373.15[K]~Water boils at 100 degrees Celsius~
「勇者、海人殿。」(何が勇者かっ。下らん。)
「はい、何かようですか?宰相閣下。」
「いえいえ、お伝えしたいことがあっただけでございます。」
黒髪黒目の異世界人、と聞けば世界中の人間はこの勇者を思い浮かべるだろう、と宰相は思いつつ、世間知らずの若造が増長しよってからにと内心だけで貶す。口に出すのは賢いことではないから。
この宰相、若さと髪を失ってから長いがその巧みな話術と各界へのパイプ、そして何より自らの魔法の腕でこのどろどろした王家の周りを生き生きと過ごしている。
美食家としても有名で、彼が料理を食べた店は将来が約束されると言ってもいいだろう。
食べることが好きすぎるあまり周囲の制止も聞かず食べ続け、気付けば肥太った豚か何かのような見た目になっている。それでも本人は悪びれもせず、勲章だと言うばかりであった。
「それで、伝えたいことってのは何?」
お前みたいな豚が話しかけんなよ。と内心で罵倒しまくっているが、外面には全く出さずに笑顔で対応していた。
この勇者、召喚された異世界人の中で唯一国に残ることを選んだ者だ。残るときには、大恩ある国へ、恩返しとして何かお手伝い出来たらなどと言っていたが、実際はこのまま国にいれば待遇は英雄や勇者。旅に出たりなんかしてこの気楽な生活を手放して堪るか。などと思っていた。だが、
「それでですね、あなたと一緒に召喚された者の一人が、あの森へ入ったそうです。」(まあ、もう生きてはいないだろうがな。)
彼はこれを聞いては冷静ではいられなかったのは勇者だ。召喚当時勇者らは思春期真っ只中の17才、男子二人女子二人で召喚された彼らがお互いを意識しない訳がなかった。
「誰だぁッ!誰が入った!」
彼、勇者の一人。都宮海人は、同じ召喚者の女子の一人に恋をしていた。
一人立場の確約された場所でぬくぬくとしていた者が何をそんなに焦っているのか、と目の前の勇者に覚めた目を向ける宰相。
「落ち着きなさい、勇者殿。全てお話ししますから。」
そう言って勇者をなだめすかしながらも、心の裡ではかなり容赦なくなじっている。
「いいから早く言えよッ!」
掴み掛からんばかりに問い詰める勇者だが、宰相は余裕の表情を崩さずに、いやむしろ笑顔を深めているほどだった。
「ええ、森へ入ったのは、香織さんです。私もつい先程聞き及んだのですがね。」
「香織が、どうして?……俺を置いて?」
呆然、信じられないと言わんばかりの勇者。宰相からしたら、こいつは何故あの女から好かれると思っているのか甚だ分からなかった。
ただ、海人からしたらこれは非常にあってはいけないことだった。何故俺の香織が離れていくのか本気で分からないのだ。
「行かなくちゃ、俺が迎えに来るのを待ってるんだから。」
こいつは何を言っているんだ?あの森は、入ったが最後。誰も出られない死の森だぞ。
よく、生きては出られない場所というのはあるが、あの森はそんな生ぬるいものではない。あそこからは死んでも出られない。
宰相が昔聞いた話にこんなものがある。
―――あの森は生きています。ほら、今も成長を続けているでしょう?森と我々人間の領域がせめぎあっているのがその例です。しかし、森はどうやって成長しているのでしょうか?仮に、森をわたし達人間に例えましょう。
あなたは成長のために何をしますか?
眠る?
運動する?
ええ、もちろんどちらも大切でしょう。しかし、思い出してくださいわたし達は何より、食べることで成長していますよね。人は食べた物で作られていると言われています。
そうです、あの森もわたし達と同じ。食べることをしています。
さて、あなたは今、食事をしています。しかし自分よりも小さい何かが食事の邪魔をして、食べた物を吐き出させようとしてきます。
あなたはどうしますか?
森は、邪魔するものごと食べることにしています。
食べられたらどうなるか?ですが未だ分かっていません。ただ分かっているのは、人が侵入した後は森の侵食が早まるということだけです。―――
こんな話なのだが。
こいつは自殺志願者か何かなのか?あの森に行くことすら自殺行為なのだぞ、と思わずにはいられない宰相。国の利益のためには彼には国に残ってもらわなくては困るのだ。だが、まあどうせ引き留められないなら国に不利益が出ないようにするべきだ。
「とちらに行かれるのですか、勇者殿。」
「どこって、あの森に決まってんだよ。香織がまってんだから。俺が行かなきゃダメなんだよッ!」
はぁ、子供か。聞き分けは悪いし、現実は見えてない。どうしてこの様なものが力を持っているのか。
「まだ、お分かりでないのですか?」
聞き分けの悪い子供をしつけるように優しい口調で窘めなければならない。
こういう者に激情のまま説得するのは得策ではない。意固地になって、より状況を悪化させる原因になるだろう。
「……ッフン。何がだ。」
少しは私の話を聞けるようになったようだ。きっと想い人への焦燥の念を私への苛立ちに転化したのだろう。
「あの魔境は人が生きるのにはあまりに不適。只人が一度入れば生き残れないことは必至。」
「何が言いたい。」
「いえ、ただ勇者様方であれば生き残るぐらいはできるのではないでしょうかと。」
そんなわけないがな。
「つまりは、あの森へは我々、国家の戦力は期待しない方が宜しいかと。」
「ああ、そんなことか。俺は足手まといを連れていく気なんて最初からないぞ。」
これで、うちの戦力が駆り出されることはないだろう。無駄死には許容できない。
「では、そのように。」
あわよくば死んでくれ、勇者殿。
「……森、………切れない。」
あの劇的な逃走から二年あまり、今はちょうど人と魔物の戦争が終わりの頃。
まだ、森を抜けられる気配はない。
しかし、変化がない訳でもなく時々動物やモンスターが現れるようになった。
あの逃走から、日のでているうちは歩き、日が沈んでからは訓練して力の制御を身体で覚えていた。
今ではかなりの速度を出しても地面をえぐらなくなった。これで日中だけとはいっても以前と同じぐらいの進行速度で歩けている。(歩いてない。)
モンスターを見ているうちに、段々と魔力を使うもの達がいることにも気がついた。
魔力は自分の中にもあるはずで、使いこなせれば便利なのは間違いないだろう。
同じく訓練を始めたがこちらはあまり成果はあがっていない。
自分のなかに何かがあるのは感覚で分かってあるのだが、それの動かし方がさっぱり分からないのだ。
モンスター達は魔力を動かして時に放出し、時に全身に纏って何かの現象に昇華させていた。これを使いこなすモンスター達から逃げるのは他のモンスターほどうまくいかない。
逃げても足に蔓が絡まったり、目の前に土の壁が急にできたり、後ろから火の弾がいくつも飛んできたりするのだ。一番怖いのは雷を纏った鹿のモンスターで、光の速度で森を駆け抜けて来るのだ。バリバリと音を立てて向かってくるが音のした方向を向いてもそこにはすでに姿がない。音を目で追っていたら簡単に狩られるだろう。
あの鹿から逃げるために他のモンスターを犠牲にしてしまった。申し訳ない。
しかし、これだけの数の魔力を使うモンスターを見てきたにも拘わらず魔力を見つけるところから何の進展もないのは、どうしてなんだろうか。
そろそろ何か進展して欲しいところなのだが、一向にその気配はない。
「……魔力、……んーッうごけー。」
まあ、動かないが。ロマンなのに使えないなんて。
あれ?魔力から糸が出てる。
体の心臓辺りにあった魔力の塊から糸のように細い魔力が染み出しているのを感じた。
体から出たその糸は、真っ直ぐに自分が来た方向を指していた。自分が最初にいた場所。そこに何かヒントがあるような気がしてきた。
「……伝って、……行ってみる、……か。」
行き先が決まればある程度気も楽になる。目標があるのは大事なことなのだ。
最初の場所に向かって、森を破壊しない程度に本気で走る。行きよりは圧倒的に早いとはいえ到着はかなり先になるだろう。
彼が人間と出会うまで後、少し。
―――嫌だ。
―――このまま帰れないなんて嫌だ。
―――もうみんなに会えないのも嫌だ。
―――こんな狂った世界にいたくない。
―――勇者になんてなりたかった訳じゃない。
―――帰る方法はないって。
―――人間の国に方法はない。
―――もう行くしかない。
「終焉の森……、ここがわたしの最後の希望。」
人類史上、ただ唯一人間が踏破できなかった最後の未到達領域。
ここは人外魔境、人類に残された最後の未知。今まで数多の組織が、国が、英雄が挑み、その全てを飲み込んだ。
例えばそれは、世界中の悪人を法に則らず裁くもの達。彼らはターゲットの人物が森に向かったと聞き、装備を整え出撃したそうだ。だが、その日の内に組織ごと全滅。世界最強の一角が滅んだ噂が広まるのにそれほど時間が掛かることはなかっただろう。
また、それは世界最大の帝国。帝国の皇帝は、今よりも肥沃で広大な土地を求めた。当然、未踏の領域というのは誰の所有物でもない。所有物たる人類の土地は全て帝国のものになっていた当時、残りの土地はもう森しかなかった。当時の国同士の戦争にかける軍資金の数百倍を投じて、ことは終始圧倒的に終わると誰もが思っていた。ある日突然、全滅の知らせが届く。その数日後、たった一発の火の玉が帝都を襲った。この火の玉によって帝都は火の海と化し、国家としての機能を失った帝国は滅びの途をたどったという。
あるいは、それは救国の英雄。今、世界で起こっているように魔物が森から溢れ出したことがあったらしく、世界は滅びの一歩出前というほどに疲弊していた。そこで、各国の王達が協力し、魔物と戦うものに国から金を出す制度を作り上げることになった。過去の遺恨だとかに構っている余裕がないほどにどの国も滅びに瀕していたため、後にも先にもこの時代より世界がひとつになったときはないだろうと言われている。しかし、世の中には努力だとか、友情とか、愛だとかそういうものではどうにもならないことがある。この制度によって数多の強者が名乗りをあげた。名を売りたい者、仕える主を探す者、愛する人を守りたい者。そんな猛者達の上に立った男、当時、不死身のギルバートと呼ばれていた最強の男。この者達を筆頭に魔物を殲滅していき、遂には元の前線まで押し戻すことに成功した。この時の制度を引き継ぎ、国家から独立した組織として再結成されたのが、今の冒険者ギルドだという。ここで終わればハッピーエンド間違いなしだっただろう。しかし、歴戦を勝ち抜いた猛者達は勘違いしていた。森から溢れ出したのは生存競争に敗れたもの達であることを全く分かっていなかった。そのまま帰れば救国の英雄。帰れなければただの死体。彼らはすぐに引き返すべきだった。
この森に関する歴史上の汚点など探さずともいくらでも聞くことができるだろう。誰もが知っている、子供でも知っている。そんな話ばかりだ。
わたしは今からその森に挑む。この人外魔境そのものに身を投げる。どうせ生きていてもわたしの逢いたい人たちには逢うことが出来ないだろうから。
わたしが召喚された時、発現した技能がある。
その技能の名前は、『可能性』その名前の下にはこうメッセージのように綴られていた。
―――諦めない限り、潰えない希望がある。
ただ、これだけの文。それでもわたしに希望を見せてくれた言葉だ。
この言葉を胸にわたしはこの目の前に広がる森に挑む。
熱烈な森の歓迎はすぐに訪れた。
―――グギャ?ガギュゴグギャゴ。
その醜悪な魔物を見たときに悟ってしまった。この森は、とことん人に向いていないと。
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