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3 当地における放送、情報統制、利用される記録媒体について

「俺は8:2でソングスペイだと思う」


 え、とぼうっとした視線で連絡員は中佐を見上げた。寝るなよ、と彼は相手の頬を軽くはたいた。


「聞いたのはお前だろ」

「ごめんちょっと寝させて… 話そのまましていていいよ… 耳には入るし… 後でリピートさせて… 記憶はできるから…」


 そして言うが早いが、キムは目を閉じた。次の瞬間には、もういくら揺さぶっても起きない。

 これもまた奇妙なことだ。仕方ないから、相手から身体を離すと、彼は一度その真っ赤な髪を振る。そして腕を伸ばして煙草を口にする。

 何なんだか、と火を点けながら彼は思う。

 この連絡員は、事のたびに自分のことをタフすぎるとおどけた調子で責める。

 ふう、と煙を吐き出す。

 だが仕方がない。そういう身体なのだ。少なくとも、生身の頃より。

 この吸っている煙草にしてもそうだった。普通のものでは、吸っているという感覚すら無いのだ。

 強すぎる、普通のスモーカーですらそのにおいが漂うくらいで明らかな不快感を顔に漂わせる、そのくらいのものでないと、彼にはそれを口にしているという感覚が無いのだ。

 確実に、様々な感覚が生身の時よりも鈍くなっている。それ故に、冗談ではない程の様々な任務を、身一つでこなせてきたのだろうとは思う。

 だがその反面、何かが確実に無くなっていることにも彼は気付くのだ。

 無論それを悔やむ訳ではない。

 実際、生の世界に引きずり下ろされてから、自分のすること、しなくてはならないことに関して、理由など考えもせず、ただやってきた。

 そしてそれでいいと思ってきた。


 なのに。


 彼はシーツの上に蜘蛛の巣の様に髪を乱しながら無防備に眠る相手の姿を見下ろす。金色の目が、軽く細められる。

 ふと言葉が、煙のすき間から漏れ出す。

 聞こえるというなら言ってやろうか?


「…ソングスペイは、籍を詐称している。いやそれは詐称というのとはやや違うが…」


 軍に提出されているラーベル・ソングスペイの戸籍は、この地方とは全く関係のない星域だった。少なくとも彼が司令部の事務室で検索した限りでは。

 だがキムが気付いたように、彼の言葉には、確かにこの地の人間特有のものがあった。

 帝国にも無論公用語はあるのだが、それはそれとして、各地に、最初の植民者の持っていた言語を地元語として使う場合が多い。

 帝都付近、皇室の提唱する公用語は、ラテン・アルファベットで記される、ゲルマンとラテンの入り交じった言葉だった。

 帝国は公用語だけを強制することはなかったが、公的電波がそれを使用する以上、人々はそれを自由に聞き取れるようになることは必要とされた。

 だが、この地域の場合、その距離の遠さから、公用語が話されることは極端に少ないようである。

 言葉は日々の生活イクォール訓練でもある。話そうとしない聞こうとしない言葉に慣れるなんてことは不可能である。


「…だからいくらソングスペイががんばった所で、ガキの頃に身についてしまっている言葉のリズムという奴は変えようがない」


 中佐は端からはぶつぶつと言ってるようにしか聞こえない程度の声でつぶやく。

 聞こえてるのだろうか? 彼はちら、と横を見下ろす。

 まあどっちでもいいさ、と彼は煙草をひねりつぶした。


* 


「やっと見付けた」


 ベルが鳴りその日の授業が終わった時、不意に肩を掴まれる感触にジナイーダは振り向いた。

 あら、と彼女は声を立てる。そこにはにこにこと人懐っこい笑顔があった。


「あなたは」

「こんにちはジーナ」


 栗色の三つ編み。ジナイーダは記憶をひっくり返す。この三つ編みはよく知っている。


「あなたやっぱりここの授業取ってたんだ」


 そういう彼も、腰までありそうな長い髪を緩く編んでふらふらとさせつつも、ちゃんとテキストやノートを手にしている。


「ええそうよ。そう言ったじゃない」

「そうだよね」


 そう言って彼はまたにっこりと笑う。

 テキストを後ろ手にして、彼女の顔をのぞき込むように見つめる。何となく彼女は落ち着かない気分になり、表情を引き締めた。


「お茶でも呑まない? おごるよ」

「おごられても、返せるあてはないわ、キム君」

「別に返してもらおうとは思ってないって。ああじゃあ、こうしよ。実は俺、下心持ってる」

「下心?」


 彼女の表情は更に硬くなる。うん、と彼はうなづいた。


「実はさ俺、教授に一度お目にかかりたくて」

「教授… って、カシーリン教授?」


 うん、と再び彼はうなづいた。そして空いた机に飛び乗り、腰を下ろす。


「こないだあなたと会ってから、あらためて俺、図書館で本借りて読んでみたんだけどさ、凄いよね、あの先生」

「何読んだの?」


 ジナイーダはちら、と彼の持つ本に視線を落とす。彼はにやりと笑うと、そうそう、とそれを取り出した。


「それ、『言葉の力』ね」

「うん。これは面白かった。だけど無論これだけじゃないよ。『州内における流行文学の研究』とか…」


 彼はそこで一瞬言葉を切る。


「それに、『放送の力』」


 ジナイーダの眉が、片方ぴん、と上がった。


「…ちょっと待って」

「何?」


 キムは笑いを崩さない。腰を下ろした机に両手をついて、彼女の表情が変わる様を笑顔のまま、冷静に見ている。


「それ、見付けたの?」

「うん。図書館の片隅で。誰が隠したのかなあ、と思っていたけどね?」


 彼女は自分自身の腕を握っていた。無意識なのだろう、ぎゅっと掴まれる袖には大きくシワが寄った。


「見付けたの?」


 そして同じ問いを繰り返す。彼もまた、同じ応えを返した。


「見つかっては、悪かった? 何で文学関係の本が、スポーツ関係のとこにあるのかなあ、と思ったけど」

「…きっとそれは、マスコミ関係の本と間違えたのよ。だって分類からしたって、スポーツと芸能って近いじゃない…」

「それに」


 やんわりと、だけどきっぱりと彼は言葉をはさむ。


「その前に借りたのは、あなたでしょ、ジナイーダ・ウーモヴァ?」

「カードを見たのね?それであたしを探した?」


 彼女の顔が、険しくなる。うん、と彼はまたうなづいた。


「半分は本当。そう」


 そしてでもね、と付け足した。


「こないだあなたに会ったのは、偶然。だけどカシーリン教授の本に興味あったのは前から。あなたに会ったから余計にキョーミを持って、図書館で本探したら、面白いことが起きた、そんだけ」


 彼女は手を腕から離し、改めて腕組みをした。


「それであなたに余計キョーミ持ったのは事実だけど、別に、それだけだよ? それはそれ。これはこれ。カシーリン教授に会ってみたいなあ、ってのも本当だけど、あなたをお茶に誘いたいのもホント。これはこれ、あれはあれ」


 さらさらとこの目の前の男の口から流れる言葉にジナイーダはやや当惑する。彼女は口を歪めたまま閉じ、何と言ったものかと考える。


「お茶につきあってもいいわよ。だけど自分の分は自分で払うわ」

「そういうのは、でーとのマナーに反しない?」


 でーと、という言葉に彼女は敏感に反応する。


 そんなそんなそんな。


 彼女は内心頭をぶるんぶるん振る。


 そんなのは無いわよ。あたしはヴェラじゃないんだから。


 男子学生の慣れない言葉は、彼女を戸惑わせる。いや、男子学生に友達は居ない訳ではない。だけどそういう意味での言葉は聞いたことがないものだから。

 免疫がない。

 彼女は必死で冷静をとりつくろう。そうよあたしはヴェラじゃないんだから。


「そういうのは、外の連中のマナーよ。少なくともこの中央大学の女子学生にとってはそうではないわ」


 むきになって言い返す彼女にくす、とキムは笑った。


「何がおかしいの?」

「いや別に。じゃそのお茶にお菓子はプレゼントしていい?」

「…いいわ。そうしたいなら。そこでカシーリン教授の本について話しましょ。それで納得したら、ゼミの方に紹介してもいいわ」

「了解」


 彼はにこやかに笑って、机から跳ね降りた。



 だが構内にある学生食堂の一角の喫茶室で、彼女は自分の敗北を理解した。

 「中央広場」と「大通り」からやや下った所に学生の最もよく利用する食堂がある。その一角は喫茶室になっており、市街のそういう場所より、やや味は大ざっぱになるが、値段はお手頃になる場所がある。

 女子学生にとって嬉しいのは、お菓子の種類が案外多いことだった。

 セルフサービスでコーヒーと紅茶を「大」カップで頼むと、キムは彼女に何がいい? とずらりと並んだお菓子を指し示した。これ、と彼女はクッキーの袋を指した。


「これでいいの?」

「いいわよ」


 ケーキ類なぞ頼んでみろ、と彼女は内心つぶやく。この相手の前で、どういう顔で食べたらいいのかさっぱり判らない。クッキーなら、喋りながらぽんぽんと口に放り込める。

 彼は肩をすくめると、自分の分の紅茶とそのクッキーの代金をレジに置いた。

 適当に空いた、やや脇にサビが見える椅子に座ると、クッキーの袋をがさがさと開け、とりあえずは手にしていた本の談義から始まった。


「『言葉の力』は読んだのよね?」

「まあね。これは文章そのものとしても綺麗だよね。言葉が力を持ってる、ってことを実証してる」


 自分の好きな著者をあからさまに誉められれば悪い気はしない。ジナイーダはかし、とクッキーをかじりながら、少しだけ緊張が融けるのを感じた。

 「言葉の力」は、カシーリン教授が世に出した第一評論集だった。研究よりまず、評論のほうが先に出てしまったあたりに、教授の矛盾がある。


「研究のほうは確か、昔から、人々を感動させる言葉、とか、そういう状況とかについて、だったっけ?」

「そう。それが文学にある場合とか、その文学が社会にどういう影響を及ぼしたとか、そういう類」

「だとしたら、さぞそれは出版しにくかっただろうね」

「だと思うわ」


 ジナイーダはうなづいた。


「だからあなたは、あの本を隠した?」


 ジナイーダは音を立てて、クッキーを噛みしめた。


「だからってどうだって言うの? 時々、来るのよ?」


 彼女は次第に声をひそめた。


「何が?」

「監察官」

「図書館の本相手に? だって、そんな、本を仕入れたことくらいは簡単に記録に残るでしょ」


 たとえその管理の方法が、昔ながらのカード式であったにせよ。


「内容までは、タイトルじゃ判らないでしょ!」

「でも『放送と力』じゃそのままだね」


 彼女はぐっと言葉を飲み込む。


「確か、この近隣州から流れる電波の収集法まで書いてなかった? 例えばこのシェンフンだったら、一番入りやすいのはエマ州のテンションから発信される『自由の声』が一番受信しやすい、とか… とても、文学部の教授とは思えない」

「文学部の教授よ!」


 そう彼女は言い返して、またクッキーを一つ放り込む。


「文学部の教授だからこそ、今の、この状態が許せないのよ… 好きなことを好きに書けない自由が無い状態が…気付いたことないなんて言わせないわよ?」

「確かにそうだね」


 キムが実際驚いた、のはこの州におけるバランスを崩した情報統制のやり方だった。

 そもそもこの州、ないしは惑星において、それほどの情報統制を行う必要などないのだ。

 情報統制は、それが必要とされる時にその効力を発揮する。例えば戦争時。例えば災害時。時によっては「選挙」でもいい。また飢饉が続き、州土自体が餓えたりすること。

 そんな時に情報を規制して、不満を目の前の政府にぶつけることを回避するのは、ある種有効なやり方だ、と彼も思う。

 だが現在のこの状態は、決して利口な方法ではない。

 この惑星は、決して貧しくはない。

 確かに帝都付近のような飛び跳ねた文化が生まれるような豊かさではない。だが、人々は餓えることもなく、日々の生活をこなし、そしてさらに、少しでも自分の生活をよくしようとする極めて健全な姿勢を、幼少時から身につけている。

 速度はゆっくりかもしれない。だが、決してそれは悪い発展の方向ではない、とキムは思う。

 例えば、この地の主な情報源は、ラジオとテレビである。それはあくまで二次元なテレビであり、インタラクティヴではない、あくまで送り手が送るだけのラジオである。

 音楽にしてもそうだった。この地ではこの地の流行り廃りがあり、中央からのものは入ってくることは少ないようである。好みもまたずれている、と言えばそうなのだが。

 そしてその音楽を聞くものにしてもそうだった。

 この地で最も使用されている携帯型の音楽は、帝都やその近傍で生産され輸出されている手に入る程の小型で、キップ程度の薄さしかない音楽カードではなく、ずっしりとした重量、握れば固さに手が痛むかもしれない、スチールで覆われた磁気カセットテープだった。

 技術的な面もある。素材の手配の関係もある。

 例えば電気が引かれず、電池の補給もままならないような草原の国で最も重宝されているのはぜんまい式の自家発電ラジオであったりするように、その場にはその場にあった機械というものがあるのだ。

 この惑星は、そんなハード的な面でも、市民の日常というソフト的な面でも、落ち着いて安定した進歩と調和を目指しているように思えた。

 だから余計に、目の前の彼女が話すような現状には、違和感があるのだ。

 電話に盗聴器がつけられているだけではない。街のあちこちには、「不審な人を見付けたら直ちにご一報を」というボスターが貼られている。

 ラジオから流れてくるのは、まだ半分は普通の娯楽番組だが、あと半分は、現政府を称えるようなものだった。

 政府高官の一人一人の生い立ちを追ったドキュメントだの、各地で行われた式典だの、毎日あるものではなければ、フィルムが繰り返し繰り返し流される。



「くそったれな放送さ」


 編集長イリヤはコーヒーを口にしながら毒づく。


「誰が見るかって言うの。あんな放送」


 ふうん、とコルネル中佐は両眉を上げることで応える。

 彼はこの時間、演劇部で知り合った学生達とミーティングがてら、食事をしていた。秋の日の夕暮れは早い。既に日は沈み、学生食堂の一角にも、灯りが点いていた。

 大学祭が近いためだろう。学生達の姿もあちこちに見られた。


「あんただってそう思わなかったかい? コルネル君よ?」

「はて。俺は所詮田舎ものだからねー」

「そんな格好して何が田舎ものだよ」


 つん、と学生新聞の編集長は彼の腹をこづいた。

 確かに、と中佐は思う。

 この編集長は、実にマトモな格好だ。シンプルなシャツの袖も襟もきっちりと止めているし、加えてそこに劇団員にも共通なネッカチーフをきちんと結んでいる。何となく育ちの良さを感じさせる。

 買ったサンドイッチは適当に紙に包まれているだけなのに、彼の手の中では妙に優雅に見える。

 ふう、とコルネル中佐はまた一つ煙を吐く。軽すぎるな、とは思うが、そこは仕方がない。


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