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「俺の事『さん』付けやめてくんねえか。
かさねにも言ったんだけど、かさねは『さん』の方が馴染むって言うんだよな。まあ、かさねは同い年だからしょうがないかもしれないけど……。
でも、やよいは呼び捨てでいいよ。それこそ、姉弟なら当然だろ?」
うーん、と下を向き考え込むやよい。
涙を拭いつつみくもがその顔を覘き込む。
しばらくして、やよいは手のひらで目を何度か拭ってから、ほっこりと微笑んだ。
「……だ~めっ!」
「やよい……」
「もぅ……しょうがないなぁ。じゃあ、百歩譲って……竜伸『くん』にします!」
「竜伸くん、って」
「お姉ちゃん権限です! 反論は認めませんよぅ」
そう言って、やよいは、きゅっ、と真っ赤になった目を片方つぶってみせた。
そんな自称お姉ちゃんに対して、やれやれとぎこちなく苦笑してみせる竜伸に皆が笑った。
やよいは、満足げに肩を竦めると隣のいちかに「ほらぁ、いちかちゃんもぉ!」と微笑み掛ける。
やよいに促されて、それまで我関せずとばかりにそっぽを向いていたいちかだったが……急に顔が真っ赤になったかと思うと「やれやれ……まったくもう」などと口の中でごにょごにょ呟きつつ、やりづらそうにぎくしゃくと竜伸に向き直った。
「かさねちゃんの事……本当に、その……あの、ありがとう。あと――その……」
「いちかちゃん。もう、竜伸くんには会えないんだよ…………」
「……分かってるよ」
再びやよいに肘で脇腹を突かれて、顔をさらに赤らめたいちかは、そこで大きく息を吸い込むと
「隠れて見張ったりしてごめんなさい!!」
さっきまでの態度とは打って変って恐ろしく素直にぺこりと頭を下げた。
そんないちかの言葉に言われた方の竜伸が慌てて首を振る。
「いやいやいや、でも、それがおまえの――いや、その、いちかさんの仕事だったんだろ? 俺は――あ、僕は、僕は怒ってないです。うん、全然!」
いちかの口調が写ったかのようにしどろもどろになる竜伸に、いちかは顔を真っ赤にしたまま口を尖らせた。
「ちょっと、ちょっと! なんで、あたしだけ呼び方が『おまえ』なの? やっぱり最初にケンカみたいになったから? かさねちゃんややよいには『さん』付けで呼んで丁寧でやさしくてものすごく紳士的だったじゃない? ちょっと! いくらなんでも差があり過ぎでしょう! 竜伸くん?」
「いや、それは……その、あの……」
「まあまあ、いちかちゃん」
やよいがいちかの肩をぽんぽんとやさしく叩き、比売神さまもにんまりと微笑んだ。
「少しは仲良くなれたかのう。そなたの役目がら、中々難しいと思っておったんじゃが、よかったではないか。で、いちか、急かすようで何なんじゃが、口を尖らせておらんと早く別れを言え。そろそろ出ねばならぬ」
比売神さまの言葉にいちかは、気まり悪げに微笑むと「ふー」と息を一つ吐いて居住まいを正し、竜伸をまっすぐに見つめて言った。
「さよなら、竜伸くん。もっとみんなでいっぱいお話とかしたかったけど、これも私の仕事だから……この後、あなたが祟り神を鎮めるのを見届ける所までが私の今回の任務。
最後だから頑張ってね。あと……向うの世界に帰ってもこっちの世界からみんなで竜伸くんの事応援してるからね」
いちかの言葉に竜伸は、うん、と応じて頭を下げた。
「ありがとう、いちか」
暫くして顔を上げた竜伸に皆が頷いた。
「さて、皆、もうよいかの?」
一通り別れが済んだと見て比売神さまが声を掛けた。
それまで皆に別れを告げる竜伸をじっと見つめていたかさねが、みくもとやよいが、いちかが、そして竜伸が、それぞれに頷いた。
「では、ぼちぼち行くかの。やよい、そなたはみくもと留守を頼む」
やよいが心得ています、とばかりに頷き、みくもと共に戸口に走り寄ると、二人で左右から戸を大きく開いた。
そして――月が煌煌と辺りを照らしている夜の世界へと比売神さま、かさね、竜伸、そしていちかが、二人の歓声に見送られつつ勢いよく飛び出して行った。




