[56]
それは、文字通り『飛び』出したのだった。
「竜伸、わらわの手を離すでないぞ」
手を繋いだ二人を先頭にかさね、いちかと続いて夜空へと上昇して行く。
街並みが、金色堂とその戸口で手を振っているやよいとみくもが、瞬く間に小さくなり、吹きつける風の音が耳元で轟いた。
「『隔鎮歌』で行くのだとばかり思ってました」
風の音に掻き消されそうになりながらかさねがなんとか口を開く。
比売神さまは、その左手を離すまいと奮闘している竜伸をチラリと見てから言った。
「うむ。それでもよいんじゃが、ほれ、祟り神とすれ違いになる恐れもあろう? そうなると面倒じゃし、なにより戦いの前に必要以上に霊力を使いたくない。それに――――」
そう言って遠くの方を見つめると比売神さまは、にやりと笑って開いている方の手で指差した。
「もう一人、竜伸に別れを告げたがっている者がおるからのう」
そう比売神さまが言った瞬間にその人は、四人のそばにふわりとその姿を現すとにっこりと微笑んで手を振った。
「「女将さん!!」」
「さくや、なんとか間に合うたのう」
女将さんが、いつもの着物に袴を履いた姿で四人と同様に夜空を飛んでいた。
比売神さまといちか以外の、竜伸とかさねの驚いた表情を満足げに眺めて女将さんはクスリと笑った。
「女将さん、『例会』の方はよかったんですか?」
竜伸の問い掛けに女将さんは、うううんと首を振る。
「なぁに、心配はいらないよ。あたしもおまえさんにお別れを言いたくてね。最後にどうしても逢いたかったのさ」
女将さんの言葉に胸が一杯になりそうになるのを堪え、竜伸は何とか言葉を口にする。
「ありがとうございました、女将さん」
「なんのお構いもできませんで。それに、おまえさんを巻き込んじまったのは、あたし達の方さ。
おまえさんは、何も気にする事は無いんだよ。かさねの事本当にありがとうね。
短い時間だったけど、おまえさんと一緒に居られて楽しかったよ」
女将さんがぐっと親指を立て片方の目をきゅっとつぶった。
「だからね、おまえさんとかさねをこんな目にあわせた祟り神をあたしは許せないのさ。
竜伸さん、最後に祟り神に一発ブチかましておやり!」
「はい!」
「それと……向うに帰っても元気でね。これは、あたしだけじゃない。
藤丸さんも、みんな思ってる事なんだよ。ここに来る途中にね病院に行ったんだよ。
そしたら、藤丸さんまだ手が離せなくてね。
おまえさんにお別れが言えないのをとても残念がっていたよ。
それで、どうぞよろしく伝えて下さいって、言付かってね」
「藤丸さんが……」
「そうさ。藤丸さん、おまえさんの事をとても気に入っていたからね」
狭い調理場の中で、無言でフライパンを振るう背中。
落ち込む竜伸の肩をやさしく叩いて励ましてくれた小さいながらも分厚い手。
そして、心づくしの料理。
その面影が走馬灯のように竜伸の心を駆け廻る。
「女将さん、藤丸さんに伝えてくれませんか。ありがとうございました……って……」
うん、と頷き女将さんは目尻を指で拭った。
女将さんの切れ長の目にじんわりと涙が浮かんでいるのが見えた。
それでも女将さんは
「あいよ! まかせてお置き!」
威勢よく応じて胸を叩いた。そして、チラリと月を見て舌打ちする。
「ああ、忌々しい……もうそろそろ沈み出す頃合いだね。ここであたし相手にこれ以上時間を喰う訳にはいかないね……。ここらで本当におさらばだ。じゃあね、竜伸さん。比売神さま…………」
「うむ、任せておけ! 竜伸は、わらわが必ず向うの世界へ無事に帰す。金色堂でやよいやみくもと待っておってくれ」
「…………」
女将さんは最後に四人を一通り眺めて頷くとくるりと身を翻し、地上へと降下して行った。
小さくなって行くその後ろ姿に竜伸は心の中で手を合わせた。




