5話 叶える手段 後編
2017,12/28 改稿
結局、今日の修行は基本的な近接戦闘について学ぶことで終わった。体の動かし方に重心の取り方を集中的に教えられた。
エリスさんの教え方は先の宣言通り、実践形式だった。頭で理解して身体にしみこませるまで何回も繰り返し技を受け続けた。
おかげさまで体中のどこを見ても痣のない場所を見つけることはできない。かなり手加減をしてもらっているのに関わらずひどい有様である。
最初に解決しなければならないのは受け身の取り方だろう。それと攻撃の防ぎ方だ。
目の前に飛び出てくる攻撃の対処が全くできていなかったことが、この痣の原因の大半を占めていると言えるだろう。
武器があれば、などという事は言わない。そもそもそれでは目的に合わない。
受け身と防御だけじゃない。相手の攻撃をどう受け流すことができるかがカギになるだろう。
エリスさんはこの先も数回これを繰り返すつもりだと言っていたが、それに甘えるつもりは一切ない。
今日のことはしっかりと覚えている。一回受けるたびに、僕の足りないところを丁寧に教えてくれるエリスさんには感謝しかない。
既に戦闘技術修行は終わっている。夕食の時間も過ぎ、風呂も入っている。
辺りは既に日が落ち始めており、雪山らしく気温が下がり始めてきた。
日中の暖かさからは一転して、指先からゆっくりと冷え込んできている。吐く息と空気中の塵が混ざって白くなっている。
寝支度はしてあるものの、それに着替えるつもりはない。拠点から外に出る。
今晩は降雪もなし、風もなし。非常にコンディションのいい日だ。絶好の修行日和ともいえるだろう。気温の低さは動けば温まるから問題はない。
地面に軽く溝を掘る。足先でほんの少しだけのものだ。一人が足を肩幅まで広げて立つことができる程度の余裕を持たしてある。
イメージするのは日中のエリスさんの姿だ。目を閉じる。鮮明に、鮮烈に、あの姿を思い起こす。
集中。フッ、と息を静かに吐き出す。そしてゆっくりと、吸い込む。
夜の寒さによって冷え切った空気が、肺の中を満たしていく。繰り返すこと五度。
閉じた瞼を開ける。変わらず目の前には夜の闇が広がっている。それでも僕の目には、両の手を構えたエリスさんの姿が見える。
合図なし。唐突に始まりを告げる。開始の一撃はエリスさんの正拳だった。
身体を半身に逸らして躱す。それを予想された追撃の蹴りを、両手を胸元でクロスして防ぐ。
続く連打。避けられるものは回避をする。それが無理ならば、手で脚で弾く。
一向に反撃の機会が訪れない。このままでは削りきられてしまう。じわりと、背中に嫌な汗が伝った。
直感に従って、その場から体を飛びのかせる。瞬間、先まで頭があったところを強烈な横蹴りが掠めていった。
僕の焦りを適格に読み取ったうえで、意識が途切れる瞬間を狙い澄まして放たれた一撃。
直感が無ければ確実に喰らっていただろうことは容易に想像がつく。
避け損ねて自分の髪がはらりと飛んでいく。体を前かがみにし、重心の位置をもとに戻す。
前身を沈み込ませる。決めの一撃を躱すことができたのだ。今の彼女は体勢を崩し、隙だらけの状態だ。
これならば決まる。しっかりと溜めた突きだ。脚は振り払われたまま、まだ払った方向に向いている。
決まった。そう思った。相手の体勢は崩れきっており、隙だらけ。渾身の脚による横薙ぎのために腕で防ぐことはできないはずだ。
その考えは、叶うことはなかった。当たると確信した一撃は、エリスさんの身体を捉えることはなく空を切っていた。
ぞわりと、体中の毛穴が勢いよく開く。直感がうるさいほどに警鐘を鳴らしている。
腕を引き戻す。突き出したままの勢いをなくした腕は恰好の的だ。手首から掴まれてしまう。簡単には引きはがすことは難しいだろう。
そう、”簡単には”引きはがせない。それなら、強引にするまで。つかまれて動きを制限された腕のひじを基点にして、押し込む。
押し込んだ状態のままで、空いた手で掴んでいる手に向かって打撃を加える。
これで手は離れたが、手は折れた。ひじから折れ曲り、先はぷらぷらと揺れている。
これで振出に戻れた。いや、こちらの方が不利だ。絶好の機会を取り逃し、かつ片腕を潰している。
その一瞬。1秒にも満たない刹那の時間だった。目の前には拳が迫っていた。
回避は間に合わない。防ぐこともできない。ましてや受け流すこともそうだ。
顔面にぶつかる寸前、鼻先ちょうどでぴたりと止まる。詰みだ。
張り詰めていた息を勢いよく吐き出す。始めたときは汗一つなかった。それが今や全身を汗だくにして、地面には流れ落ちたしずくが跡を残している。
息が整わない。体中の筋肉が酷使され続けたことに大声で不満を上げている。
始めてからどれくらいの時間が経ったのだろうか。体感的には十数分。しかし実際はどれくらいだ。
頭に酸素が行き届かない。酸欠ぎみの頭の中では上手く考えがまとまらない。
吐き出す息は全て白い。辺りは夜の闇に包まれている。
拠点近くの場所でよかった。これでは遠出したときは帰れそうにない。
しかし、このままじゃ眠れないな。まずは汗を流すことにしよう。
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彼の成長速度には目を見張るものはある。確かに彼は未熟だ。しかし、それは着実に変わりつつある。
あの子の境遇は出会ったときに聞いている。元々は学生だったらしい。もしそのままでいたならば。もし一市民としての生活を選んだのならば。
彼の才能は発掘されることはなかっただろうことはまず間違いない。アメミヤ自身は才能のない人間と評しているがとんでもない。
その才能は正しく天才のそれだ。特に、今まで戦闘の経験がないにも関わらず恐るべき精度で的中する直感がそうだ。
私たちのような上位陣が持つ、潜り抜けた死線の数という豊富な経験によって裏打ちされたものではない。
真作の直感だ。これは鍛えれば、どこまで伸びるだろうか。ただの推測にしか過ぎないが、天賦の才の持ち主だ。間違いなく未来視に近い状態にまで化けるだろう。
彼にはまだ基本的なことしか教えていない。それはまだ経験が足りていないこともあるし、体が出来上がっていないからだ。
今の成長途中の状態で無茶をさせたら後々に支障が出てくる。私の持ちうる全てを教え終わるのには4、5年はかかりそうだ。
それまでには最低限の身体は出来上がっていることだろう。
グラスに注いだ一杯を口の中で転がす。香木の芳醇な香りと、ほんの少しの苦み。喉を滑り落ちながら残る淡い甘さ。
今夜は雪雲一つない晴夜だ。月明かりだけが、外の闇を照らしている。
部屋の窓から、そう遠くない場所にアメミヤの姿が見える。
足元に書いた小さな円の中で、体を動かし続けている。その姿をじっと見つめる。
迫る乱打の嵐に対して、致命的なものだけを的確に選び取っている。回避ができないのならば四肢を使った防御と受け流しで攻撃をくらわないようにしている。
もしもだ。天賦の才に溺れることなく前に進み続けられる者がいるとするならば、だ。
経験という圧倒的な壁を、容易く覆すことを可能にするのではないか。
決して有りえなくはないその考えに、気づかぬうちに笑みがこぼれる。
夜の闇は更にふけていく。
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