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「まったく、もうっ。竜伸さんたら……」
夕暮れ時の大通り。
人ごみの中をぷりぷりとふくれ面のかさねが竜伸の前を行く。
後ろからそっと顔を覘き込むとかさねがキッと竜伸を睨んだ。
竜伸が怖る怖る口を開く。
「あのう……かさねさん?」
「……なんですか?」
「怒ってる?」
「……いいえ、別に」
「いいえ、って怒ってんじゃん。いや、別に、かさねに奢られるのが嫌なんじゃないんだ」
「じゃあ、なんでですか? ひどいです!!」
「いや、それはそうかもしれないけど……。でも、こんだけ世話になって、励ましてもらって……その上奢ってもらったら悪いと思ったんだよ」
かさねは、くるりと振り返ると口をとがらせた。
「どうしてですか? いいじゃないですか。私、好きでやってるんです、って言ったじゃないですか。そ、それに……それなら、もう、ついでに私に奢られちゃったらよかったのに」
「それは、そうかもしれないけど……その、なんていうか……その、俺も、やっぱり男だし……」
もじもじとする竜伸の顔を見つめてかさねが囁くように言った。
「カッコ着けたかった――と、言う事ですか?」
「……ま、まあ、その」
じー、とかさねが顔を近づけた。
竜伸の顔が真っ赤になった。
「ああ! そうだよ!! かさねの前ではカッコ悪いところばっかりだったからな。この上、奢られちゃったらアウトだろ。そりゃ、金持ってないから割り勘しかできないけど……。それでも、少しぐらい、いいとこ見せたいと思ったっていいだろ。
かさねの前でこれ以上頼りない自分ばっかり見せたくなかったんだよ!」
一息にそう言って、竜伸は荒い息をつく。
街の喧騒が急に大きくなったような気がした。
少し大きな声を出してしまったかもしれない。声の大きさの問題かどうかは分からないけれど……かさねは、竜伸を見つめたまま固まっている。
見ていると、その真っ白なうなじに血が駆け昇って行き、顔がみるみる赤くなった。
かさねは真っ赤になった顔をプイッとそむけ――そして、小さな声を震わせながら、そっと言った。
「竜伸さんは、カッコ良かったですよ。最初から、ずっと……」
「え? ごめん。今、なんて?」
「……聞こえなかったんならいいです。いいですってば、もう! 私だって恥ずかしいんですから! 竜伸さんのばか、ばか、ばか、ばか!」
竜伸の胸をかさねが、ぽかぽかと叩く。
「わ、ちょっ、待て、待て、悪いの俺?」
「もう知りません! いけず!! 私は、竜伸さんの事が――――」
と、かさねの言葉を遮るように、ごーん、ごーん、とあたりに大きな鐘の音が響き始めた。
足元で餌をついばんでいた鳩達が一斉に飛び立ち、行き交う人々がそれぞれの腕時計や懐中時計を覘き込む。
音のする方を見ると、建物の間越しに白い尖塔の先で左右に揺れている鐘が見えた。
「竜伸さん、急ぎましょう! 忘れてました、このためにご飯の途中で出て来たのに!」
「ど、どこへ行くんだよ?」
「付いて来れば分かります。急いで!!」
かさねが竜伸の手を引いて駆け出した。
人の波を縫うようにしてかさねは駆けて行く。
路面電車の走る大通りを抜け、野菜などを商う露店が軒を連ねる細い小道を通り過ぎ、また少し広い通りへ。
時折振り返るかさねの薄らと赤らんだ顔と澄んだ瞳がまぶしかった。
手を包み込むかさねの心地よいぬくもりを感じつつ、竜伸も懸命に走る。
どこをどう走ったのか分からない内に、かさねが「ここです」と荒い息を吐きながら告げた。
そこは、この街を縦横に奔る運河の一つに掛けられた古ぼけた石造りの橋だった。




