなたと……」

「そんなのどっちでもいいでしょ!」


 言い返しながらニーナは軽く飛び上がり、階段の手すりを一気に滑り降りた。


「まあっ、なんてこと!」


 階段の上で唖然とする女性に向かって舌を出し、ニーナはまた駆け出した。

 傷が癒え、体力もすっかり戻ると、ニーナは持ち前の奔放さを発揮するようになっていた。そもそも幼い内から森の中を跳ねまわって育った少女なのであり、屋敷に収まって粛々と振舞えるはずがないのだった。

 そんな彼女を見かねたのが、家庭教師のアマリアだった。ニーナにレディの慎みを身に着けさせようと、ある日躍起になったのだ。ニーナにとってみれば堪ったものではない。結果的に二人の追いかけっこは、伯爵家の日常として定着しつつあった。

 ニーナは進行方向に、背の高い後ろ姿を見つけた。


「カディー」


 呼びかけて一目散に駆け寄ると、振り向いた彼の後ろにまわった。


「隠して、隠して」


 体を縮めて背中に貼り付くニーナを、カディーは体をひねって見た。


「また、やってるのかい」

「いいから、いいから。わっ、来た」


 正面からアマリアが息を切らしてやって来るのを見て、ニーナは首を引っ込めた。アマリアはぜえぜえと喉を鳴らしてカディーの前で立ち止まり、息を整えながら取り繕うように姿勢を正した。


「これはカディー殿。お見苦しいところをお見せいたしまして、失礼いたしました」

「こんにちは、アマリアさん。いつもご苦労様です」


 カディーが人当たりよく返すと、アマリアは満足げに笑みを返した。しかしすぐに咳払いをして、彼の後ろへと目をやる。


「ニーナさん。まったく、あなたという方は、いつもカディー殿に甘えて。もう少し、カディー殿のご迷惑も考えてはいかがですか」


 ニーナは取り合わずにそっぽを向き、それがますますアマリアの怒りを買った。


「ニーナさん、聞いているのですか! まったくあなたは、いつもいつも。よいですか、淑女たるもの……」

「アマリアさん、今日はそのくらいで」


 とくとくと説教を始めようとしたアマリアを、カディーが遮った。すると彼女は、矛先を彼へと変えた。


「カディー殿。身内だからと甘やかしていては、本人のためになりません」


 だがカディーは特に堪えることもなく、かえって甘く微笑んだ。


「分かっているよ。でも彼女は強制されるのをひどく嫌うから、あまり追い駆けないであげて」

「ですが……」

「大丈夫。後はぼくがよく言っておくから」

「……そうですか。カディー殿がそう言うのであれば、今日はこのくらいにしておきましょう」


 アマリアは急にしおらしくなったようだったが、カディーの背中に隠れるニーナを見る目だけは鋭かった。


「今日のところはカディー殿に免じて見逃しますが、明日からはきちんとしていただきます。よいですね」


 ニーナは答えなかったが、アマリアは背筋を伸ばしてカディーを見た。


「それではカディー殿。わたくしはこれで。ごきげんよう」


 小さく膝を折って向きを変えると、アマリアは几帳面な歩き方で去って行った。足音が遠ざかったのを見計らって、ニーナは顔を覗かせる。


「効果てきめんね」


 ニーナが呟くと、カディーは複雑そうに笑った。

 最近気付いたことだが、アマリアはカディーを気に入っている節がある。いつでもなにかにつけて口煩い彼女だが、カディーの前ではそれが少なからず軟化するのだ。実際、今もカディーの言葉であっさり引き下がってしまった。他の人間では、こうは行かないはずだ。


 だが、それはアマリアに限ったことでもなかった。カディーが屋敷内を歩いていると、話しかけて来る者は多い。しかもそのほとんどが中年以上の女性使用人なのだ。

 よくよく思い返してみれば、ニーナが保護された最初の頃に身のまわりのことをしてくれたメイドは一人だったが、カディーが部屋にいるようになってからは毎日違うメイドが来ていた。若い女性達の間でも少なからず噂になっているのかもしれない。

 カディーの見た目と人当たりのよさのなせることなのだろうが、伯爵家の人間と違って彼には定まった身分がないのも大きな理由に違いなかった。

 カディーが向きを変えて歩き出したので、ニーナもその隣に並んだ。


「ほんと、煩くていやになっちゃう」

「少しくらい相手をしてあげたら? あまり走らせると可哀そうだ」

「いやよ。伯爵家にお世話になっているのは確かだけど、だからと言って貴族に染まる気はないわ」


 ニーナはカディーの手を取り、足を速めた。


「そんなことより、早く行きましょう」

「はいはい」


 カディーは肩をすくめ、今にも駆け出そうとするニーナに引っ張られて行った。





「ベンソン先生、こんにちは」


 ニーナが手を振って駆け寄ると、茂みの前に屈んでいた老医師が顔を上げ、立ち上がって出迎えてくれた。


「いらっしゃい、お嬢ちゃん。今日もよく来たね」

「こんにちは。お邪魔します」


 後から来たカディーも挨拶をすると、ベンソン医師は同じように歓迎した。

 ベンソン医師は仕事と趣味を兼ねた薬草園を領主館の敷地内に持っており、そこへ通うのがニーナの日課になっていた。繁殖力の強い薬草が他の植物を駆逐しないようレンガ塀で囲われた庭は、一歩踏み入れた瞬間から強い匂いが立ち込めている。しかしニーナはその匂いが嫌いではなかったし、ベンソン医師と彼が淹れるハーブティーをことのほか気に入っていた。なにより、ニーナが寝込んでいた時に精神的な支えになったのはカディーだが、そのことを最も尊重してくれたのは医師なのだ。ニーナが懐かない理由はなかった。

 薬草園にいる時のベンソン医師はいつも、野良着の袖をまくり、つばの広い帽子を被っていた。


「先生、あたしにも手伝わせて」

「これこれ、素手ではいかん。かぶれるぞ」


 ベンソン医師に渡された手袋をはめて、ニーナはさっそく土いじりに取り掛かった。

 薬草園ではキク科が花の咲かせ、サンザシが実を付けていた。真っ赤に色付いたトウガラシも植わっており、この庭の植物は実に多彩だ。他の庭園のように綺麗に刈り込まず伸びるままにされた草木は雑然としていたが、植物本来の生気が感じられ、ニーナはかえって好ましく感じていた。


「今日も駆けまわっておったようだの。アマリアの声がここまで聞こえておったよ」

「そうなの。そろそろ無駄だって気付いてもよさそうなのに。いい加減にして欲しいものだわ」


 ニーナが肩をすくめながら言うと、医師は、ほっほと朗らかに笑った。


「まあ、アマリアの生きがいみたいなものだからの。あれで優秀な女官を何人も育て上げた実績もあるが、お嬢ちゃんの前では形なしだの」

「ほっぺたに泥を付けた今の姿を見たら、それこそ卒倒してしまうんじゃないかな」

「え、うそ。どこに付いてる?」


 隣で作業するカディーに指摘されてニーナは頬をこすったが、汚れた手袋のままではかえって泥を広げるだけの結果になった。


「君がレディを目指したとしても、道のりは長そうだなあ」


 カディーは呆れ気味に苦笑し、ベンソン医師は愉快そうに笑った。


「泥を落として、お茶にするかの」





 薬草園の奥には用具置き場を兼ねた小屋が建てられていた。ドーム屋根の乗った建屋の中には炉床もあり、ベンソン医師はいつもここでお湯を沸かしてお手製のハーブティーを振舞ってくれる。この日は天気も良かったので、テーブルと椅子を外に出してお喋りに興じることにした。


「そういえば収穫祭の日は、領主館の礼拝堂でも燃えさしを配るの?」

「もちろんだとも。礼拝堂前の庭でかがり火を焚いて、その燃えさしを屋敷内全部の炉にくべるんだ」

「お屋敷全部? それってかなり大変ね」


 領主館は広大な上、居室ごとに暖炉がある。そのすべてに火を入れて燃えさしをくべるとなると相当な労力になるはずだ。


「屋敷は広いし、お偉方にはなにかと黒いものが付いてまわるからの。それくらいやってちょうどいいのだろうて」


 ベンソン医師の見解に妙に納得しながら、ニーナは爽やかな香りのお茶をすすった。

 収穫祭は、その年の実りを女神に感謝すると共に、冬の訪れを知らせる、年に一度の大きな行事の一つだ。同時に、悪い精霊が最も力を強くする日ともされており、各地の聖堂では司祭達によって魔除けのかがり火が焚かれる。各家庭ではその燃えさしを分けてもらい、家の炉にくべることで、悪いものが中に入って来るのを防げるとされていた。

 ニーナも、森で暮らす以前には両親に連れられて、聖堂に足を運んだのを覚えている。聖堂は大抵、町ごとにあるものだが、フォルワース領主館には伯爵家の人間が日々のお祈りを行うための、私的な礼拝堂があった。


「お前さん達も、舞踏会には参加するのかね」

「舞踏会?」


 ニーナは首をひねった。


「なんだ、聞いとらんのか。収穫祭の夜は毎年、領主館で舞踏会をやっとるんだよ」

「収穫祭の夜ってことは、お面でも着けて踊るの?」

「まあ、そんなところだの」


 収穫祭の夜は悪い精霊がいたずらをしてまわるので、お面を着けて仲間のふりをすることで、いたずらを回避するという風習がある。地域によっては、もっと派手な仮装までするところもあるらしいが、それが貴族の舞踏会で取り入れられているというのは、考えたこともなかった。


「先生は参加するの?」

「いやいや。あれは若者のもんだ。年寄りはお呼びでないわい」

「ふうん」


 お茶を口に含みながら、ニーナは少し想像してみた。収穫祭のお面と言えば、剥いだ木の皮に目を空けたものが定番だ。だが、ハンカチ一枚からして贅沢品を身に着ける貴族が、そんなものを顔に当てるとは思えない。彼らが着けるなら、宝石をちりばめた、ぎらぎらとしたお面をだろうかと思ったが、それはそれで滑稽な気がした。


「ちょっと面白そうかも」


 ニーナが呟くと、反応したのはカディーだった。


「珍しいね。君が貴族の行事に興味を持つなんて」

「だって、お面を着けて踊るのでしょう? しかも収穫祭の夜にお金持ちが集まるとなったら、とんでもない仮装の人とかもいそうだし。見るだけなら楽しそう」

「……それ、本気?」


 ニーナは少し乗り気になって来ていたが、カディーが心持ち渋い顔をした。


「カディーはいや?」

「そういうわけじゃないけど……」


 カディーは気が進まなそうに言い淀んだが、考えを振り切る様子で小さく頭を振った。


「いや、いいよ。ぼくも付き合おう。見学できるか聞いてみるよ」

「本当? ありがとう、カディー」


 今後の楽しみができたところで、ベンソン医師が、ほっほと笑った。


「話がまとまったようだの。だが、見学でいいのか? 折角なら参加したらどうだね」

「それはいいわ。大勢のお金持ちの中に交じろうなんて、ちっとも思わないから」

「まあ、気持ちは分からんではないの」


 ニーナの率直な意見に医師が同意した。

 三人での和やかなお茶会はそのまま、空が赤くなり始めるまで続いた。途中、ニーナは隣のカディーをちらりと窺った。舞踏会の話になった時に彼が見せた渋面が、少しばかり気になったのだ。なにか心にかかることでもあるのだろうかと思ったが、その後はいつも通りの柔和な様子だった。きっと、貴族の行事を見たいとニーナが言い出したことに、驚いただけなのだろう。ニーナがそう結論付けたところで、この日のお茶会はお開きになった。

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