2話
夕食を食べていると母親が俺のこれからの事を話し始めた。
志望校はどうするのか、今からでも塾に行った方が良いんじゃないのか―――――
やめてくれ。
俺の人生は終わりを迎えようとしているのだ。
暫くはそういう事で良いだろう。
それに母親が俺の学校の話をするときは、大体いつの間にか説教になっている。
そんなものはゴメンなので俺は口に旨い物だけを突っ込み、足早に自室に戻った。
ドアを開け、窓を開く。ひんやりした風が心地いい。
霧はもう晴れたようだ。
景色をボーっと見ていたがつまらないので蒲団に頭から突っ込む。このまま寝てしまえそうだ。
「はーあ」
窓が開けっぱだけど明日雨が降るわけでもない。
このまま寝てしまおう。
〇
地震が発生しました。
…県…市…地区を震源として、揺れの強いところでは――――‐
〇
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
森は地面ごとモノクロで、遠くになるほど暗く、綺麗なグラデーションを見せていた。辺りは蛍のような物が飛び交い、薄暗い空間に光を散らしている。幻想的な眺めは、苦労してたどり着いた人が見れば感動で涙を流す程だろう。
「どうなってんだ…」
最初は夢だと考えた。ベッドで寝ていたはずなのにこんな状況になる道理がない。
辺りに点在する木。これの幹を触ってみるとプラスチックのようにスベスベしていて、葉っぱは千切り取ってみると手の中で音を立てて蒸発した。
蒸発したのは腰が抜けそうなくらい驚いた。完全に危険物だ、それ以上木に触れて調べる気はそこで無くなった。
異質すぎるこの場所にポカンとするばかりだったが、我に返り、とりあえず出口を求めて歩きだした。しかし、初めの数歩で根っこに躓いて転んだ。とんでもない木だ。
右の膝をすりむいたようで、じんと痛みが走る。これにハッとして今更ほっぺを摘まんでみたが普通に痛かった。
そのまま仰向けで寝ころびながらどうしようか考える。
結果、とりあえず引き続き歩き回ることにして、現在に至る。
俺はジャージの上下に裸足でペタペタと歩きながら、周りに何か木以外の物が無いか見回していて、ついに何か大きな影を捉えた。
「…」
動いている、生き物だ。人間だろうか、行くべきか?
俺はウジウジと悩んでからこっそりと近づくことに決め、木の根を踏まないように気を付けながら距離を詰めることにした。
こういう時、裸足だとやりやすいなと思いながら進んでいくと、生き物は人間だということが分かった。出ていこうとしたが、すんでのところで思いとどまり息を潜める。
人影は子供のように小さかったが、大きい帽子を目深にかぶり、カンテラのような物を持って歩いている。その服装はヘンテコで、言葉は通じそうにない。あれじゃあ情報を得るどころか危害を加えてくるかもしれない、リスクが高すぎる。
人影が見えなくなった辺りで、やれやれと腰を上げようとしていたら、また違う人影が見えた。白髪の人物が、黒髪の子供をおんぶして歩いている。
もっとよく見ようとしたところで音を立ててしまう。枝が肩に当たったようだ。
観念して立ちあがるとおんぶをしている白髪と目が合う、白髪は若い女性のようだった。病衣のような物を着て、茶色いスリッパを履いている。
「あー えっと、こんばんは?」
声を掛けてみるが、向こうは返してこない。明らかにこちらを警戒しているのが分かる。
なんだか変質者になった気分だ。その通りなんだろうけど。
「言っておくけど怪しい者じゃないぞ」
少しの間があいた後、はぁ、と白髪は溜息なのか相槌なのかよく分からない声を出した。釈然としないが内心ホッとしていた。どうやら日本人のようだ。
向こうは姉妹だろうか、妹の方は姉の肩の上で寝ているらしい。暫く睨み合っていたが、白髪はやってられないとばかりに森の中を歩き出した。
「アナタも出口探してるんでしょ、私もそんなところ。」
行く当ても無いのでこちらもそれに続いて歩く。
〇
どれくらい歩いただろうか。
「そろそろ休憩しましょう」と白髪はこちらに言い、相変わらず何の変わり映えのしない森の中に背負っていた少女を降ろす。
白髪は葛西 文乃という名前で、良く見たら中々の美人だった。不愛想な性格と不気味な白髪さえなかったら好みのタイブだったかもしれない。
少女は座っている葛西の横で寝息を立てている。こうして見ると、二人の顔立ちはよく似ていた。
「そいつは、妹?」
「いや、この子は妹じゃないわ。私が気づいた時に近くで倒れていただけ、放っておくわけにも行かないから」
意外に思っていると葛西は「やっぱりそう思う」、と言った。
「この子、私にそっくりなの」
「ふうん」
適当に相槌を打つと葛西は変な顔をした。期待していた反応と違ったらしい。
「…ええと、似ているっていう領域を超えているのよ、まるで昔の自分の写真から出てきたような…」
「は?ドッペルゲンガーってやつか?」
「そうそう、感覚的にそれに近いわね。」
いつもなら、アホか。なんて風に言う所なのに、すんなり受け入れている自分に驚いた。
「…今なら、何が起きても受け入れられそうだ」
「私も自分で何を言ってるのか分からないわ」
ドッペルゲンガーは幻視の一種だ、伝承では自分の姿を見た者は死ぬなんて言われている。
正直、そんな幻覚が見えている時点で不健康も良い所だと俺は思う。後に発狂しても死んでも何もおかしくない。
「けど、そんなんじゃなさそうだぜ、実体があるし」
「確かに、触れられるのが妙なのよね」
「…ドッペルゲンガーであって欲しいのか?」
「まさか―――?」
遠くの方で悲鳴のようなものが聞こえたのはその時だった。俺はさっきの奇妙な小人を思い出した。
二人して硬直していると、声のした辺りで青い光がうっすらと見え、直ぐに消えてしまった。結構近い。何の光だ?
「どうする?」
小さな声で葛西は囁く。
「ここを脱出する手がかりが無い以上、行くしか無いだろ」
そう言って立ちあがると少し足が痺れた。改めて疲れを感じる。葛西も立ちあがり、辺りを軽く見回すと、わざとらしく自分の肩を軽く揉み、んんーっと小さく唸った。
「この子おぶってくれない?交代してよ」
「…分かったよ」
今居る場所に戻って来れる確証が無い事はお互いよく分かっていた。だから置いていく訳にもいかない。仕方なく少女を背負ってみるが、思ったより軽かった。
「後で交代するから」と葛西が前を歩き始めたので着いていく。彼女のスリッパがパカパカ言うものだから、俺は何となくスリッパが地面に付いては離れているのを見ながら歩いていた。
詳しく話してはくれなかったが、この服装からして葛西は入院していたのだろう。病状は分からないが、こんなにも元気に歩き回れるものなのだろうか。
「…そのうち三途の川が拝めそうだ」
葛西に聞こえないように呟いてみる。俺、自分の部屋で寝てただけなんだけどなぁ…
〇
そろそろ悲鳴のあった場所に着こうかというとき、アッハッハ。という素っ頓狂な女の笑い声が聞こえた。続いて怒ったような子供の声。
姿が確認出来るところまで近づくと、二人とも子供だった。片方は灰色の髪をしている、もう片方はよく知った顔。
「あれ、ソウタ?」
思わずそう呟くと、横に居た葛西が「知り合いなの?」と囁いた。
「男の方だけな、昔近所に住んでいたんだ」
安藤 颯太は俺の家の近所に住んでいた子供で、一緒に遊ぶことが度々あった。毎回学校や友達に聞いた事をしつこく聞いてくるので、会う度に余計な知恵を付けさせた。アイツは俺を博士か何かだと思っていた様だが、実のところ只の小学生だったから、質問が分からない時は適当に吹かした。
俺が中学に上がってから、一緒に遊ぶことは殆ど無くなってしまったが、俺にとってみれば弟みたいな存在だった。
2年前に何も言わずに引っ越していってしまったが、元気らしい。
「お願いだから教えて…っ頼む!」
これは颯太の声
「ふふん、ソータ、これは生まれ持った資質の問題であってねぇ…」
これが灰色頭の少女の声。
「資質なら俺にもあるかもしれないだろ!」
「ないんだなぁこれが」
一蹴された颯太は分かりやすく肩を落とした。あの二人は敵対している訳ではなさそうだ。
俺が立とうとすると葛西は俺の肩を掴んで制止した。
「ちょっとまって」
「何で」
葛西は俺が不用心だという。先ほどの青い光の正体も分かっていない事から、まだ不安が残っているらしい。
「けど知り合いだぜ」
「もう一人は知らないでしょ」
そう言うと葛西が難しい顔をして考え事を始めたので、颯太の方に顔を戻すと。なんと二人ともこちらを見ていた。