0話 日常の崩壊
2017,10/16 改稿
2017,11/30 誤字修正
朝。まだ日差しが窓から差し込むよりも幾ばくか早い時間に目を覚ました。
この家には誰もいない。僕が立てる物音だけがいやに響く、朝の冷え込んだ空気だけが、僕を迎える。
温かみの残る布団から出る。壁に掛けられた時計を見る。針は早朝の時間を指している。
いつも通りの時間。今日は普段よりも気分が悪い。それは、きっと夢のせいだろう。
最近はあれを夢見ることはなくなっていたのだが。夢に見ることはなくなっても、あれは僕の犯した罪だ。忘れてはならないし、なかったことにしてはならない。
それだけれども。やはり気分が悪い……。今朝の朝食は、軽いものにしておこう。このままだと、吐いてしまうかもしれない。
それが家の中なのならば、まだいいのだけれども。学校で起きてしまったのならば、それは面倒なことを引き起こす。
彼らにすれば、それは楽しいこと、なのだろう。
いつも通り。あの日から変わることのない日々。それでいい、仕方ないのだから。
朝食とは言えないほどの、ごく僅かな量の朝食を終える。洗い物も使った食器くらいのものだ。食洗機に入れるよりも、手で洗ったほうが早い。
学校が終わった後はどうしようか。たぶん変わることはないだろうけど、もし気分よくなっているのならば、少し多めにしよう。
まだ食材は幾つか残っていたはずだ。特に買い出しが必要なわけでもないだろう。
今の自分の体調を考えながら、今日一日の予定を組み上げていく。それに合わせて登校の準備も、進めていく。
学校に向けて歩いている間に誰かに会うということはなかった。僕がそれを避けていることもあるが、誰も僕に関わりたくはないのだろう。
下駄箱から靴を取ろうと蓋を開ける。南京錠などは付いていないが、それでも鍵の代わりになるものが付いているはずだが、靴ではないものが大量に詰め込まれていたようである。蓋を変えると同時に紙屑があふれ出てきた。
どの紙にも、誰が書いたのか分からない罵詈雑言が殴り書かれていた。紙屑の中に混じって他のものも混ざっている。
下駄箱まわりを片付けるのは一度諦めて、近くの掃除用具入れから箒とチリトリを持ってくる。ゴミを片付けるのにも慣れたものだ。
以前、これと似たようなことをされたときに素手でゴミを片付けていたら、ゴミに混じってホチキスの針や画鋲といったものがあって怪我をしたからだ。
一見紙屑くらいしかないように思えるが、それでも何があるかは分からない。それに、あまり触りたいものでもない。
あれ以来、極力そういったことにならないように対策を取るようにしている。
チリトリの中にゴミを掃き入れるなかで、やはりこまごまとした凶器が混ざっていた。今までのものに加えて、新しく、折られたカッターの刃がいくつもあった。
そのうちどうにもならなくなりそうであるが、その前に下駄箱を使うのを止めれば問題はないだろう。
それも、これと同じようになりそうではあるが。
一通りの片づけを終えて下駄箱から上履きを取り出す。取り出す前に上履きに何かないかを確認する。そうそうないが、それで怪我をしたくはない。
履いてきた運動靴はそのまま持ってきたビニール袋の中にいれ、カバンに入れる。
これも、これ以外のことも。教師に相談をしても意味がないということは度重なる実績のお蔭で証明済みだ。そのまま教室に向かう。
教室に入る前に、柱とドアに少しの隙間が空いていることに気が付いた。視線をそのまま上に上げれば、その間に挟まれるようにして習字の授業に使うような細長い文鎮があった。
見た目は細長く軽そうな重しだが、あれでかなり重さはあるのだ。
当たれば相当痛いだろうことは容易に想像がつく。むしろ痛いで済めばいい方だろう。
当たらないように一歩引いてからドアを開ける。
鈍い音と共に重しが床に落ちた。まっすぐには落ちず、ななめに落ちたからか、ぶつかった床は少しへこんでいた。
重しの角が当たったのだろうか。
「なんで当たらないのだよ。そこは当たるところだろうが」
教室に入ってすぐのところに座っている男子がこちらを睨みながら言ってきた。僕があれを避けたことに苛立っている。口調が激しいものへと変わっている。
ここで彼に言い返すことをしても面倒なことしかない。話しかけるのも同じだ。
それならばできる限り楽に進む方を選ぶしかない。彼に向かって頭を下げる。視線を合わせることがないように下を向いたままだ。
机に座っていた彼がこちらに向かってくるのが分かる。たぶん、一言二言何か言ったあとに蹴るか殴るのだろう。今までもそんな感じだった。
教室にいるクラスメイトはなにもしない。ただこの状況を眺めているだけである。彼が、周囲が恐怖するほどに暴力を振るう人物であるという訳でもなく、止めに入ったら今度は自分がされる側になるからという恐怖が理由でもない。ただただ単純にこの次に何が起こるのかを楽しんでいるだけである。映画を見ているのと同じ感覚なのだろうか。
これからどんな風に暴力を振るわれるのか。何を言われるのか。皆が僕の反応を楽しみに待っている。
まだ先生が来る時間ではない。これは、文句を言われた後に殴られるか。
「誰も守ってくれないのだから大人しくやられればいいのだよ、お前は!」
そう言い放つのと同時に、僕は頭を殴られたようだ。殴られたところが熱を持って痛む。あまりの痛みに、その衝撃に思わず倒れてしまう。
「邪魔なのだけど、そんなトコにいないでよ」
倒れた先には、誰かいたようだ。殴られた痛みとは別に顔をゆがませる。今日は本当にいやな日だ。
背中を思いきり、蹴られる。彼女が蹴ったのが頭ではなかったことはよかった。
「親殺しに触っちゃった、最悪」
僕を蹴りとばすときにぶつかったのだろうところをしきりに擦りながら席へと歩いて行った。
教室の壁に掛かった時計を見ると、針は授業開始が近いことを示していた。
その情報を見る事はできる。だけども、それだけだ。それがどういったものであることを認識することはできても、理解することができない。
僕は、さきの言葉に精神を支配されていた。今朝に見た夢の続きだ。それはゆっくりと、しかし布が水を吸う如く、着実に僕を飲み込んでいく。
家族での旅行だった。楽しいものになるはずだった。それなのに。
周りの音が段々と遠ざかっていく。いや、聞こえなくなっているのだ。恐怖によって、僕の体は動かなくなっていた。無意識のうちに呼吸が浅くなり、視界は狭く暗くなっていく。
チャイムが鳴り響いた。普段聞きなれた鐘の音の放送が、僕の思考を現実へと引き戻した。
あれからどのくらいの時間が経っていたのだろうか。気を抜けばその場で胃の中の全てを吐き出してしまいそうなほどに強烈な嘔吐感が僕を襲う。
このまま過ごし続けるのは厳しいが、保健室には行けない。もし行くことができても、誰が付いて来るかわからない。
午前の授業が終わり、昼食の時間も終わった。
朝食を少な目だったことはよかった。そうでなかったら今頃は吐いていただろう。
いつもならば空腹に耐えるしかないのだが、未だ嘔吐感が残っていて食欲なんて一切なかったお蔭で問題はなかった。
予鈴がスピーカーから鳴り響く。
昼食後の小休憩の終わりを告げる鐘だ。教室にいなかった人たちもそれに合わせて続々と教室に戻ってきた。
時間がないからなのか、僕に何もせずに席に着いて行った。
授業開始の鐘と共に、担任の高橋先生が入ってきた。
高橋先生はこの学校でも、僕に対して普通に接してくれる教師である。一年ほど前からこの学校に来て以来誰にでも平等に接する人だ。僕がやられていることに関しても考えてくれている。
彼女の手元にはこの授業で使うだろう教科書とプリントがあった。
彼女の担当科目は国語だ。今日は前回のやった内容のまとめ問題を解くらしい。
前回は内容の理解だった。今回はそれの読み解き問題だ。
教科書の理解でやったポイントを踏まえながら、プリントの問題を解いていった。
その時だった。それは突然の出来事だった。
教室の四隅には、白く光る球体が宙に浮いていた。それは微弱な発光を繰り返していた。
突然のことに誰もがその現実を受け止めることができずに思考が停止する。
四隅に球体が現れてからほんの少し遅れて、教室の中央にも同じように宙に浮いている球体が現れた。
他と違う点は、隅のものと比べて一回り大きく、ぼんやりと青い光を放っていた。
誰も動かない。目の前の現象に理解をしようとしてもできない。
教室の床一面に、淡く光を放つ幾何学模様が浮かび上がる。中央に浮いていた球体を囲うようにして大小のリングも現れる。
床のものを、円状に、歯車のように凹凸がある。その円状の模様がゆっくりと回転を始める。早さも、回る向きも全てばらばらだ。
教室にいたみんなが騒ぎ始める。教室に居ては危ないと考えたのか、教室を出ようとドアを引いたり、体当たりを繰りかえす。
ドアから出られないことを知って、さらに集団が分かれる。わめき騒ぐだけの集団と、手当たり次第に物に当たる集団だ。
その間にも模様の回転は速度を増していく。
異変が起きてからそれくらいの時間が経っただろうか。パニック状態で気づいていないのか、周りで次々に倒れていく人が多い。
倒れていく人の数が増えるなか、模様の回転はもう目で追えないほどに速くなっていた。
急に強烈な眩暈に襲われた。ふらついた時に頭を壁に勢いよくぶつけてしまった。痛む頭を押さえながら、眩暈が弱まったことに気づいた。
あのまま倒れたら危なかった、その確信があった。
延々と続く眩暈に対抗するために、頭や体を強打する自傷行為を続けた。もう教室で立っているのは僕だけだった。
いつしか眩暈が消えた。束の間の休息。ふ、と気が緩んだ瞬間。それを狙ったかのように更なる痛みが全身を襲う。
自分が立っていた場所が消え去り、いきなり宙に放り出されたかのような感覚が身を包む。
自分が、得体の知れない何かにまとわりつかれる感触を最後に、僕の意識はそこで途絶えた。
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