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もしかして……かさねがそれとなく自分を誘ってくれていたのか? と言うところまで考えて、竜伸は思わず口を付けかけていたグラスの中身を一息に飲み干した。
(お、落ち着け! おおお、落ち着け、俺!)
竜伸は、手に持ったグラスを握りつぶしそうになりながらなんとか耐えた。
(落ち着け、落ち着け、俺! そう、ゆっくり呼吸するんだ!)
と、なんとか落ち着きを取り戻そうとしていた矢先、きょとんとするかさねの姿が視界の隅に写った。 彼女は小首を傾げるようにして彼を見つめていた。テーブルの上のサイダーがビンの中でシュワシュワと小さな泡を立てている。
よくよく見ればかさねの頬も、上気しているかのように真っ赤だった。
(かさねも……)
その時、ふと泣きたいような気持で思った。
(またかさねと一緒にここに来たい。ここに来て一緒に食卓を囲み、たわいもない話をしたい――)
祈るような気持ちで思った。
やがて、しばらくの後、なんとか落ち着きを取り戻した竜伸が再びかさねを見ると、かさねはもうすっかり元の状態に戻っていて、パンを山盛りにしたバスケットを下げたウェイターからお代わりのパンを皿に入れてもらっていた。
あなたは? というウェイターの醒めた視線に竜伸もバケット状のパンを指差す。
まるで生きているかのようなトング捌きで皿にパンを盛るとウェイターはやはり優雅に腰を折り、あちこちのテーブルをミツバチのように渡り歩きつつ戻って行った。
黒いベストの背中を見送りつつなんとか竜伸は口を開いた。
「いい店だな。ちょっと高そうだけど」
「ええ、ちょっと高いです」
かさねはクスクスと笑った。そうは言ってもメニューに書いてあったこの世界の値段が高いのか安いのか竜伸には皆目見当はつかない。
ただ、手持ちのお金で足りるか否かといった所が選択のポイントである。
現在のところ足りる予定。
割り勘だけれど……。
「でも、料理も美味いし、雰囲気もいいし……。入って正解だったな」
「そうですね。結構有名なお店ですから。予約無しで入れたのは本当にラッキーでした」
「……この店、最初から知ってたのか?」
「…………」
「別に、怒ってないぜ」
「ホーホケキョ」
どうやら、かさねの目論見通りといったところのようだ。
もっとも、不愉快な気分にはならない。
かさねは、イタズラのばれた子供のように小さく舌を出した。
(かわいいぃぃぃぃ!)
テーブルをバンバン叩いて叫び出しくなる衝動を必死でこらえつつ竜伸は話題を変えた。
「と、ところで、比売神さまはどこか行く所があるって言ってたけど……」
「ええ、特に用事があるって聞いてないから、行きつけのお店にでも言ったんじゃないかな……。
両替屋さん以外にも神さま達行きつけの溜まり場って言うか、集会所みたいなお店っていうのが街ごとにいくつかあって、この街にもあるんです。
たしか、比売神さまがよく行くって言っていたのが『レインボーグリル』ていう洋食のお店で……」
「やっぱり神さまがやってるのか、その店?」
「いいえ、店員さんは全員『鬼』だって言ってましたよ。でも、中々男前だって」
かさねは、なんでも名コックが居て海老フライが絶品なんですって、と言ってまたクスリと笑った。
「それって、比売神さまの言い方だと文字通り店員を『鬼』達がやっているのか、それとも店員達のサービスが『鬼のような』なのか、どっちなのかが気になるな」
「ふふふ、『鬼のようなサービス』ってどんなサービスですか? もう、竜伸さん、店員さんが『鬼』に決まってるじゃないですか。ふふふふ……。竜伸さんたら」
笑いが止まらないらしい。意図した訳ではないが竜伸も満更ではない。
これだけ喜んでもらえたら感慨無量である。
もっとも、そんな店死んでも行きたくないが。
「ははははは」
「ふふふふ」
二人は顔を見合わせて笑った。
と、周りで歓声が上がった。




