4 中佐が入り込みやすい状況という奴は。
彼は協同組合で買った、いつものよりはやや軽い煙草をふかす。
これでも組合にあった中では一番きつい奴を選んではいるのだ。だが所詮この惑星内で作られたものに過ぎない。
大きく椅子にもたれかかり、ぴったりとしたパンツにくるまれた細い足を中佐は無造作に組む。
キムに言われたこともあり、彼は昼間、学生の協同組合に顔を出していた。
確かによくものが揃っている。日用雑貨やら食料に本だけでなく、嗜好品やちょっとした家電品までがずらりとこのシェンフンの中央大学に通う学生と教師、その家族のためだけに存在している。
そしてそれが一つ残らず、この惑星の自家製品である。本や音楽ソフトといった文化的産物といったものをのぞき、生活に必要と思われるものには、一つとして輸入品はない。
必要はない、ということか、と彼は思う。まあそうだろう。あれだけ広い生産のためだけの場所があるなら。
だが…
「そんな悪趣味、田舎ものがするかい」
「そりゃお誉めにあずかってきょーしゅく」
考えの流れはともかく、頬杖をついてくく、と彼は笑う。
遠くに投げた視線の向こうには、見覚えのある栗色の長い毛があるのを彼は知っている。果たしてどんな口調で女の子を口説いているのかはなかなか気になるところではあったが。
「だが、それはなかなか私は悪くないと思うが」
クラッカーをかじりながら、ゾーヤは低い声でぽつりと言った。
「あたしもそう思うわ。すごくあなたに合っているとは、思うもの」
先ほどミルクをたくさんと砂糖を三つ入れたコーヒーを掴みながら、ヴェラも続ける。
「女優さん達に誉めてもらえるってのは嬉しいねえ。そうなれば張り合いも出るってもの」
「そうなってくれなくちゃ困るよ」
部長のモゼストがため息をついた。
「何たって、もう試演まで時間が無いんだよな… なのに当の役者が、公安にしょっぴかれてしまったんだから全く…」
はああああああ、と部長は再び大きくため息をついた。
「何、俺の先人って、そーだったの?」
「そうなんだよコルネル君」
額にはちまきを巻いた部長は、先刻から何度この調子だろう、と彼は思う。
医学群正課の最終学年と聞いたが、果たしてこの神経で、あの時には無神経を必要とされる仕事をこなせるのだろうか、と思わずにはいられないくらいだった。
おまけに置いてあるのは紅茶とヨーグルトだ。きっと胃も弱いのだろう、と中佐は何となく推測してみる。
「元々我々演劇部と彼の新聞部は、伝統的に当局から目をつけられる存在なんだよ」
「そらそーだ」
畑は違っても、たくさんの人間に一つのことを発信するという意味では、この二つの効果は大きい。
特に、この惑星のように、放送手段がさほどに大きくない場合には、紙媒体の影響というものは大きい。中佐は訊ねる。
「そもそも俺思ったんだけどな、何でシェンフンなのにこんなにテレビジョンが無いんだよ」
中佐は彼らに対しては、この州の中でも田舎のほうから出てきている学生、という立場を取っている。
「それは」
「俺の居た所ならさ、そら仕方ないけど、いくら何でも、この街でこんなに少ないとは思わなかったぜ?」
「だって見てもつまらないものに誰がお金かけるっていうのよ?」
ヴェラはむきになって言い返す。まあそれはそうだ、と中佐はうなづく。
「へえ。こっちでもつまんないの。俺田舎だからつまらんとずっと思っていたけど」
「馬鹿じゃないあなた? 全州放送なんだから、放送なんて何処だって同じじゃない」
中佐は片眉だけを上げてみせ、自分の目の前のトマトジュースをちゅ、とすすった。ずけずけとものを言う女だよな、と彼は感心していた。
「なるほどね。だけど街頭テレビの量には感心したよ」
「だろ」
イリヤはにっと笑う。
「だけどあれをつけた理由、知ってるかい?」
「さああ? どうなの? 情報通の編集長さん」
「あれは、非常時の一斉号令のために使われるんだとさ。司政官が軍に命じて、反乱分子を一網打尽にするために市民に呼びかけるんだと」
「ほぉ」
それは彼も初耳だった。
「そんなことして、市民が反乱分子を掴まえると思っているんだ」
「まあやらないよりまし、と思っているのではないか?」
ゾーヤはあくまで冷静に言う。
「まあそうだな。協力しろ、と言われて協力しなかったら、今度は反乱分子と見なされるのはこっち、ということになりかねない」
ふーん、とうなづきながら彼は、幾つかの疑問が頭の中によぎるのを感じる。
矛盾がある。
そこで彼は一つ石を放ってみる。
この惑星の人間なら誰でも知っていて、だけど外にはあまり漏れない情報というものは結構こんなところからほころび始めるのだ。
「司政官は、確か、十年前から変わっていなかったっけ…」
「だと思うわ。あたしはその頃はまだバウナンに居たけど、あの時は、一斉検挙が行われた年でもなかったかしら?」
「ああそうだ、ヴェラ。あの年だよ」
ぽん、と編集長は手を叩く。
「君の居た地方でもなかったか? 反政府運動に加わった者を、程度の差無しに一斉に検挙した…」
「ああ、あれ。だけど俺まだその頃は毎日遊び回るのが大変でねえ。山の中とか走り回るほうに忙しかったから」
適当なことを言っておく。
「そういえば、あの時、君の幼なじみも行方不明になったんだろ? ヴェラ」
「イリヤ」
彼女は険しい目で編集長をにらむ。イリヤは肩をすくめる。中佐はそれに気付かないふりをすることにした。
「何、誰か、捕まったの? 知り合いが」
「…家族がね。当の本人は、知らないわ」
「ところがだよ、コルネル君」
編集長は、ここぞとばかりに強調する。
「その行方不明になっていた彼女の幼なじみなんだが、先日僕は、この学内で見付けたんだ。だけど姓が違うから、本当に本物かどうかは判らないんだけど」
ヴェラは仏頂面になって、自分の目の前のソーセージサンドに大きくかみつく。ぱり、とはさまれていたレタスが音を立てる。
「何って人? 俺の知ってる奴?」
「さあどうかなあ。社会学群の方で見かけたとも、医学群の方に居たともいうし」
「医学群なら、部長さんでしょ」
「いや、俺は彼ほどそういう記憶力には優れてないんだ。それに、結構医学群は、範囲が広すぎて、案外知り合いというのが少なかったりするんだ」
へえ、と中佐はうなづく。
「じゃ俺はすれ違うかもしれないね。何って名?」
「彼女によると、昔はラーベル・リャズコウって名だったらしいんだけど」
「昔は?」
聞き覚えのある名に、中佐は内心やはりな、とつぶやく。
「その似てる、もしくは同じじゃないかって奴の名は、ラーベル・ソングスペイ」
「あまりこっちの人間っぽくないね。その名は」
「君だってそうだろう? コルネル君」
「偶然だって」
彼はさらりと受け流す。
*
だが偶然ではないことをコルネル中佐は知っていた。
食事兼ミーティングの後、彼らは学生食堂からそのまま部室へなだれこみ、読み合わせもへったくれもなく、もういきなり場面ごとの演技指導ということになってしまった。
やれやれ、と彼は思ったが、何とかなりそうだ、という気もしている。
実際にその本番が行われることがあるかどうかは判らないが、たとえあったとしても、彼はまあ何とかなると踏んでいた。
とりあえずその日の解散が告げられた時には、既にとっぷりと日が暮れて、真夜中と言ってもいい時間となっていた。
部室である元アトリエの高い天井に、やや低い位置からぶらさがっている灯りがほんやりと白く、その上に、ただ黒い夜空が見えた。
彼の役割は、道化師だった。
特に台詞という台詞がある訳でもないが、登場人物のまわりにひょい、と現れて、意味ありげな動きを見せ、またさっと過ぎていく、というものである。
従って、演技力とか記憶力とか、そういうものよりはとにかく、印象的な姿であること。それが第一だった。
…という訳で、前任者は、印象的であったため、官憲に目を付けられて逮捕されたということになっているのだが。
無論、そんな訳ではない。
上陸した後、彼らは、各地に別れて作戦行動を取ることにした。今回軍警中佐としての彼が率いたのは、総勢二十名くらいの小部隊である。今回の配属人員の最低条件は、キリール・アルファベットが「それなりに」判ることだった。
そしてその中でも「読めるが使いにくい」者半分が、エラ州の外の州に飛び、情報収集にいそしみ、「話せる」半分が内部に居る。
そしてその中でも、特にネイティヴと変わりの無い、しかも学生として潜り込める程度の外見である四人が、首府とも言えるシェンフンに居るのだ。
表向きの目的は、これから組織的反乱の起こりそうな所へ入り込み、内部から切り崩しをかけること。
さて、その入り込む場所、というものを探す時、キムはともかく、中佐は多少考えた。何せ彼は目立つ。放っておいても、その外見は目立つのだ。
だったら、その目立つのを利用しないことには意味がない。
そこで彼は、大学祭の情報を入手した時に、演劇部の新作の内容を見て、にやりと笑った。
翌日、演劇部の道化師役の派手な学生が、投獄されたという情報が、学内に流れた。
中央大学の学生は、だいがいが叩けばほこりの出る身体だったから、ついでだ、と当地の軍警に取り調べは任せてある。
演じるということは、現在の彼にとってはそう難しいことではなくなっていた。何せ、今こうやって何気なく過ごしている時間そのものが、一つの芝居なのである。
元々の自分が、居たことは居た。だがその元々を隠し、別の顔、別の姿、別の名前を身につけてから、彼はずっと、その役を演じている。
もっとも。
彼は足下の葉の感触を確かめながら内心つぶやく。
最近じゃどっちが本物かなんてわかりゃしないんだけどな。
「コルネル中佐」ではない元々の自分は、煙草は吸わなかった。健康のためにという母親の言葉を苦笑まじりで聞き入れていたような気がする。
言葉使い一つにしても、ごくありふれた家庭に育った、ごくありふれた軍人のそれだった。それは一つ一つ、小さな積み重ねで作った自分であり、時間だった。
他人がどう言おうが、それは大切な日々であり、自分を今の自分にするための、重要なものであったと言える。
だがどんな重要なものであろうが、それが崩れ去る時は一瞬である。そして一度失ってしまったものは、二度と手には入らない。
あれもそうなのだろうか?
様々なヴァリエーションで、笑顔を絶やさない連絡員の姿がふっとよぎる。無論盟主の元に居るのだから、何かしらの理由があるのだろう。キムは何も言わないが、そういう気はしている。
聞いてみたい気がしない訳ではない。だが聞いた所で言わないだろうことは何となく予想がつく。自分が言わないように。何となく、彼は自分があの笑顔に苛立つ原因を知っているような気がしていた。
ふと彼は、足を止めた。一拍遅れて、葉を踏みしめる湿った音が耳に入る。まだ枯れ葉とは言い難い葉は、あまり大きな音を立てない。
首をかしげ、彼はもう少し足を進める。そして「大通り」の半ば、常夜灯の薄緑の灯りが煌々と光る所まで来た時、不意に振り向いた。
追跡者は、大きな目をさらに大きく見開いた。
「何だあんたか」
中佐は追跡者の胸元に目をやる。思わず驚いた拍子に手を当ててしまったらしい。どうやら見かけほど強い訳ではなさそうだな、と彼は思った。
「何か俺に用? ヴェラちゃん。あんたの寮は向こうでしょ」
彼は学内敷地の中にある一棟を指す。確かにそこが、彼女の住む寮だった。
「い、妹を迎えに行こうと思って」
「妹?」
「文学やってるのよ。それで何か今日はカシーリン教授のとこに行くって行ったきり…」
「何あんた、一度寮に戻ったの? 早いね」
「近道を知ってるのよ。あなたこそ何? いきなり」
「いや別に。俺耳がいいの」
では別に自分をつけてきた訳ではないな、と彼は思う。
それでもさすがに夜間の女の一人歩きは心細かったのだろう。それで目の前を歩く、一応は知り合いに歩調を合わせていたのだろうな、と彼は推測する。
「あの子要領よくないから、門限に遅れるなら遅れるってちゃんと伝えなくちゃ駄目だって言ってるのに…」
「文学部ってどのへんだったっけ」
ヴェラの表情がやや歪む。
「いいわよ。あたし一人で行くから」
「あんたを送るどうのじゃなくてな。俺の友達も何か今日そんなこと言っていたから」
友達、ね。彼はふと苦笑する。
「何笑ってんのよ」
「いや別に」
妙におかしくなる自分に中佐は気付く。だがそれではなかなか事は進まないので、その線で通すことをとりあえず自分に言い聞かせる。
「俺もその友達と今日は約束があるんだよ。だけど下手すると不器用な奴だから、ずっとずるずるその場に居るかもしれないだろ」
「あなたの友達で、不器用というのもなかなか考えにくいけどね」
「お誉めにあずかってきょーしゅく」
ヴェラの言葉に彼はややおどけた礼を返した。実際、今日あの学生食堂の端で、キムが会っていた相手がヴェラの妹であることは知っている。
偶然だよね、とキムはいけしゃあしゃあと言っていた。
人文学群は、彼らが降りてきた元アトリエの部室と、同じくらいか、やや高い位置にある。一度階段を降りたというのに、また別の階段を上がらなくてはならない。さすがにヴェラもこの階段には息切れがしているようだった。
「…この学校の問題はね、この上り下りだと思うわ!」
それでもちゃんと罵りを忘れないあたりが、彼女の性格なのだなあ、と彼は思う。気が強いのか、気を強くしていようとしているのか、そのあたりは判らない。だがまあ、見ていて、そう悪いものではない、と彼は思う。
何はともあれ、前向きだ。彼は前向きなものは好きだった。
いくつかの階段と坂を上り、ようやく人文学群の校舎にたどりついた時には、彼女はずいぶんと肩で息をしていた。
「どうする? 休んでくか?」
中佐は声を投げる。息を切らしながら、それでも彼女は首を横に振る。しょうもねえな、と中佐は彼女の腕をぐっと引いた。
「何すんの」
「いいから掴まっていけよ」
少々の間のあと、ありがと、と小さな声がした。
人文学群の中でも、文学部は奥の方にあった。肩に掴まったヴェラの微かな動きと、多少の記憶を頼りに彼は校舎群の迷路をすり抜けていく。
「…もういいわ」
彼女の手が離れる気配がする。ここか、と中佐は目の前に立つ六階建ての校舎を見上げた。あちこちにまだ灯りがついている。研究室に残っている教授達がまだ居るのだろう。
「カシーリン教授の研究室は知ってるの?」
「一応。妹から聞いてはいるわ」
中佐はうなづく。
掲示板が立ち並ぶピロティーを斜めに突っ切ると、開いている扉から彼らは中に入った。所どころの部屋から漏れる光が、灯りの消えた廊下の僅かな頼りどころである。
中佐自身はこの程度の薄闇は大した問題ではなかった。目の波長をやや切り替えると、周囲の状況も判ってくる。
入った棟を大きく突っ切り、次の棟に入ったらしい。
その廊下を真っ直ぐいくと、ほのかに薄緑に光るものがある。エレベーターだ、と彼は気付いた。
それもかなり旧式に見えたが、ここでは普通なのだろう。
彼女が大きなボタンを押すと、がたん、と一瞬音がして、厚手の金属の扉が開いた。中には灯りが煌々とついていた。
「何階?」
彼女は六階、とだけ答えた。最上階か、と彼はつぶやく。ごとんごとん、と音でも聞こえてきそうな程、そのエレベーターはゆっくりと動く。だが苛立ってはいけない。ここではそれが普通なのだから。
「妹って、文学部に居るの?」
「ええ。頭のいい子だからね。スキップして、あたしと同じ学年」
そこまで聞いた覚えはない。彼女はそこにコンプレックスを持っているな、と中佐は思う。少しばかりつついてみたくなり、彼は気付かないふりを装う。
「へえ。でも違う分野じゃない」
「たまたまそうなっただけよ。もしも同じ科目取っていたら、と思うとぞっとするわ」
「ふーん。じゃああんたは妹のこと、嫌いなんだ」
突然ヴェラは彼の方をきっと見た。
「何でそういうことになるのよ」
「え? だって俺にはそう聞こえたよ?」
「嫌いだ何だなんて、考えたことないわよ! 妹なんだから。同じ教室で机並べること考えるとぞっとすると言っただけじゃない」
「ふーん、やっぱりそんなもんなのか」
「姉としては嫌よ」
ぷい、と向こうをむく彼女に、プライドという奴だな、と中佐はやや感心する。
やがてエレベーターはちん、と音を立てて止まった。
重い扉が開いた六階の廊下には、一つだけ灯りがついていた。だがその廊下自体が長いので、視界はやはりうすぼんやりとしている。
それでも数室は人が居るらしい。閉ざされた扉のすき間から光は漏れている。
そして幾つかのそんな光に目を止めた時…
「ん?」
中佐は足を止めた。
扉から、手がのぞいていた。