[10]
どれくらいの時間が経ったのだろう。
竜伸は、プールの底から水面を見上げた時のような不透明な遠い意識の中にいた。
目を覚まさなきゃいけないとぼんやりと思う。
しかし、そう思ったことによるものなのか徐々に体中の感覚がはっきりしてきた。
頬をなでる生温かい風と鼻先に仄かに薫る夜露の匂い。
時折背中に感じる振動は、近くを通り過ぎる自動車の物のようだ。
そして、みけんの辺りに感じる誰かに見られているようなじりじりとしたむず痒さ。
竜伸は閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
畑で見たあの少女の心配そうな顔が竜伸を見下ろしていた。
「――気が付いたんですね」
よかったぁ……。
少女の瞳に安堵の色が浮かぶ。
少女は手の甲で目を拭って微笑んでみせた。
竜伸の顔にも思わず笑みが浮かんだ。
一時はどうなる事かと思ったが……竜伸も少女も無事なのだ。
腹の底から湧きあがって来る安堵感。
体も、節々が少々痛むくらいでどうという事も無い。
竜伸は少女に支えてもらいながらゆっくりと体を起こす。
――と、腿の上に花柄の手ぬぐいがぽとりと落ちた。
少女が竜伸のおでこに載せてくれていたものらしい。
「ありがとう……」
竜伸が思わず漏らした礼の言葉にきょとんとする少女だったが、やがてみるみる顔が真っ赤になった。
「いえ、そんな、いいんです。だって……そんな」
少女は慌てて首を振り、照れ隠しという訳でもないだろうが、竜伸の肩や背中についた土や埃を払ってくれた。
赤らんだ両頬に手を添えて小さな吐息を漏らす少女を横目に竜伸は辺りを見渡す。
彼が横になっていたのは広い歩道のようだった。
竜伸は体を気遣いつつゆっくりと周囲に目を転じていく。
だが、その目に入ったのは、見た事もない場所だった。
まず目に飛び込んで来たのが、前を通る通りに沿って営々と続くモルタルと蒼錆びた銅版張りの外壁に彩られたどこか懐かしい建物の連なる街並み。
建物の背は一様に低くどれも二階建てで、時折、頭一つ飛び出したように三階建ての建物が見える。
どの建物も一階部分は商店なのだろう。
通りに向けて開け放たれた戸口からは淡い光が漏れ、行き交う人々の頭上では、無数の小さな電球とネオン看板が瞬いていた。そして、そんな街並みに沿って続く石畳でできた通りには路面電車が、カランカランと澄んだ鐘を響かせながら走り、その脇をボンネット型のレトロなデザインの自動車達のテールランプの赤い流れが続いている。
しかし、何より気になったのが、竜伸を物珍しげに横目で見つつ通り過ぎる街の人々の服装だ。正月かと思うぐらいの着物率。割合は、洋服と着物が半々ぐらい。特に女性は、着物を着ている人が圧倒的に多い。
ここは、なんというか……何もかもが、古めかしくて、どこか懐かしい。
そんな言葉がぴったりの場所――敢えて言うなら、いつだったか日本史の授業で見せられたビデオに出て来た戦前、昭和初期の日本にそっくりだ。
周囲を再度一瞥してから竜伸は、なかばひとりごとのように少女に尋ねた。
「ここはどこ……なんだ……?」




