エピローグ1 ソングスペイ、地球に死す
―――その惑星が見捨てられて久しい。
*
こんな筈ではなった、と小型宇宙船をハイスピードで飛ばしながら、ソングスペイは思った。
時間が動き出したあの都市をどさくさに紛れて脱出した彼がまず向かったのは、最初に上陸した、あの州に近い島だった。そこから彼らはエラ州に進入し、作戦を開始した… はずだった。
だがそう思っていたのは自分だけだったらしい。彼は自分の読みの甘さを痛感した。
自分は逆スパイを気取っていたが、それは逆に言えば、どちらからも反逆者ということになる。つまりは、軍警からも組織からも追われることになると。
彼は本気であの連絡員を怖れた。確かに当初からただ者ではない、と思ってはいたが、まさか組織の、あの噂に聞いていた人物とは。
操縦桿を握る手が汗ばむ。思い出すと、まだ冷や汗が出る。
とにかく逃げなくては、と彼は思った。
そして島に隠し置いた軍警の宇宙船の中から、小型の、だが超空間航行が可能なタイプを選んで乗り込んだ。殆ど彼は身一つだった。
何故「MM」に足を突っ込んでしまったのだろう―――
彼は今になって、ひどく後悔していた。もともとその行動や理念に共感して参入した訳ではない。そもそもは、父親が捕まった理由の一つであるその秘密結社のことが知りたかったのだ。知るためには、足を踏み入れなくてはならなかった。
だが、入り込んでしまったら、今度は、知るどころでは無くなった。逆に、入り込んでしまうことによって、見えなくなるものが多くなるのだ。
末端の構成員は、名乗らない。名乗ってつき合いが続くのは、ひどく希な例であり、あのカシーリン教授とブラーヴィンはその希な例である。だがカシーリン教授は、その「旧い盟友」を捨てることを組織に命令され、またそれを断ることはできない。
無論、彼はそんな希な例には幸運にも当てはまらなかった。
何度かの小さな超空間航行が繰り返される。この方向に飛ぶのは、彼はかなり不安があった。何せ、惑星ノーヴィエ・ミェスタから向こうの「その星域」について、彼は殆ど知らなかったのである。
何度か続くハイジャンプのせいで、彼は眩暈と吐き気が時々自分に襲いかかってくるのを感じていた。
だが当座の目的の惑星は、目の前に近づいていた。この惑星の名は何と言っただろう、と彼は眩暈の中、記憶をたどっていた。編入して、慣れない学校の中での、慣れない言葉の中での、歴史の時間。星間地理の時間。
歴史はいつも、共通星間歴が定められたあたりから詳しくなる。
それまでの歴史は先史とばかりに、大ざっぱなものをあっさりと言葉上のものとして教え込まれるだけだ。何年に何があって。それは彼の頭の中でつながりはしなかった。
だが共通星間歴の始まる、今から800年ほど前あたりから、歴史の記述は具体的になる。
そして「その惑星」の歴史は、そのあたりでいきなり終わりになるのだ。
帝国の教育庁がサンプルとして公示する中等学校用歴史教科書によると、こんな記述でそれは終わる。
「増えすぎた人間を宇宙という広大な場所に送り出し、我らが母なる惑星は、その役割を終えた」
尤も「何故」役割を終えたまではそこには記述されていない。教育庁もそれを教えることを許可しいない。従って、ソングスペイも、その理由を知らない。一部の歴史学者だけが知るものと、その事実は変わりつつあった。
その惑星の名は、地球といった。
*
扉を開けると、そこには清浄な空気が広がっていた。宇宙船から降りた彼は、大きく息をついた。
ここは何処だろう。
彼自身は何処が着陸に最適の環境であるのかいまいちよく把握できなかったから、船のコンピュータにそのあたりは任せた。
空は、白かった。曇っているのだろう。だが雨が近いという訳ではないらしい。ただ陽の光は淡く、ごつごつとしたコンクリートの道に落ちる影は淡かった。
コンクリートと判る部分は、ほんのわずかだった。広かった舗装道路だったらしいそこは、真ん中あたり以外が、全て緑の草に覆われている。
そしてまた、ここは何処だろう、と彼は思った。中天よりやや西に傾いた太陽を逆光に、壁に覆われた都市が、そこにはあった。いや、都市の残骸と言うべきか、と彼は思った。
壁は、びっしりと緑の蔦に覆われていた。それが時々さわさわと音を立てて揺れる。不思議だった。風という風が、ここには無いはずなのに。
そしてその壁の向こうに、高い建造物やタワーの先が見える。
彼は何となし、引き寄せられるように、その都市に近づいていった。
まだ眩暈と吐き気はなかなか治まらない。何かこの都市の中に行けば、まだ何か――― 遠い昔に人が失せた惑星だとしても、自分の休める場所くらい残っているだろうか、と思った。
そして道の白い、コンクリートの部分を選んで彼は歩く。妙につやのいい、溢れる草を踏みしめていくような気分ではなかった。
ふと彼は足を止めた。都市の壁の、入り口とも言える扉が目前となった時、足下に、一本の花が咲いていたのだ。
何でこんなところに。
彼は手を伸ばし、それを掴んだ。
だが、次の瞬間、彼の背筋に冷たいものが走った。花の茎を掴むが、それは、嫌々とばかりに、身もだえしたのだ。
ソングスペイは慌てて手を離した。
悪寒が、じんわりと背筋から全身に広がるのを感じた。その花の回りの草までが、ざわざわと動いていた。風もないのに。
彼はぎゅ、と右の手で左の二の腕を抱え込むようにする。震えが走る。自分が震えているのが、判る。
何だこの惑星は。
彼は思わず、都市の扉の方へと走り寄っていた。
ここの植物に、彼は違和感を感じていた。
故郷のあのキンモクセイに感じる郷愁とは、まるで対極にでもあるような感覚である。あの柔らかな香り、記憶の中の暖かな楽しい日々を象徴するような、大きな木の、それ自体は小さく、暖かな色をした、香り高いそれとは。
そう、この地には、香りが無い。
これだけの草が密生していたら、たいていの場所では、草いきれとでも言うような何やら青臭い匂いが漂ってもおかしくはないのだ。なのにそのような生々しい匂いは何処にもない。ただ、やや雨が近いのか、少しばかり水の匂いが感じられる、そんな大気のものだけで、植物がある、という気配が、そこには感じられないのだ。
彼は扉に手をかけた。こうなってみると、人工の建造物が、妙に頼もしい気がしていた。
ずいぶんとさび付いた扉のように見えたが、その取っ手は難なく回った。ぎい、と音のする重い扉を開けると、そこには白々とした広場が広がっていた。何の場所だったのだろう、と彼は思った。コンクリートの通路は確かにあったが、それ以外は、玉砂利が敷き詰めてある。
それでも彼はそのコンクリートの道を進んでみる。戻るのは怖かった。とにかく怖かったのだ。進むのも怖いが、戻るのも怖い。だったら進むしかない。
だが彼は、幾つかの扉を開けた時、進んだことを後悔した。
悪寒が、再び全身を貫いた。
「遅かったな、ソングスペイ」
目の前には、長い緩い栗色の三つ編み。彼は、ぐらりと視界が揺らぐのを感じた。
それだけではない。この匂いの無い世界に、ふと漂ってきた、…覚えのある…
面倒くさそうに煙草をくゆらす、彼の上官が、そこには居たのだ。
彼は目を疑った。コルネル中佐は、その場を取り囲む白い壁に背をもたせ、煙草をくゆらせている。まるで待ちくたびれた、とでも言うように、足下には吸い殻がいくつか落ちていた。
考えられないことではなかった。何せ自分は、とりあえず組織への参入によって、軍警から追われるという可能性はあったのだから。
だが。一応こう聞いてみよう、と彼は思う。
「…中佐… 何故ここに」
「それは貴官がよく知っているだろう?」
実に不機嫌そうに中佐は答える。それ以外の答えを言うのは面倒だ、とでも言うように。
「お前が逃げ出すのは予想していたからさ。最初から。いやお前じゃなくてもいい。とにかく誰かが逃げ出すことは予想されていたから、追跡モードを付けて先回りしただけのこと」
キムまでがそう平然と言う。
ソングスペイはその二人の態度にやや自分の中の強気な部分が残っていたことを思い出す。そして彼は声を張り上げた。
「自分が、軍を裏切って、組織に荷担していたことですか? ではこれなら、中佐、あなたのお気に入りの彼にしたって同じじゃないですか!」
中佐は黙って、ちら、と変わらぬ面倒くさそうな視線をキムに一度投げ、またソングスペイに戻す。煙草の灰を落としながら、まあそうだな、と彼は平然と言った。
「ご存じでしたか?」
「ご存じでしたな」
「…だったら貴方も、同罪じゃないですか! 知っていて見逃すなど…」
ふむ、と中佐は吸っていた煙草を地面に落とすと、踵でにじり潰す。そしてポケットに腕まくりをしたままの両手を突っ込むと、ソングスペイの方へと向き直った。
「見逃してやってもいいがな」
やや意地の悪い笑いを浮かべ、だがはっきりと、中佐は言った。ソングスペイは一瞬耳を疑った。
「何… を」
「聞こえなかったのか? 見逃してやってもいい、と言ったんだがな。軍警中佐の俺としてはな」
「…嘘でしょう…」
「俺はそういうことで嘘はつかん」
そうだろうか。
そういう気もする。
だが。
彼はやや上目使いに上官を見る。
やはり信用できない。
「ただし」
ほらやっぱり来た、と彼は思う。
「こいつに勝ったらな」
そう言って、中佐はキムに向かって顎をしゃくった。
俺? と言いたげにキムはほんの少し驚いた顔を中佐に向ける。
そうだお前だよ、と彼は答えた。
「俺からしてみればな、どちらが倒れようが、裏切者の存在が報告できりゃいいんだ。生きたいなら生き残ってみろ」
キムはその言葉を聞いて、一瞬両眉を上げると、肩をすくめた。
「あんたもかなりの悪党だね」
「お前ほどじゃないがな」
そう言って中佐は、自分の腰につけていたレーザーソードをソングスペイに投げた。小さなそれは、彼の手の中に器用に納まった。
中佐は白い壁に身体を預ける。淡い影がそこに落ちる。
キムもまた、自分の腰からソードを引き抜き、親指で下のスイッチを押した。音も無く、光がそこから飛び出した。
練習試合のそれと違うのは、その光をまともに見てはいけない、ということである。
訓練用の長棒なら、それを視界に入れて、次の手、間合いを読むということができる。
だがレーザーソードの場合、瞬きもせずにそれをすれば、目がやられる。もしくは残像を残す。訓練と違い、勘がかなりの部分を支配するのだ。
中佐は黙って胸ポケットからまた一本煙草を取り出すと、火をつけた。だがその金色の瞳は、先刻と違い、やや真剣なものになっていた。
彼はまずキムが勝つだろう、と踏んでいた。
だが一抹の不安もあった。ソングスペイを追い、別の高速艇で向かう道中、先程くらいから様子が変だった。その口調、その動き、何かがいつもと違う。
確かに休息を取ってはいないというのもあるだろうが、それだけでこうも露骨に態度に出るだろうか?
中佐は目を細めて試合の様子を見据える。目にシールドをかけたので、ソードの少しの動きも彼と見逃すことがない。
ソングスペイは、…やはり実戦慣れはしていないようだった。
確かに普段若手の中でも昇進しているように、腕はそれなりなのだろう。だが、訓練と実戦は違う。目の行き場に困っているようだったし、それを助ける程の勘が足りない。
そして今度は、キムに目を移す。彼は、目の行き場に困っている様子はなかった。
中佐は自分の疑問が何であるのか、ようやく形になってきつつあった。考えるのは簡単ではある。だが、それを形にまで持っていくのはそう容易なことではない。自分といういい例もある。
キムが自分と同じような、身体がメカニクルであるという可能性は大きいのだ。
それならば、幾つかの疑問は解ける。あの戦車を背中で止めたのも、自分と互角の戦闘能力があることも、相手によって切り替え可能な「信号」を持つことも。
だがそれだけでは理由がつけられないことも、まだ幾つかあったのだ。
明らかに彼は、中佐に対して何か好意と嫉妬の入り交じった複雑な感情を持っている。まあ好意はいい。それが悪意であっても、別に構わない、と中佐は思う。それは大した問題ではない。
だが嫉妬の方は気になる。何に対して彼が自分に嫉妬しているのか、よく判らない。
盟主が自分を「銃」にしたこと、それ自体に嫉妬しているというのだろうか。
中佐からしてみれば、この立場など別に欲しければくれてやっても良いのだ。これは生きる条件のようなものだから、この条件無しでも生きていけるのなら、こんな条件は誰にくれてやってもよかった。
無論性に合っていない訳ではないのは、今では彼も知ってはいる。時々自分でも呆れるが、妙にこの仕事は自分に合っているのだ。
そしておそらくは、キムにはできないだろう、と彼は思う。
少なくとも、あのウーモヴァの妹の方をかばって戦車の前に出るような性格では、「銃」ではいられないだろう、と。
自分は、あの姉妹どちらがあの時居たとしても、見殺しにしただろう。自分の正体が知れかねず、軍警に居続けるのは難しくなる。「MM」における幹部構成員としての彼の任務は、軍警に居続けた上のもの、それも条件の一つなのだ。
レーザーソード同士の戦いには、音がない。ソードは、それ自体の手応えはあっても、音を立てる訳ではないのだ。キムはあくまで冷静に、目を細める訳でもなく、それを振り回していた。
反対に、ソングスペイのほうに、さすがに疲れが見えてきていた。顔から首筋から、汗が滴り落ちている。だがそれでも何度も何度も剣を合わせるたびに、彼にも勘が判ってきたのだろう、目を細めながらも、次第に彼の振りや突きに鋭いものが混じってきた。
キムはそれを器用にかわしている。だが中佐の目は、そのかわす速度が次第におかしくなっているのを見抜いていた。
次の瞬間、彼の口から煙草が落ちた。背中が反射的に壁から離れていた。
ソングスペイの一撃が、キムの首の横をすれすれによぎった。
突いてはいない、と中佐は見た。
それは間違いない。彼の目は正確だ。
だが、その身体は、ゆっくりと、その場に仰向けに倒れていく。
―――嫌な予感がした。
「中佐!」
ソングスペイは相手が倒れて、多少の出血、閉じた目、動かないのを見て取ると、それ以上の確認は必要はないとばかりに、レーザーソードのスイッチを切り、素早く中佐の方へと向き直った。
落ち着け、と中佐は珍しく自分に言っていた。
予想が外れた。こうなるとは思ってはいなかったのだ。いくら何でも、このただの人間にこうも簡単にやられる筈はない、と彼は思っていた。
だが。
ソングスペイは額の汗をぬぐいもせずに、はあはあと肩で息を突きながら、中佐の方へと歩いてくる。
コルネル中佐もまた、ゆっくりとその方向へとポケットに手を突っ込んだまま、歩き出す。
「お返しします。ありがとうございました」
「ああ」
中佐は左手でレーザーソードを受け取り―――
次の瞬間、それを反対に向けた。
ソングスペイは何が起きたか、すぐには判らなかった。
目に光が焼き付く。
中佐、とその口が、動く。だが声にはならない。
胸を貫いたレーザーは、彼が足の力を無くし、崩れ落ちていくにつれて、そのまま肩までの肉を焼いていく。
大きく見開かれた目は、何故、と言いたげに幾度か瞬く。
「あいにく俺は嘘は言っていないがな」
コルネル中佐はレーザーのスイッチを切りながら足下のソングスペイに言葉を投げる。
手が、ゆっくりと、すがるように伸ばされる。足を掴もうとした時、中佐は追い打ちをかけるようにまた、言葉を投げた。
「軍警中佐の俺は見逃しても、あいにく『MM』の盟主の銃としての俺は、お前を見逃す訳にはいかないんだよ」
手が止まる。
絶望に染まった瞳が最後に見たのは、自分の喉を貫くその長い爪だった。




