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じりじりと午後の陽ざしに背中を焙られながら、竜伸は物音をたてないようにそっと双眼鏡を覘いた。狭い視界の中でかさねの黄金色の髪が揺れている。
煙突の陰に身を伏せたかさねは、竜伸に近づいて来るように手で合図した。
竜伸は、ゆっくりと体を起こすと板葺き屋根の上を慎重に進んで行く。
不安定な足元もさることながら、なによりもこの高さ。さすがに依頼主は豪商というだけあって建物が大きく、今いる母屋は三階建、地面からの高さは優に十メートルはあるだろう。地上の自動車がえらく小さく見える。
背中に不快な汗をたっぷりかきつつ竜伸は先を急ぐ。
背負った三八式歩兵銃のスリングが体に食い込み肩が悲鳴を上げたが、それでも何とかかさねが伏せている煙突まで辿りついた。かさねが体を寄せて作ってくれたスペースに竜伸もすかさず身を伏せる。
荒い息を吐く竜伸の背中をかさねがそっとさすってくれた。
すでにへろへろの状態の竜伸であるが、かさねは至って平静だ。懐から取り出した小ぶりの遠眼鏡でそっと前方を伺うと、竜伸にも双眼鏡で確認するように目で促した。
かさねの視線の先、母屋の屋根の端で一体の人形が、くるくると酩酊したように踊っている。
かわいらしいドレスを着たフランス人形。
しかし、その顔はこの世の物とは思えぬほど醜悪に歪んでおり、どう見ても普通ではない。
「怨霊ですね。あのお人形さんは完全に取り憑かれてます」
かさねが竜伸にそっと囁く。
頬と頬が触れるほどの距離。
かさねのものであろう甘い香りに竜伸は内心どぎまぎしつつあわてて双眼鏡を覘く。
(本物のオバケかよ……)
竜伸は、とほほ、と小さな溜息を吐くと双眼鏡をポケットにしまい、代わりに背負っていた銃を肩からおろした。
普段の自分なら間違いなく回れ右して逃げ出したいと考えたに違いない。
でも、何故だろう、かさねが隣に居てくれると不思議と怖くなかった。
むしろ、怨霊に取り憑かれた人形の様子を観察する余裕さえあったぐらいだ。
(かさねが、隣に居てくれるってだけでこんなにも心強い物なんだな……)
竜伸は、湧きあがって来る想いをそっと呑み込むと、汗ばんだ手をズボンで拭い、目標を見据える。
距離は関係ないと言うが、それでも遠いよりは近い方がいいに違いない。かさねの選んでくれたこの場所は申し分なさそうだ。
竜伸は、屋根の傾斜に合わせて屈みこむと煙突に寄りかかって体を固定し、そのへりに銃身を載せゆっくりと呼吸する。
かさねが、竜伸の背中に手を添え、祭文を囁き始めた。
祭文に合わせて銃がゆっくりと蒼い光を湛え始めたのを確認し――――竜伸は、昨日あの後に敷島屋の射撃場で初めてその銃を放った時の事を思い出した。




