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言葉の意味はよく分からなかったが『私に任せろ』という意味であると言う事は竜伸にも理解できた。自分にできる事はもう無いらしい。
(やばくなったら、警察……いや、この場合農協かな……)
竜伸は、少女に向けて頷いた。
少女は竜伸が離れたのを確認すると、ゆっくりとイノシシの周りを歩き始める。
周囲を一周した後、イノシシの前に再び立った少女は、両手で握った銅鏡を胸に静かに歌うように祭文を囁き始めた。
イノシシの呼吸が一瞬止まり、その視線が少女と竜伸の間を不安げに彷徨う。
何とかして逃れられないだろうか、とでも言うようにイノシシは、その視線を左右に彷徨わせ、ままならない体を懸命に動かそうと身を捩る。
が、やがて、自らの運命を悟ったかのようなイノシシの悲しげな鳴き声が響く中、少女は祭文を唱えつつさらに一歩前に踏み出し、そして一言最後に呟いた。
「神鎮歌!」
無数の白い光の棒が地面から飛び出し、イノシシの周囲を取り囲んだかと思うとゆっくりと回転し始めた。
徐々に早さを増していく光の輪。
イノシシが目に見えて慌て出した。
少女は躊躇うことなくさらに祭文を囁き続ける。
イノシシの顔に浮かぶ怒りと絶望、そして、言いようの無いやるせなさ。
いくつもの感情の入り混じった獣の目が少女に憐れみを乞うかのように瞬く。だが、少女にそのような気が無いのは明白だった。
少女のすみれ色の瞳に浮かぶ強い決意は微動だにしていない。
強さを増す白い光に照らされたイノシシの口が引きつった笑みを浮かべたように見えた。絶望や苦悩と言った言葉では説明できないような狂気を宿した笑み――。
イノシシは、そんな渦巻く狂気を宿した目を竜伸へと向けると、血に濡れた口で何事かを呟いた。
その次の瞬間だった。
黄色く輝く光の矢が音も無くイノシシの体から飛び出した。
不意を突かれた少女が声にならない声を上げる。
飛び出た光の矢は、迷うことなく竜伸に向かって一直線に飛んで来る。
少女が叫ぶ。
が、瞬きする間もない刹那、その光の矢は竜伸を直撃し、強い衝撃が体に走った。
何が何だか全く分からないままに世界が光に覆われて行く。
ぱっ、と次々と開花する無数の光の華。
しかし、全てはあっという間、一瞬の出来事だった。
辺り一面を満たしていた黄色い光は、すぐに零れ落ちる砂となって散って行き、
そして――――
竜伸とイノシシの姿は跡かたもなくその場から消えていた。