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白金のイヴは四大元素を従える  作者: 入鹿なつ
第1章 ディザーウッドの少女
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1 ニーナとエリヤ

挿絵(By みてみん)

 森の奥で少女は目を覚ました。

 濃い緑葉の隙間を抜けた朝の光が、小さな明かり取りを通って少女の瞼を射す。まぶしさにひるんで木綿の掛布を頭まで引き被れば、枕に広がるプラチナ色の髪の上で光は踊った。


 束の間の静寂の後、少女は潔く布団をはねのけた。目をこすり、猫のようにしなかやな伸びをする。日の出と共に起きだして鳴き交わす野鳥の声を聞きながら、少女は低いベッドから降り立った。


 少女の名前はニーナ・パーカー。歳は先月十六歳を迎え、本人は無自覚ながらもう十分に結婚を考えてよい年齢になっていた。


 水差しの水で手早く顔を洗い、寝間着から木綿のシャツとスカートに着替えたニーナは、小さな手鏡を覗き込んだ。はつらつと見返す琥珀色の瞳に笑いかけ、顔の周りで波打つプラチナの髪をなでつける。箪笥の上に鏡を伏せ、今度はその横に置いていた首飾りを取り上げた。


 両端の尖った細長い水晶のついたそれは、幼い頃に亡くした母の形見だ。


 首飾りを服の下につけて襟を整えたニーナはふと動きを止めると、少し考えた後に指を折って数を数えた。それからぱっと瞳を輝かせて、部屋の隅にある梯子を半ば飛び降りる軽やかさで下った。

 階下は炉から立ち上る湯気と熱気でほんのり温かかった。木組みの簡素な食卓の横をすり抜けて、石積みの炉の前をせかせかと動きまわる小柄でくびれのない背中に駆け寄る。


「おばあちゃん、おはよう」


 明るく挨拶をすれば、祖母ジゼルは丸い顔をちょっとこちらに向けて、目元の皺を深くした。


「ああ、おはよう」


 すぐに顔を戻して、ジゼルは火の上に吊した鍋をかきまわし始める。ニーナは嬉しさで緩む口元をそのままに、祖母の横顔を見た。


「ねえ、おばあちゃん」

「ん?」


 ジゼルは振り向かなかったが、ニーナは気にしなかった。


「今日よね」

「なにがだい?」

「カディーが帰ってくるの」


 ジゼルは一瞬手を止めて考えてから頷いた。


「そうだね。三日だから今日あたりだね」


 待ち遠しく、ニーナは仰け反って呟いた。


「あーあ、早く帰ってこないかなぁ」


 カディーはこの家のもう一人の住人だ。四人暮らしでは貴重な男手であり、月に一度、手作りの木製品などを携えて町へ出かけ、それを売ったお金で生活消耗品などを買い込んでくる。


 彼が家を空けるのは大抵三日間で、今日はその三日目だった。血は繋がっていないが、年上で優しい彼をニーナは兄であるように慕っていた。


「ほらほら、そんなところでぼさっとしていないで、ちょっとロイを見てやっておくれ」


 言われて食卓の方を見ると、いつ起き出して来たのか、五つ年の離れた弟がぼんやりと椅子に座っていた。銀灰(ぎんかい)色の髪は豪快な寝癖がついたままで、目もろくに開いていない。

 ニーナは呆れてため息をつくと、軽い足取りで近寄った。


「おはよう、ロイ」

「お……はよ、う……」


 言いながらロイの体が前に傾き、ニーナは弟の額を指で弾いた。


「いってぇ……」


 ロイは額を押さえたが、まだいまいち目が開かない。ニーナは片手を腰に当てて、もう一方の手で外へ続く扉を指差した。


「いつまでも寝ぼけてないで、外の水で顔を洗ってきなさい。冷たい水を被ればちょっとくらい目が覚めるでしょう。本当に寝起きが悪いんだから」

「うん……」


 後半を聞いていたかは怪しいが、ロイは素直に椅子から降りてふらふらと肩を揺らしながら外に向かった。ニーナはそれを見送ってから、自分の椅子に座った。その前へ、湯気の立つ麦の粥が置かれる。


「早く食べてしまいなさい。香草を切らしてしまったから、食べたら採りに行っておくれ」

「はーい」


 ニーナは返事をすると匙を取って、熱々の甘い粥を口に運んだ。




 * *




 足元に動物の足跡を見つけ、エリヤ・ハワードは地面に膝を突いた。それを、寄宿学校以来の友人ニコラス・ヘネシーも腰を屈めて横から覗き込んだ。


「鹿か?」

「ああ。だが踏まれた葉が茶色く乾いている。近くにはいないよ」


 エリヤは立ち上がると、つばの小さい帽子を脱いで(とび)色の前髪を掻き上げた。ニコラスが亜麻色の長髪とマントを振り払いながら腰を伸ばす間に、帽子を被り直して再び歩き出す。


 ディーリア王国北部、フォルワース州。その統治を預かるフォルワース伯爵の長子エリヤ・ハワードは友人と従者を伴い、領地の北東を占める森、ディザーウッドへ狩猟にやって来ていた。


 フォルワース州の北端はシルワ山脈に接していた。山脈は西から始まり、連なりは途中で緩く南に折れて、王国北の国境を成している。その折れ目で、山脈に抱えられるように広がっているのがディザーウッドだった。


 一行は午前の早い時間からやって来て、間もなく正午を過ぎようとしていた。ニコラスと従者の顔には疲労の色が淡く見え始めていたが、エリヤは青葉燃える夏の森の散策を飽くことなく楽しんでいた。彼の前を歩く猟犬ヤンの足取りも軽快だ。


 伯爵家御曹司の狩猟となれば、専門の猟師を雇って獲物の捜索と誘導をさせ、本人は開けた場所でただ待ち受けて射るだけなのが一般的だ。しかしエリヤは、自らの足で獣道に分け入ることを好んだ。

 お膳立てされた成果でなく、自身の勘と経験、技術を駆使し、獲物を見つけてから射止めるまでの駆け引きこそが狩猟の醍醐味、というのが彼の考えだ。


 しかし、この日の獲物は、いまだない。

 ついに、ニコラスが音を上げた。


「エリヤ、いつまで獲物のいない森を歩くつもりだ?」

「別に動物がいないわけではない。運悪くまだ遇っていないだけだ」

「なら、今日は運が悪い日ということで、もう帰らないか?」

「なんだ、飽きたのか?」


 会話しながらも歩き続けていたエリヤは、ようやく足を止めて友人の方へ顔を振り向けた。ニコラスは苦笑したいのを堪えた。


「何時間もなにをするでもなく歩きまわって、飽きない方がおかしいと思うが?」

「そうか? わたしはそうでもないんだが」


 ニコラスは今度こそ苦笑いした。


 決して短くない付き合いなのだから本当は分かっている。ただ外に出て体を動かしているだけで機嫌がいい。エリヤはそういう(たぐい)の若者だ。ニコラスがぼやくのを聞きながらも、緑みを帯びたはしばみの瞳は屋敷にいる時よりずっと生き生きと輝いている。


 容姿も生まれも、美男子を自負するニコラス以上に恵まれている彼だが、どうしてもこういう子供っぽいところが抜け切らないのだった。


 一歩後ろを歩いていた従者も限界が来たらしく、窺うように口を開いた。


「若様、雲が増えてきました。そろそろ戻らないと屋敷に着くまでには降り出すのではないかと。雨になると、この森にいては動けなくなります」

「なんだ、君まで」


 不服を表すエリヤの肩に、ニコラスは手を置いた。


「そういうことだ。家臣にまで文句を言われているようでは、伯爵家の人間としてどうかと思うが?」


 エリヤは少し睨むようにニコラスと目を合わせる。だが友人が全く動じることもなく眉を上げるのを見て、肩をすくめた。


「つまり、いい加減にしろと言いたいのだろう」

「よく分かっているじゃないか」


 ニコラスの上機嫌な笑顔に少々面白くないものを感じながらも、エリヤは観念した。


「分かったよ。今日はもう戻る。行くぞ、ヤン」


 先を歩いていた犬に声をかけて、エリヤを先頭に一行は進行方向を変えた。だが何歩か進んだところでヤンが付いてこないのに気付き、エリヤはすぐに振り向いた。


「どうした、ヤン」


 もう一度呼び掛けてみても、犬が動こうとする気配がない。鼻をひくひくと動かしながら、じっと一点を見詰めていた。その様子に状況を理解したエリヤは、ヤンの視線の先に素早く目をやった。


 そちらは高木(こうぼく)の間を埋めるように灌木(かんぼく)が茂り、見通しが悪くなっている。だが目を凝らしていると、波打つ藪の奥の方で灌木の枝が震えるのが見えた。風ではない。生きものがいる。ヤンが吠えないので、熊ではなさそうだ。


 エリヤが背負っていた弓を構えれば、他の二人にも緊張が走った。ニコラスもすぐに二の矢が打てるよう、矢筒に手を伸ばす。

 エリヤは矢を番え、弦をいっぱいまで引き絞った。


「行け」


 エリヤの低い指示と同時に、ヤンが駆け出した。半円を描いて獲物を回り込むように藪を走り抜けていく。そして地面を蹴り、獲物に向かって跳躍する茶色の背中が見えた。


「きゃあぁっ!」


 響いた悲鳴に、その場にいた全員が凍り付いた。顔を見合わせれば、誰もが見る見る血の気が引いていくのが分かる。状況を悟ったエリヤは慌てて弓弦を緩め、蒼白になって藪に駆け込んだ。

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