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「こんなお天気だから、今日は来ないかと思ってました。今、タオル持って来ますね」
「ああ、すまぬな」
かさねがカウンターからタオルを持って来ると、比売神さまは嬉しそうに顔を埋めた。
タオル越しに聞こえるむにゅ、むにゅという鼻歌に苦笑しつつ、かさねは背中や袖、スカートの裾などを拭いて行く。
「はい、終わりましたよ」
「ふふふ、雨は好かぬが、たまさかには愉快かの。すまぬな、かさね」
「いいえ。それにしても、ここのところずっと雨ですね。朝の天気予報で、昼には止みます、って言ってたのに」
「うむ。なれどそなたが、ぼんやりと物想いにふけっておったのは、雨の事ばかりではないじゃろう?」
「…………は、はい? な、なに言ってるんですか、比売神さま?」
「今のそなたの胸の内は、竜伸ただ一人の事ばかりであろうからな……と言う事じゃ」
うっすらと微笑みつつ、ぬけぬけとのたまう比売神さま。
かさねの顔がみるみる朱に染まって行く。
「べ、べ、別にそんなんじゃ……そんなんじゃないです! ないですったら!」
お盆で顔を隠して、いやいや、と身をよじるかさね。
顔を覆うお盆の脇から見える耳たぶは真っ赤だ。
比売神さまは、クスリと笑った。
「……図星じゃな」
「きゅううぅぅぅぅん」
ついには、しゃがみ込んで恥じらい始めてしまったかさねの姿に女将さんとやよいは顔を見合わせて微笑んだ。
まだしばらく客は来ないだろうから、かさねがああして恥じらっていても大丈夫だろう。
女将さんがやよいに目で合図すると、やよいは心得たものでカウンターの上に必要な物を並べて行く。
やよいがカウンターの上にポットと人数分のティーカップを載せると、カウンターを潜り抜けた女将さんが近くのテーブルへとそれを移す。
しゃがみ込んで真っ赤になっているかさねに女将さんが声を掛けた。
「ま、それはともかく客の来ない今の内にお昼を済ませちまおうよ。かさね、みくもちゃんが私の部屋で寝てるから起こして来ておくれ」
はぃ……、となんとか返事を返したかさねがふらふらとカウンターをくぐり、奥の扉から二階へ上がって行く。
足音が階上に消えるの待って女将さんが口を開いた。
「かさねの事が心配なんですね、比売神さま」
「うにゅ? な、な、な……なんの事じゃ?」
比売神さまが、その双眸を白黒させる。女将さんは、そんな小さな女神さまの反応を楽しむかのように畳みかけるように言葉を重ねた。
「ここのところ、毎日のようにかさねの顔を見にいらしてるじゃありませんか。今日だってこんな天気なのに」
「た、たまたまじゃ! わらわは雨も好きなのじゃ!」
「はいはい」
笑いを堪えつつ女将さんがうんうんと頷く。
「素直じゃなぃんだから、比売神さまはぁ」
パンやバターを載せたお盆を手にしたやよいが横合いから微笑んだ。
恥ずかしそうに、口を尖らせ反論を試みる比売神さまだが、何を言うでも無く肩を竦めてみせる。
比売神さまは、階上をチラリと一瞥してから、重大な秘密を打ち明けるかのように話し始めた。
「かさねの事ももちろん気にはなっておったが、実はわらわにはもう一つ気になっておる事があってのう。さくや、そなた祟り神にかさねが襲われた顛末を聞いた時どう思った?」




