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プロローグ1 コルネル中佐、青空の下、新入りと出会ってしまう

 その日、惑星サルペトリエールは平和だった。

 平和というものの定義は実に様々である。だがとりあえず、戦争も貧困も餓えも存在しない状態を平和と言うのなら、明らかにその日、サルペトリエールの、軍警基地は平和そのものだった。

 良い天気だった。乾いた風が、上空に流れているのが、遠い雲の動きで判る。雲が高い。空が高く感じられる。

 抜けるような青い空は、温帯気候の地域において、季節が夏季から冬季に移り変わる、僅かな時期に与えられた特権のようなものだった。

 広いベース内のあちこちにある木々も黄色や赤に色づき、芝生と空にはさまれ、見上げる人々の目の中、晴天の空のもと、鮮やかなコントラストをなしている。

 そしてそこにもう一つ、そんな目に痛い程のコントラストをなすものがあった。


「ううん…」


 一度大きく伸びをすると、中央管理棟の司令部から出てきた男は、今度は首を回した。


「ああ面倒くせえ…」


 チェンバロのような声が漏れる。

 誰に言うでもなく、彼は言葉を口にした。むしろそれは自分に言い聞かせているようにも見えなくはない。帽子を取ると、一度二度と、頭を振る。すると髪の毛がざっと揺れた。

 青い空の下、それがもう一つの強烈なコントラストをなしていた。

 赤と緋を足したような色の髪。長いとは言えないが、短すぎるとも言えない程度の髪は、帽子から開放されたとばかりに、ざっと揺れた。

 そして彼は帽子を腰のポケットに突っ込み、袖口のボタンを外すと、慣れた手つきで一つ二つと両方の袖を折り曲げた。そこから無駄な肉の一切無い腕が、姿を現す。

 彼はちら、と空と周囲の木々を見渡すと、ややまぶしげに目を細め、腰のポケットに両手を突っ込んだ。

 秋なのだ、と彼は思った。

 コルネル中佐は、秋は好きではなかった。



 とはいえ彼が好きではないのは、秋ばかりではない。朝一番にかかってくる予定外の電話というものもまた好きではなかった。

 一応今日は休みの筈だった。

 つい先日、集中して出た作戦行動が終わったばかりで、彼にしては久しぶりの休暇を、かなり怠惰に使ってやろう、と思っていた矢先だった。まあこの場合、実際に使えるかどうかは大した問題ではない。

 ところが、そんな彼のささやかなる願いは、細かい電子音で見事に粉砕された。まあそんなもんさと思いつつ受信機を耳にすると、彼の上官の声が聞こえてきた。まあそんなもんさと肩をすくめるしか、とりあえず彼にはやる事がなかった。

 そしてその用件というのが。



 七つ目の銀杏の角を過ぎるあたりから聞こえてきたざわめきが、八つ目の楓の角を過ぎるあたりになって、急に喝采の声に変わった。拍手とかけ声。

 何だろう、と彼は思った。そして角を曲がる。

 カンカンカン、と乾いた音が、彼の耳に鋭く飛び込んでくる。それはリズムカルに、何度も何度も繰り返される。ゆっくりと近づく彼にも、それが何の音なのか、さすがに見当がついた。


 カン…


 強く長く後を引く音が響いた瞬間、長棒が空に弧を描いた。

 一瞬の静寂。

 そして次の瞬間、声が上がった。


「おぉーっっっっ!!十人だーっ!!」


 わぁぁぁ、とその声に反応したように、歓声と拍手と口笛と帽子が宙に舞った。


 十人?


 さすがに彼の眉も片方上がった。音をさせずに、兵士達の集まる方へと近づいていく。草を踏みしめる音はしているが、「平和な日」の興奮したざわめきの中、そんな微かな音に気付くような冷静な兵士はそういない。

 さほど背丈の大きくない兵士の背後に回り、左の胸ポケットからシガレットを取り出す。口にくわえたところで、彼はようやく、その騒ぎの中心に目をやった。

 彼は思わず、くわえかけた煙草を落としそうになった。

 不意に、笑顔が目に飛び込んできた。


 何だこいつは。


 明るい笑顔だった。明るすぎるくらいの笑顔だった。不気味に無邪気に見える程の笑顔が、そこにはあった。

 次に目に入ったのは、長い髪だった。緩い三つ編みにまとめた栗色の髪が腰のあたりまで伸びている。持ち主が歩き、跳ねるたびに、その髪もまた揺れる。重力の存在は無視せずに、それでも実によく揺れる。

 そしてその右手には、長棒。訓練用のそれは、木製で、およそ1メートルはあるだろうか。レーザーソードの基本距離を模したそれは、軍特有のもので、初心者にはそう簡単に扱えない。

 それを何やら、いとも簡単に、その不気味なまでの笑顔を浮かべながら、上着を脱いだその腕で、簡単にくるくると振り回している。

 どうやら、その様子で攻撃を避け、そして隙を見ては、その死角にと踏み込んでは相手の長棒を跳ね飛ばしていたらしい。

 拍手と喝采。笑顔に付け加えて、手までひらひらと愛想良く振っていた。

 そして彼は煙草に火をつけた。煙が辺りに漂う。漂うごとに、後ろから見ている彼には、兵士達の肩がぴくん、と動くのが判って、何やら実におかしい。

 おそるおそる振り向き始める兵士の中で、最初にその勇気ある一言を発したのは、一人の士官だった。


「…中佐… コルネル中佐ではありませんか!」  

「何やってるんだこりゃ? ソングスペイ少尉」


 彼は口の端を上げてにやりと笑い、ソングスペイ少尉というこの勇気ある士官に訊ねた。彼の愛用の煙草の香りは、その効き目同様、実に強い。この基地内でも彼以外に吸う強者はいないのだ。

 だがこの中佐に対して、いきなり声を掛けられるような強者もまた、そうそう一般兵士の中にはいない。

 凍り付いたような笑みが周囲の兵士の顔に一斉に貼り付く。まあいつものことだ、と彼は煙を時々吸いながら、ちらり、とその向こう側の長髪に視線を投げた。

 長髪は、気付いたのだろうか、長棒で何やら整理運動のように筋肉を伸ばすような動作をしながらも、自分を見る視線に対し、にっこりと笑いかけた。

 ふむ、と彼は片方の眉を上げた。やや光の加減でメタリックにも見える金色の瞳は、ややその色合いを強める。


「十人抜きか?」


 彼はソングスペイ少尉に訊ねる。


「あ… はい。新入りの、歓迎をこめた立ち合いです」

「新入り?」


 ああそう言えば、と彼は先ほどの上官の話を思い出す。次の作戦用の補充人員が来る、と彼は言われていた。

 だがさほど記憶していないところをみると、上役の言ったその「新入り」の経歴にはどうやら彼はそう気は惹かれなかったらしい。


「なかなかやるな」


 フィルターを噛むようにして言葉を器用にその間から吐き出す。


「…階級は?」

「花星一つです」

「貴官と同じか」


 花星は尉官の地位を現す。ちなみに彼の肩についているのは、花星ではなく、二つの黒の五芒星だった。軍の中でも、黒は軍警を示す。

 同じ黒でも、花星と呼ばれているそれは、奇妙に可愛らしい形をしている。肩と襟につく印は、星と呼ばれていても、むしろマーガレットやコスモスのような花に見える。


「もう終わり?」


 ややのんびりとした声が飛んだ。声は長髪の新入り少尉の口から発せられていた。


「終わりなのか?」


 中佐はソングスペイ少尉に訊ねた。あ、と少尉は口ごもる。その様子を見て、大方の強者は出尽くしたのだ、と中佐は判断した。

 ふうん、と彼は一息大きく煙を吸うと、次の瞬間、その煙草を足下に落とし、踵でぐい、と踏みつけた。


「いや終わりじゃねえさ」

「中佐!」


 あちこちから声が飛んだ。どけ、と小さく彼は言う。すると十戒よろしく兵士の間に道が開いた。ざくざくと草を踏んで彼は進んだ。


「なかなかやるじゃねえの」

「ありがとうございます」


 まただ、と中佐は何やら胸の中に苛立つものを感じる。襟と第一、第二ボタンまでを外すと、彼はその場に転がっている長棒を拾った。

 あ、と周囲から息を呑む声が上がった。

 拾うが早いが、中佐の手は相手の方へと上がっていた。

 そのままだったら、まともに顎に当たっているはずだった。

 だが、棒は宙をかすめた。


「あっぶないなあ…」


 暢気そうな声が、居るはずの位置から2メートルは後ろで上がった。ふん、と中佐は両手に長棒を握り直す。


「正規法で貴官が強いのはよく判った。だがあいにく実戦ではそうではないからな」

「そりゃそうですよ。俺はいつでもその気ですよ」


 相手もまたにっこりと笑うと、急な動きで前に回っていた長い髪を後ろへと直した。そして両手で長棒の真ん中あたりをぐっと持つ。中佐はそれを見てにやりと笑う。

 次の瞬間、凄まじい勢いで、二本の木棒は乾いた細かい音を立て始めた。カンカンカンカンカンカン…

 周囲の兵士達は、息を呑んでその二人の様子を眺めていた。

 今までの対戦と違い、その長棒同士がかち合う様、それを目を追うだけで精一杯、声など、ましてや歓声も何も、かけるだけの余裕はなかった。

 ただ目が、その二本の描く軌跡に吸い寄せられている。

 右に左に、上に下に、相手の前、相手の脇、足下、ありとあらゆる場所に狙いを定めた棒は突き、払い、振られるが、必ずそこには、それを迎え打つ相手の棒があった。

 カンカンカンカン、と乾いた音が絶え間無く響く。

 秋の青い空の下、空気が乾燥しているから、それは余計に澄んだ音を立てて、のどやかな景色の中で鳴り響く。

 やがてその音はそのテンポを変え始めた。

 新入りの少尉は、棒を右手だけに持ち替える。中佐もまた、左手で、棒を真ん中よりやや端よりに持ち替えた。

 右に対して左。正面切っての音はややテンポを崩す。空いた手が、今度は拳となって、その隙をつくべく進んでくる。

 ひゅう、と思わず中佐は両眉を大きく上げて、口笛を鳴らした。彼の背中に、何となしぞくぞくするような快感が走った。

 中佐は長棒を捨てた。同時に新入り少尉の手からも、長棒が離れた。

 からん、と音を立てて棒の転がる音。

 だがそれより早く、別の音が既に別のテンポを刻んでいた。

 棒同士から生まれるよりもっと早く、しかしそれよりはやや鈍く辺りに響く音。鋭く構えた拳が大気を切る音、手刀同士が当たる音、布の摩擦、また長い髪が空を切る、そんな音が響く。

 見ている兵士の中には、両の腕で自分自身を抱きしめている者も居た。足が震えている者も、長い袖の中に隠された彼らの素肌に鳥肌が立っている者も中にはいるに違いない。

 何故なら。

 実に楽しそうなのだ。戦っている二人とも。

 …どのくらい続くのだろう、と彼らは思った。そして自分達があの新入りに勝てないはずだ、と心底思った。あのコルネル中佐と互角に戦っている。それは尊敬に値してもいい。

 コルネル中佐がこのサルペトリエール軍警基地に赴任してから、三年になるが、その間に彼が軍警及びそれに追われる者に対して作り上げた「伝説」は数知れなかった。

 脱出不可能な反帝国組織の「監獄」から、誘拐された内閣の重鎮を救い出した。たった一人で前衛的な組織を内部から分裂・壊滅させた。絶対に帰還不可能な惑星からたった一人帰ってきた。

 そんな例を口に出せば、止まる所を知らない。

 まあそれに関しては、彼には彼なりの言い分があるのだが、無論それを口に出す程彼は馬鹿ではない。

 そして、その功績にも関わらず、全く出世を望まず、その「中佐」という地位が気に入っているのか何なのか、昇進の話をことごとく断り、それが命令だったらあっさりと無視し、軍紀違反と言われれば勝手に何処の辺境地にでも飛ばしてくれと言わんばかりの態度に、さすがに当局もあきれ、なおかつその「使い道」にはやはり感心せずにはいられないことから、彼は彼の居心地のいいその地位のままで居られるようである。

 ただ事件への介入と「如何なる形をもってしても」の解決のみを楽しみにしているらしい姿勢。強烈な外見と相まって、彼という存在は、下の兵士達からは、恐怖と敬愛という両面をもって迎えられていた。支えているのは、彼の強さである。

 長髪の少尉の腕と髪が、中佐の紅い髪を数本かすめた、と思われた瞬間、再び中佐は長棒を拾い…

 次の瞬間、中佐の身体が宙を舞っていた。

 長棒を軸に、高く飛び上がったのだ。

 瞬間、相手の判断は遅れた。中佐の足はまっすぐ、少尉の身体を蹴りつけていた。

 がっ、と言う音を喉から漏らし、長髪の少尉はその場に倒れた。

 勝負が合った。

 地面に下りた中佐は、手にした長棒で、地面をとん、とついた。

 その音でようやく周囲の兵士達は、我に帰ったように、はっと息を呑んだ。

 ふう、と中佐は一息大きく深呼吸をする。だがその呼吸は決して乱れてはいない。さてどうする? と言いたげに口元を上げる中佐の姿に、周囲の目は引き付けられていた。

 そして思わず、誰からもと知れず、兵士達の間から拍手が起こった。それは純粋な、敬意から出たものだった。別段そんなものを期待していた訳ではないが、中佐は何やら久々の骨のある対戦相手に、気分は良くなっていたらしい。まだ座り込んでいる対戦相手に近づくと、視線を落とした。


「手ぇ貸せ」


 尻餅をついている格好の対戦相手に向かって彼は手を差し出した。倒れ込んだ時に打ったのだろう、頬に赤い跡がついている。だが。

 呼吸を、やはり乱していない。

 にっこりと先刻以上ににこやかな笑みを浮かべて、対戦相手は、差し出された手に応える。大きな手だ、と中佐は思う。

 そしてその手が触れた瞬間。


「さすがに強いですね」


 ふ、と中佐は笑った。そしてぐっとひと思いに相手を立ち上がらせる。長い髪を掴んで、首を抱え込む。

 周囲の兵士はあ、と息を呑んだ。


 唇に、唇が、押し当てられていた。


 それはひどく長い時間に、兵士達には思われた。彼らは見ているものが信じられなかった。背筋が寒くなった。足が地面に凍り付いたかと思った…

 この秋空の下で!

 ―――どのくらい経っただろう。平然として身体を放した相手に向かい、中佐はこう言った。


「今夜俺の部屋に来い」

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