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「ええ。荷物がある訳でもないですし……それに、かさね達の邪魔になりそうですから。そう言う、比売神さまは?」
「ふむ。わらわは……まあ、今、ここでしておる事が支度と言えば支度かのう」
「?」
竜伸の顔を見つめて比売神さまは、にっこりと笑った。
「別れじゃ」
「別れ?」
「うむ。そなたとは、これで最後じゃろう。これまで神々が連れて来たよその国の者をこういった形で帰してやった事がない故、どのような別れになるのか見当もつかぬ。故に、そなたに今、さよならを言っておこうと思うてな」
小さな手がそっと竜伸の前に差し出された。
竜伸はその手をそっと握る。
小さくて暖かな手が竜伸の手をきゅっと握り返して来た。
竜伸を見つめる漆黒の瞳が少し寂しげではあるが、きらきらと光っていた。
「比売神さま。ありがとうございました」
「いや、元々はわらわのミスじゃ。そなたには、随分と迷惑を掛けてしまったのう。あちらの世界に帰っても元気でな」
「はい。比売神さまも」
ふむ、と頷いてしばらく竜伸の手を握っていた比売神さまだったが、急に何かに気が付いたように後ろを振り返った。
「やよい。みくもを起こしてやるとよい」
「ええ、でもぉ……どうでしょう?」
「いや、起きて竜伸がおらぬ方が悲しむじゃろう」
そうですね、と頷きやよいは、みくもの肩を揺さぶる。
ややあってみくもがゆっくりと瞼を開いた。
「……やよい姉さま?」
「みくもちゃん。竜伸さんが『現世の国』に帰るの。お別れよ」
「…………」
むっくりと起き上がると、みくもはそっと椅子から下り、竜伸の前に立った。
ちゃんと声を聞いたのは初めてではないにしても随分と少ない気がする。
そんな無口な女の子であるみくもが竜伸を一心に見上げていた。
「竜伸兄さま……」
「みくもちゃん……て俺も呼んでいいのかな? その……あまり話とか出来なかったけど、ありがとな」
うううん、とみくもは首を振った。
「みくも……短かったけど……竜伸兄さまと一緒にいられて楽しかったです。……『現世の国』に帰っても……お元気で…………」
そこまで言うと、みくもは踵を返しすぐ後ろにいたやよいの胸の中に飛び込んだ。
胸の中で肩を震わせるみくもの頭をやよいがそっと撫でてやる。
いつの間にかやよいの脇に立っていたいちかが、そっと指で目尻を拭った。
が、自身を見つめる竜伸の視線に気付くとプイッ、とそっぽを向いてしまう。
やよいはみくもが落ち着くのを待って竜伸に向かって言った。
「竜伸さん、私からもありがとうね。短い間だったけど楽しかったよぅ」
「いや、礼を言うのは俺の方だよ、じゃなくて、ですよ……」
慌てる竜伸にやよいは、一瞬じっと彼を見つめて、ふんわりと笑いながら手を左右に振った。
「もぉ、竜伸さんたら……。また、私にそんな丁寧なぁ」
「いや、でも……」
「言ったでしょぉ、竜伸さん。私は、かさねちゃんや竜伸さん、みくもちゃんのお姉ちゃんだって。遠慮なんて姉弟には要らないでしょ?」
「……なら、やよい。一ついいか?」




