273,16[K]The triple point of water
ファンタジーたのしー!
正直なところ、覚えるのが億劫になるほど生きているわたしには、人間というのはひどくどうでもいいものの一つでしかなかったものだ。
この、目の前で眠る少年をこちらに引き寄せたのもほんの興味本意だった。
この少年の魂に、人ならではの輝きのようなものを感じ取ったからだ。
普通、あんな生活環境で正気を保つなんてことは不可能なのだ。しかしこの少年は、どこまでも人間らしい輝きを放ち続けた。まあ、連れてきた魂は精神の揺らぎを抑えないと会話もできないほどに怯えの感情に支配されていたけどね。
いくら興味がなくても目が向くというものだろう。目の端とはいえ、チラチラと光が瞬いていたら、誰だって。
だから、ついつい拾い上げてしまったのは仕方がない、そう、仕方がないことなのだ。
「うん!仕方ないね。」
「誰におっしゃっているのですか?」
声に応えるように、背中を大きく開いた扇情的な見た目の女が現れた。
顔の血管が浮き上がり、ぴきぴきと音が聞こえるほどに怒気を発しながらも、あくまでも冷静な言葉使いである。
「いや、しょーがないでしょっ、わたしが欲しかったんだからさー。」
「お言葉ですが、面倒ごとに首を突っ込むのであれば後始末を含めて全てご自分でなされば我々には何の異存もなかったのですよ。しかし、あなたは毎度毎度、首を突っ込むだけ突っ込んで後始末は全部我々に押し付けて行くじゃありませんか。今回もどれだけ我々の仕事が増えたかご存じですか?その少年の世界の後始末まで我々に任せて何をお考えなのですか。」
彼女、見た目はこんな娼婦みたいで翼も仕舞っていて見えないけれど、れっきとした最高位の天使の一人なのだ。
天使は神に仕え、神の補佐をするのが仕事だ。
ちなみに名前はない。他の神は名前をつけているようだけどわたしはめんどくさいからつけない。けっしてネーミングセンスがないわけじゃないよ。
彼女はとても仕事熱心なわたし自慢の部下だね。怒るとちょっと怖いけどね。さてさて。
「何を考えてるかって?」
突如、真顔になったわたしに彼女が息を呑むのを感じる。素直ないい子だが、冗談が通じないのはいけない。少しからかうとしようか。
「彼に呪いをかけたのはわたし達の中の一柱だぞ、彼のことを気にかけて何が悪い。」
「……いえ、そこまでお考えなのであれば、私から言うことは何も……」
しょんぼり、としてしまった彼女を見てると、あーダメだ、笑える。
「プフッ。」
「………」
彼女の顔から表情が消えた。ついで全身から視覚化できるほどの神気が滲み出る。そうなれば当然、
わたしの思考を一から考え直し、今日の機嫌などから推測した結果、『こいつ、まじで私を馬鹿にしてんな?』という結論にたどり着き。
「覚 悟 は よ ろ し い で す か ?」
「も、もちろんね。」
しばらくした後、その場にはぼろぼろの空間と神、神をぼこぼこにしてすっきりした天使がいた。別に本気を出せば神に一筋でも傷がつくことはなかっだろうが、こんなことに本気を出すのはみっともないと思った神の気まぐれによって、今のこの現状がある。
「さて、彼を送る準備も整ったし!彼を起こそうか。」
荒れていた周辺も、神自身の傷もまばたきする間にきれいさっぱり直っている。この程度ならば神には容易いのだ。
「はぁ、本当にあなたという神は。」
ため息をつきながらも少し嬉しそうな声音なのは一応仕える主との絆があるからだろうか?
嘲笑で無いことを祈る神だった。
―――眩しい。 まぶた越しに透かす光が目にはいる。
朝? 起きなきゃ。
でももう少し寝ていたい。微睡むには心地良すぎる環境に、再び視覚が光の受け入れを拒み始める。
しかし、再度眠りに入ることを許されることもなく無慈悲にも意識がはっきりとしていく。
「こらこら、寝ようとするなよ少年。めんどくさいじゃないか、まったく。」
誰かが僕を呼んでいるのが聞こえる。まぶたを開けなきゃと思うが、思いに反して固く閉ざされたままだった。
「あっ!視覚封じしたままだったわ。これ、目開かないわ。」
解除っ。という声と共にまぶたに働く不思議な力が消滅する。
ゆっくりと光に慣らすようにまぶたを持ち上げた僕の目には、眠る前に見たのと同じ、光の塊が映っていた。
「おはようございます、神様。」
「ああ、おはよう、少年。よく眠れたかい?」
身振り手振りしているのはわかったが、かろうじて人と分かる程度の光の塊だ、キグルミでやった方がまだ動きが分かるだろうと言った感じになっている。
「はい、おかげさまでよく眠れました。」
「それは良かった。」
ふふーん、と得意気に笑う神様は、よく聞く神様とかっていう曖昧なものよりもずいぶんと人間らしい、僕達に近いと思えた。
「じゃ、起きて直ぐで悪いけど、さっそく転生について説明するよ。」
「いえいえっ、僕は休ませてもらえただけでもありがたいです。」
いや、本当に神様に形だけとはいえ謝ってもらうのはあまりに気が引ける。大丈夫かなぁ?天使さんとかに怒られないかな。
「そうかい、そうかい。まあ、それは置いといて。君には悪いけど異世界に行ってもらうことにしたよ。」
「異世界?ですか。」
異世界、あのマンガや小説でよく出てくる異世界?元の世界には転生できないってことかな?
「話が早くて助かるよー。そうそう、その異世界だよ。一応元の世界にも転生させられるんだけどね、あの世界は強さの上限が低いからさー……嫌だろう?また虐められるのは。」
「それは……」
それは、転生してまで虐められてしまうのは嫌だけど、元の世界にまったく思うところが無いわけでもないんだ。
でもまあ、それを差し引いても異世界は魅力的だ。それでも全然かまわない。
「いいねー。君も日本人ってことかな?じゃあ、転生先は異世界ってことで進めるよ。」
「お願いします。」
異世界、魔法、勇者、魔王、ドラゴン。一度は誰もが夢見るだろう世界。僕はそこに行けるんだ!それに、神様の厚意で強い身体ももらえる、オプションつきだ。行かない手はない。
「君に行ってもらう世界は、いわゆる剣も魔法もある世界だよ。元の世界とは違って魔力っていう不確定なエネルギーで溢れているんだよ。まあ、その魔力を使って魔法を使うという訳だね。」
「世界を作った時の設定が違う?」
「そうそう!そういうものだと思っておけばいいと思うよ。」
なるほど、じゃあ僕がいた世界は魔力とかの不確定なエネルギー?みたいなものが無いか、極端に少ないということで、一般的には魔法使いとかいなかった訳だ。
「この魔力っていうのは魔法に使うだけじゃなくて、肉体にも作用するんだ。君の世界にもいたでしょ、なんかやたら生まれつき運動神経のいいやつとかってさー。」
「あー、いましたそういう人、だいたい虐めてくるのはそういう人でしたから。」
力を持つと冗長するのは人間の性なのだろうか?
「どっちかっていうとそれは神の性質だね。力を持つものは、それにみあった傲慢さを持たなければならない。っていう考えさ。」
傲慢さ……
「まあ、強制はしてないから時々弱気な神もいると言えばいるんだよね。君の行く世界を任せてるのがそんな神なんだよ。」
何かを思い浮かべる仕草をした神様はちょっと困ったような顔をした。神様にも困ることはあるらしい。
「そりゃあるさ。わたしにもどうにもならないことは意外と多いんだよ。神と言っても万能じゃないからね。制約も多いしさ。」
「なるほど、大変ですね。」
よくわからないけど、神様から苦労性な感じを覚えて慰めてしまう。
神様の後ろにいる天使さんがめちゃくちゃ怒ってるんですけどっ。
(この駄神はっ、何を言っているのですか!?仕事をしているのは我々じゃないですか。)怒っていることはだいぶずれているが。
「まあ、つまりは君が転生する身体は、その魔力が多い状態の個体ってことだよ。魔力ましまし、単純な身体能力も圧倒的、そんな身体な訳だけど、何か不満は?」
不満、不満かー。特には無いように思えるけど、何か見落としはないかな。あっ!
「転生先って、人型ですか?」
「いんや、人型にもなれるけど基本は人型じゃないね。」
人じゃない、か。まあ、強い身体って言っていたから人じゃなくてもおかしくはないかな。人間には限界があるだろうし。
「そうですか、人型である必要はないと思うので問題はないです。」
「おーけーおーけー、じゃあ人間じゃなくなる訳だからさ、精神をちょっといじくるよ。」
精神をいじくる?まあ、身体に合わせた心にするのは当然だろう。
「もちろん、身体に合わせるっていうのもあるんだけどさぁ。人間とあれじゃあ寿命が違いすぎるからさ、精神が持たないよ。」
「なるほど、寿命ですか。」
人間の精神では耐えられないほどの長い時間を生きる?ということなのだろうか。
「長いというか、ぶっちゃけ限りない命だからね。どうしても周りが先に死んでいく。そういうのに人間って弱いんだよ、すぐに後を追いたがるからね。」
後追い自殺とかかな?確かに大切な人が自分よりも先に逝ったとしたらその後の世界に価値を感じなくなるかもしれないし、絶望するかもしれない。
生きていれば、なんて安い言葉じゃどうしようもない思いがあるのだろうから。
「そろそろ準備も終わるし、君も心の準備をお願いね。次起きたら、もうそこは異世界だからね。」
「はい。」
いよいよらしい。剣と魔法の世界、マンガや小説でしか見られなかった世界を見て、感じることが出来る。わくわくしているのが自分でも分かる、早く世界を見たい、旅してみたい。
「準備はいいかい?」
「は、はいっ。」
誰にも、邪魔されない第二の人生が始まるんだ、わくわくしない訳がない。
「それじゃあお休み、次起きたら君は自由だ。誰も君を邪魔できない。よく覚えておいて、君はもう弱くない。」
「僕はもう、弱くない?」
「いいから、覚えておいてね。」
何故なのか聞こうとするが、意識は段々と眠りに入っていく。
後ろで天使さんが礼をしているのが映ったところで、意識はブラックアウトした。
「宜しかったのですか?」
「ん?何が。」
不意に、少年と話していた間ずっと黙っていた天使がわたしに問いかけた。
「彼ですよ、先程の少年です。」
うん、彼がどうかしたのかな?特に疑問に思うところは無かったと思うんだけどなぁ。
全然わからないわたしにしびれをきらしたのか、諦めて説明を始めた。
「ですから、彼の記憶の話と、彼の感情の話です。消せたのでしょう?あなたなら。」
それは分かっていた。確かに彼の負の記憶を跡形もなく消し去ることはわたしにとって、それほど難しいことではないし、彼の感情をここから抑え続けることも容易いことと言えるだろう。
「それでもわたしはしなかった。」
「それはどうしてなのかは、聞いても宜しいのでしょうか?」
遠慮がちに、しかし、確固たる思いを込めて聞いてくる天使。
「もちろん構わないさ。理由は別に難しいことじゃないんだ。」
そう、決して難しいことじゃないし、隠すことでもない。必要なことであったし、わたしの趣味でもある。
「仮に、彼の精神に縛りをかけたまま異世界に送った場合、どうなると思う?」
「それは……やはり、穏やかに過ごせるのではないでしょうか。嬉しさ、楽しさといった感情は抑えることなく悲しさ、寂しさといった感情だけを制限すれば楽しく、穏やかに過ごすことが可能ではないかと……」
まあ、こう考えるのが普通だろう。情報が不足している状態では、これ以上の思考は難しいだろうから。
「確かにそうなるだろうさ。」
「でしたらっ!」
「君は、魂についた呪いの解除方法を知っているか?」
「……ッ!?」
知らないだろうというのは知っているんだ、別に答えれるとは思っていない。これは単純に、確認でしかないことだ。知っているならば分からなくてはならないことだし、もし、知っていてなお、分からないのであればそれは重大なエラーを抱えていると判断せざるを得ない。
「魂につけられた呪いはね、どんな方法を使っても、このわたしでさえ解除できないんだ。」
「なら、いかなる方法を使うというのですか。」
「別に何かしらする必要はないよ、すべては時間が解決してくれる。本当はちょっと違うんだけどね。」
時間自体は、一定以上の力があれば操作できないことは全然ない。しかし、今回のこの場合はただの時間ではないのだ。
「呪いはね、″観測された時間″に影響を受けるんだ。ただ、時間を早めたり、飛ばしたりしても意味がないんだよ。」
「それで、あなたは……」
彼には悪いことをしたと思う。だが、これは必要なことだったのだ。
呪いの本質は、知的な生物から生まれる思いの力。それを解くには同じ、思いの力しかない。
彼は、これからたくさんの人と出会い、その人々の思いによってゆっくりと呪いを解除していくことだろうと思う。
「まあ、理由はそれだけじゃないんだけど。」
「他にもあるのですか?」
こっちの理由は個人的な理由だから、正直、話しても意味がないと思うんだけど……
ものすごく聞きたそうにしていた天使の彼女が、わたしの何か隠そうとする心を読んだように咎める表情に変わった。
「言いたくないようなことなのですか?」
「いや、そういう訳ではないんだけどね。ほら、別に言わなくてもいいことっていうのはよくあることじゃないか。ははッははは……」
あー、こればれてるわー。これ言ったら絶対仕事増やされるね。
「さあ、話して下さい。仕事、増やしますよ?」
「あーッ!待って待って!話すから。」
「話してくれるのであれば構いませんよ。」
完全に、彼女にうまく言いくるめられましたっ。
ちくせう。もう、やけくそだ!
「もう一つの理由はっ!ただ単に、そっちの方がわたしが面白いと思ったからだよッ!」
「バカ、ですね?いや、バカですよあなたは。」
言い直しやがったよ、この天使は……わたしに対する敬意はないのかッ。
「ないですね。欠片もないですよ。最初の頃はあったような気もしますが、あなたと接していたら段々、薄れていきましたが何か?」
「覚えてろよー。」
不毛な言い争いを楽しそうにする神と、鬱陶しそうに対応する天使の様子は、他の神のところではあり得なかった光景だろう。
天使にどのくらい″自己″を残すか、というのは神たちそれぞれの権利であり、数少ない娯楽でもある。そんな中で、己に刃向かうほどまで残しているのはこの神以外には他にいない。
天使の仕事は、神の補佐だ。だから、天使の自己を大きく残す神は、多くが補佐の必要ない神ばかりなのだ。
「言い残すことはそれだけですか?なら仕事をして下さい。」
「きーっ。うるさいやいっ。」
歪だが、どこか人間らしいやり取り。それを求めていたのかもしれない。なんにせよ、彼女、創造の神『消極的な滅び』は、とても楽しそうなのであった。
―――後の歴史家は語った。
曰く、「始まりは衝撃とともにやって来たのだ」、と―――