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(いちかちゃん大丈夫かな……)
気が付くとかさねは、深いため息を吐いていた。
金色堂に戻って来て一時間ほど経っている。
会うだけだ、と言っていたから、もう寮に戻りベットに入っている頃合いだろう。
まあ、大丈夫だろうとは思うのだけれど、それでもまだ少し気になった。
(それに、おうの様は、おうの様で大変そうだったし……)
いちかを心配する一方で、かさねは最上階の専用オフィスで会った筆頭頭取を務める老乙女の事を想う。
女将さんの師匠でもある『川輪田のおうの』とは、実は割と頻繁に会っている。
と、言っても、特に何か特別な間柄という訳では無く、ひまな時にぶらりと金色堂にやって来たおうのと紅茶を飲みつつみんなで世間話をしたり、ご飯を一緒に食べたりする間柄だ。
だから、仕事着のおうのに、例会の筆頭頭取である『川輪田のおうの』に会う事は滅多に無いと言ってよく、特にあの建物の中にいるおうのに会うのは初めてだった。
筆頭頭取専用のオフィスで見るおうのは、いつものおうのとは全く違っていた。
全身から滲みでるリーダーとしての貫録。
言葉の端々に滲む経験の厚み。
かさねを労わってくれたそのやさしさ――。
かさねは、大きく深呼吸した。
おうのに言われた事を反芻する内に、胸に溢れ出て来てしまった想いを、なんとか鎮めようとしていたのだ。
さすがに、お店で客の前で泣いてしまったら恥ずかし過ぎる。
(……『いい思い出だった』って言える日が来るのかな……おうの様や皆にもこんな経験があるのかな…………)
…………。
『竜伸さんも泣き虫ですね。男の子が泣いちゃダメですよ』
『……ああ。でも……かさねほどじゃないだろう?』
竜伸さん。
竜伸さん……。
えーい、泣かないもんっ!
泣いてたまるもんですかっ!!
かさねは首をふるふると振り、無理やりに視線を通りの向う側へと移す。
と――
「こんなところでぼんやりしておると風邪をひくぞ」
お腹のあたりから、聞き覚えのあるかわいらしい声がした。
「比売神さま!」
漆黒のゴシックロリータファッションに身を包んだ小さな女神さまがおひさまのような笑みを浮かべてかさねを見つめていた。手に持ったフリルでこれでもかと彩られた小さな傘からは水滴が滴って床に池を作りつつある。




