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比売神さまは、声のした方向を忌々しそうに一瞥して小さく舌打ちする。
「竜伸、見えるかの?」
手招きする比売神さまの視線の先をそっと覘き込む。
七五三に着るようなブレザーを着こんだ男の子がゆらゆらと歩いている後ろ姿が見えた。
「あれが?」
竜伸の囁きに比売神さま、そして女将さんが頷いた。
「やはり、とんでもない化け物じゃ」
「そうですか……。あっ、でも『真心銃』は?」
邪神の気配を窺いつつ、比売神さまは声を顰めた。
「うむ、時折使ってはおるんじゃが、わらわには魔心眼もないゆえな。いまひとつぱっとせん。で、しょうがない故、方術と体術を使こうて、さくやと連携して戦っておるんじゃが、結果は見ての通り……。これでは勝負にならぬ」
「………………」
どーんっ、と一際大きな音が聞こえ、三人は口を噤み辺りを見回した。
急に姿の見えなくなった二人にいら立つ邪神の雄叫びが明後日の方向から聞こえて来る。
(あれ? あいつ、こちらの居場所に気付いていない……のか?)
そう思った竜伸が、ふと、気になって脇にいる女将さんを見ると、おかみさんが、手に大きな金の針を握り締め、もにょもにょと口の中で祭文を唱えているのが見えた。
どうやら女将さんの方術のせいで相手は、こちらの居場所を見失っているらしい。
ほうっ、と大きく息を吐いて比売神さまは話を続けた。
「じゃから、そなたが来てくれたのは、なんだかんだ言ってわらわ達には朗報じゃ」
「魔心眼ですね! やります! 俺、やりますよ、比売神さま!!」
「まあ、落ち着け、竜伸。作戦は、こうじゃ。わらわとさくやがこれまで通り代わる代わる攻撃して奴の気を引きつける。その隙にそなたは、物陰から奴を魔心眼で見て――――」
「比売神さまかあたしか、どちらか手すきの方から霊力を貰って――――」
祭文を唱えるのやめた女将さんが、柱の向う側の様子を窺いながら言葉を続け
「――撃つ?」
竜伸の言葉に二人は頷いた。
作戦は簡潔な方がよい、とは誰の言葉だっただろう。
しかし、これ以上ない作戦のように竜伸には思えた。
自信満々の比売神さまとやさしげに微笑む女将さんに、竜伸は無言で頷き賛意を示す。
ではっ、と三人が動き出そうとした、正にその時だった。
邪神の声が急に聞こえなくなり、辺りは、しーん、と静まりかえった。
互いの顔を見合わせた三人に緊張が奔る。
「さくや! 後ろじゃ!!」
振り向いた女将さんの体が宙を舞う。
邪神の、どう見ても小学生の男の子にしか見えないその細い腕が女将さんを弾き飛ばし、壁に叩きつけたのだ。
みしっ! とひびが入り女将さんの体が壁にめり込む。
「女将さん!!」
女将さんの体が声にならないうめきと共に床に滑り落ちた瞬間、竜伸の頭の中で何かが弾けた。
体の内側を炎で焙られたような激烈な感情が竜伸を貫く。
「てめぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
竜伸は、手挟んだ銃を逆手に持つと大きく振りかぶった。
怯えたような表情を浮かべる比売神さまがチラリと視界の隅に映り、世界が目の前の邪神へ針のように迫って行く。
瓦礫を乗り越え、踏みつぶし、竜伸は力の限り絶叫しながら男の子――邪神の元へ殺到する。
そして、渾身の力を込めて握った銃を振り下ろした。
鈍い光沢を放つ銃床が攻撃を避けようと咄嗟に身を捩った邪神の肩を捉え、何かが砕けるような不快な音と共に、邪神の唇から鮮血が迸る。
白く端正な顔を真っ赤な血に染めて――――邪神は、身の毛もよだつ悲鳴をあげた。




