03 おっさんの再起
「なあ、クロム。先に帰っててくれないか」
「カフェに忘れ物ですか」
帰り道。
立ち止まる俺に、振り向くクロムが言う。
「う……んとな。ここまで考えていたんだ。それで、なんか運命じゃないかなって。お前がたまたま聞いた話だけどさ、俺が毎日通わなきゃそれもなかったわけだし……」
「ただのキッカケにしか過ぎませんし、それをキッカケにするのもリョウ次第なわけですが、神様が働き口を授けてくれたかも、と言いたいわけですね」
「そういうことだな」
俺はそれだけ告げて、また考えが変わらないうちに、せっかく膨れ上がった勇気が萎まないように――と、ほっほ、ほっほと急ぎ来た道を戻った。
お洒落なカフェをぐるりと回った裏側。
狭い通路を辿った先は、表と違いなんか……。
「裏側からは初めて来たけど、結構ボロボロな感じだな……」
店内で話を、と思ってみたものの客としての用件ではないのでこっちに回って来てみたが。
隣接する建物の間を縫うようにして確保されたスペース。
高い塀に囲まれるそこは小ざっぱりしているが、どこか陰気というか寂れている。
「まあ、見えないところだし……こんなもんだよな」
表の店の明るい雰囲気とのギャップに面食らったが、逆に妙な商売のリアリティを感じるな。
「ええと……」
カフェの裏口の前で、一つ深呼吸。
それから、扉の側にある『有設置端末』を確認してまた一つ。
程よく顔の前にある黒いモニターを鏡代わりに、手ぐしで髪を整える。
更に息を深く吸って、モニターに手を――。
「待て待てっ。ちょっと、もう一度、身だしなみチェックを」
コムデバイスに触れたら最後、もう後戻りはできない。
手に埋め込む〈ID〉が読み取られるからして、俺がここに来たことが記録として残る。
だから仮に、店の人がコムデバイスのモニターで「はい、どちら様?」と応えてくれる前に、なんかビビって俺が逃げでもしたら、ただの不審者として警察に〈ID〉データごと送られてしまう末路が待つ。
〈ID〉には、住所、氏名、身体的特徴と、
今日の場合でなら――履歴書で取り扱う情報程度しか含まれていないが、今の情報社会じゃそれだけでも十二分のものだ。
小奇麗なカジュアル一張羅は、落ち着いた過去風なだけあって面接にもそこそこ適切な服装。
ウエイトレスに会うため、ひげ剃りは欠かしていない。
うむ。身だしなみはやっぱり良好だ。
ならば、いざ、参らん。
ドキドキする胸の鼓動を抑えるようにして、
「――南無三」
ぴと、とモニターに俺の指が触れる。
それからしばし、そのままだった。
「……反応……ないよな」
ニ、三度ぴとぴとしてみたが、画面は黒いまま。うんともすんとも。
「これ、まさかの故障か? 確かに型は古いタイプみたいだけど……そうそう壊れるものなのか? コムデバイスって……てか、壊れてるんだったら直そうよって話だけど……」
だから。
ドアロックとかも制御しているから不用心極まりない――と、心配して俺は扉に触れただけだかんね!
ウイイイイン、スー――。
電動鉄扉が静か~に、滑らか~に横へスライドしていきました。
それはもう、気持ちいいくらいまでの全開になりました。
「ふううんんん――」
ドアのヘリを掴んで引っ張ってみたが。
なんでだろう。どうしてだろう。
閉まる方には、びくともしてくれない。
「あの……」
小狭い部屋をのぞき込むようにして、恐る恐る囁き声で呼び掛けてみた。
しかしながら、スタッフルームにあたるだろうそこからの返事はない。
つまり、人の姿もなかったこの困った事態に目撃者はいないというわけだ。
しからば、ここは――、と思うが。
「このまま知らん顔で逃亡するわけにもいかないよな……」
だって、裏口全力開放状態で放置はあんまりだろ。
「弱ったな……」
そう文字通りの弱音を吐いた時だった。
小狭い部屋の右側辺りから、なにやらガサゴソ物音がした――ような気がしたので、俺はちょっと足を踏み入れお邪魔した次第です。
更には、物音のしたドアの向こうには人の気配がしたのです。
だから、「あ、良かった。スタッフいた」と思いました。
あと、さっきの俺の呼び掛けに応答がなかったのは「作業なんかをしてて、だから、気づかなかったんだあ」と推察、得心しました。
なので。
ガチャリ――。
室内扉のドアノブを回して、そのまま扉を引いて開けたんです。
「あのお、すみません。外のドアが閉まらなくなって……か!? めはっ、めっ、はあっ!?」
こ、呼吸が。
驚愕のあまり、吸っているのか吐いているのかわらないくらいに――そこには、パニくりそうな現実がっ。
「ここここ、ごめんっ。いや違うっ。でも、ごめんっ」
真っ直ぐに俺を見据える若い女子の顔。
ものすごく知っているその顔はここのウエイトレス、レノちゃんの澄ました顔。
そして。
あらわになる輝く柔肌には、白いブラ。白いパンティ。白いニーハイ。
と、明らかにお着替え中だったことがうかがえる姿。
ただ、俺は言いたい。
そんなことはどうでもいいんだっ。
きっぱりと断言するには心残りもあるにはあるが――そんなこたあああ、どうでもいいんだよっ。
下着では隠せていないその光景、その事実に、驚きを隠せないっ。
思考がひどく鈍る。
そんな中で、俺の手繰り寄せた感情は消失した恋慕、「失恋」のただそれだけだった。
ああ、まさかあのレノちゃんが……。