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「な、なんじゃ?」
びくっ、と身を縮こまらせて慌ててかさねから視線をそらす比売神さま。横目でちらりとかさねを覘き込んだその瞳は『怒らせちゃいました?』と言外に尋ねているかのように見える。
(うん。怒ってるよ、比売神さま)
「比売神さまを神社に連れて帰るのも私の大切な仕事のひとつ。そして、お仕事には必ず期限があります。知ってますよね? 宮司さんの依頼から三日以内を厳守。守れなければペナルティ。頂けるお金が少しずつ減っちゃいます。さあ、ここで問題! 今日は何日目?」
比売神さまの喉がごくりと鳴った。
「み、三日目かのぅ……てへへ」
「五日目だぁぁぁぁぁぁ!!」
「ぴぎゃぁぁぁぁ!!」
慌てて逃げ出そうとする比売神さま。
が、かさねの手は逃げようともがく比売神さまをその背後から捕えて離さない。かさねのしなやかな指が脇の下を潜り抜け、ゆっくりと比売神さまのおなかのあたりを這って行く。
かさねの桜色の唇がじたばたともがく比売神さまの耳元でそっと囁いた。
「そんな大きな袋いくつも提げてるから逃げられないでしょ」
「む、むにゅぅ! か、かさね……堪忍、堪忍じゃぁ!!」
「そうはいきません。それぇぇぇぇ!」
「ぴぎゃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
かさねの指がおなかと言わず、脇から背中まで体中をくすぐり回す。
にゃははは、やめれ、やめれ、ははは、そこはダメじゃ、と笑い転げて、小さな女神さまは、かさねの指から逃れようと必死に身を捩じり、通りがかる人達が、そんな二人にクスクスと笑みを漏らす。
そして、ついに――
「うにゃぁ。もう、ダメじゃぁぁ」比売神さまは降参ですとばかりにのけ反った。
(そろそろ……かな?)
かさねは、比売神さまをそっと下ろす。
あふあふと喘いでいた比売神さまは、目もとの涙を拭うとかさねの胸にそっと顔を埋めた。
「わらわが悪かった……。ごめんな、かさね」
かさねの胸に埋めた顔をそっと上げて上目づかいに彼女を見つめる比売神さま。切り揃えられた前髪とあどけない表情とが相まってまるでお人形さんのように愛らしい。
(はぁ……比売神さまは、ずるいんだから)
もぉ、と半眼で見つめるかさねに比売神さまは、でへへと笑いかける。かさねは、何とか無視しようとそっぽを向いて頬を膨らませる。
が、目の前の笑みに釣られるかのようにかさねの頬が小刻みに震え始め……。
いくらもしない内に――
「ぷっ……」
「あ、笑ろうたな、かさね」
笑ろうた、笑ろうたと囃す比売神さまに釣られてかさねも堪らず笑ってしまった。
結局、いつも通り。
比売神さまのこの顔を見ると何故あんなに怒っていたのかと、かさねは自分でも馬鹿らしくなってしまうのだ。
「ほんとに、ずるいんだから」
きまり悪げに顔を赤らめるかさねに比売神さまはにんまりと微笑んでみせる。
二人の口からは、もう自然と笑い声が溢れていた。
けんかは、おしまい。
いつもの事ながら自分は、単純だなとかさねは思う。
それでも、仲なおり出来てすっかり安心したのか比売神さまはスカートの裾を翻し、鼻歌まじりに歩き出す。
小さな体に不釣り合いな大きな紙袋をいくつも肩に提げて嬉しそうな比売神さま。
(よかったね、比売神さま)
かさねは、くすりと笑った。
沈もうとする太陽の光が赤々と比売神さまとかさねを照らし、長い影帽子が二人の後を追いかける。もう、日も暮れるのだろう。街燈に明かりが灯り始め、街は夜の顔を見せ始めている。
その時、比売神さまが急に振り返った。
「その……言いづらいんじゃが、かさね、そなたに一つ頼みがある」