下
下.
居間へ戻り、母と夕食を食べた。
献立は、肉じゃがとお味噌汁とご飯という、よくあるものだった。
でも、それで良かったと思う。
きっとこれが、私にとって最後の夕食になるだろう。
それが母の手料理で、本当によかった。
肉じゃがのジャガイモを一口食べる。
それからまた一口と、箸をすすめていく。
しっかりと味を噛み締めながら。
ちゃんと『母の味』というものを味わったのは、たぶんこれが初めてだと思う。
「おいしい。お母さん、すごくおいしいよ。」
「あら、そう?いつもと変わらないわよ。」
母は嬉しそうに目を細めた。
私は、母のこの顔が一番好きだ。
「ねえ、お母さん。私、明日の晩カレーが食べたいな。」
「カレーね。わかったわ。材料を買っておかなくちゃね。」
「うん。楽しみにしてる。」
私は笑った。
楽しそうに。
淋しそうに。
私は笑った。
今まで気が付かなかったけれど、きっとこれが『幸せ』なのだろう。
大好きな人と一緒に笑って、一緒にいる。
私は、気付くのが遅すぎた。
沢山の幸せを、素通りしてしまったのだ。
幸せすぎて、幸せではなくなってしまったのかもしれない。
もっと早くに気が付いていればよかった。
私は、とても幸せだったのだと。
その後、私は母の肩を揉んだ。
毎日働いている母の肩は、とても硬かった。
「お母さん、毎日お疲れ様。」
「なあに、改まって。」
母は気持ち良さそうに目を閉じ、クスリと笑った。
「気持ち良い?」
「うん。すごく気持ち良い。」
「よかった。」
私は嬉しくなって、指にもう少しだけ力を入れた。時計の音だけが静かに響いている。
「お母さん。お母さんはお父さんと別れて、色々大変だったと思う。それでも、私のことを一生懸命育ててくれた。高校にだって通わせてくれた。すごく感謝してる。ありがとう。本当にありがとう。私、お母さんの子供でよかった。」
「何よ、気色悪い。今日の春香、熱でもあるんじゃない?」
母は恥ずかしそうに下を向いた。
なんだか私も少しだけ恥ずかしくなったけれど、言えて良かったと思う。
その時だ。
突然電話が鳴り出した。
私はあっと思った。
時計を見る。
九時十分。
あれからまだ、三時間しか経っていないではないか。
母が、よいしょと立ち上がる。
待って!
私はまだ一番大切なことを言っていない!
廊下へと消えていく背中に、お母さんと叫ぼうとしたが、声が出ない。
ああ。
どうしよう。
ぱっと後ろを振り向いたとき、机の上に、短い鉛筆と、小さな紙切れが一枚置いてあるのが目に入った。
私は急いで鉛筆を手に取った。
最後の一文字を書き終えた途端、手に力が入らなくなり、鉛筆がポロリと机の上に落ちる。
間に合ってよかった。
手を見ると、指先がほとんど消えていた。
涙が溢れる。
消えてしまうのが怖いのではない。
母に会えなくなるのが、とても淋しいのだ。
お母さんと、離れたくないよ。
涙が頬を伝っては落ちる。
その度に、どんどんと私の姿が薄れていく。
ああ、さようなら。
どうか私のことを、忘れないでください。
静かに目を閉じる。
そこには、いつもの優しい母の笑顔があった。
春香の母、優子は、電話の内容を信じられずにいた。
娘が死んでいるというのだ。
そんな馬鹿な。
ついさっきまで一緒にいたではないか。
優子は、娘を呼んでくるからと、いったん受話器を置いた。
娘の名を呼びながら、居間へと行く。
返事がない。
姿もない。
段々と心臓の音が早くなる。
どくりどくりと。
「春香!春香!」
家中を探し回ったが、どこにも娘の姿はない。
気が付くと、居間へと戻ってきていた。
泣くまいと目線を下へと下げると、床に一枚の小さな紙切れが落ちていた。
拾い、表を見る。
そこに記されたメッセージを目にした途端、一気に目の前が揺らいだ。
涙が紙へと落ち、文字をにじませていく。
『お母さん、大好きだよ』という短い言葉は、とうとう最後には読めなくなってしまった。
おわり
どうも、木村よしです。
『三時間』を読んでくださり、ありがとうございます☆
批評や感想、駄目だしなど、何でもいいので書き込んでいただけると、これからのよしの力になるので、よろしくお願いします!!
この作品は、私が高1の時に書いた作品で、初めての小説でもあります。
だから文章めちゃめちゃですが汗。
コンクールに出したのですが、するっと綺麗に落選しました笑。
でも、自分では結構気に入っている作品だったりします。
この作品を読んで、何かを感じていただけたなら、木村よしは本当に幸せです。
いつも感謝することを忘れてしまう私ですが、母にこれを捧げたいと思います。
いつもありがと、お母さん。
これからも、木村よしと、よしの作品たちを、暖かくみまもってやってください。
本当にありがとうございました!




