妖の学び舎にて ~前編
「本日はお日柄も良く…」
「外は晴れてますけど、間違ってます」
「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずやと申しまして…」
「あなたは何を言ってるんですか」
「あとは若い者たちに任せて私たちは退散を…」
「瑞葉さん!」
部屋の真ん中で、互いに正座で向かい合っていた春華と瑞葉であったが、いつまでもはぐらかす瑞葉の態度に、さすがに春華も限界を覚えたのだろう。右手の拳で畳を勢い良く叩くと、瑞葉の身体がビクッと震える。
「いやねえ、ほんの軽い冗談じゃないの。あんまり堅物で融通が利かないと、いろいろと困るわよ?」
「すでに困ってます。真面目に話す気、あるんですか?」
おちょくりを十分堪能したのか、これ以上からかうのも良くないと思ったのか、瑞葉は衣服を整えながらもう一度座り直して、ふぅと息を付いた。
「見て分かったかも知れないけど、私は猫又なの」
「『ねこまた』ってなんですか?」
きょとんとした眼差しの春華に対して、首を捻りながら横を向く瑞葉の顔には戸惑いの色が。
「おかしいわね。一般常識にまで記憶の影響が出てきてるのかしら」
「え、それって一般常識なんですか?」
「え、これって一般常識じゃないの?」
えーとね、と言いつつ右手の人差し指を立てて、
「山に住む猫が年を重ねて妖力を得て、妖怪になったものが猫又と呼ばれるの。
妖怪っていうのは、さすがに分かるわよね?」
「詳しくはないけど、何となくイメージは湧きます」
「吉田兼好とかいうオジさんが『徒然草』とかいう本で、「山奥にいる猫又が人を食う」とか「猫が化けて猫又になって人をさらう」とか書いてるんだけど、迷惑よねえ。たまたまそういうのがいるからって、みんながみんな、そういうものだって一方的に決めつけるのって、良くないと思うの。
それはそれとして、妖怪の中でも猫又って結構メジャーなほうよ。猫又の住んでいる山とか、猫又を祀った神社とか、日本中にいろいろあるわ」
「先ほど、千年猫又とか言ってましたけど?」
「私、千年生きてるから」
「…」
静寂の時、しばし。
「もしかして、信じてないでしょ?」
「もしかしなくても、信じられません」
「実際、本当に千年生きてるかなんて、自分でも分からないわ。昔のことなんて、かなり忘れちゃってるし。そのくらい経ってるかなって感じで。それを自他ともに認めてるってところかしら。それよりも…」
春華にそっとにじり寄る瑞葉の目は、静かに見つめ続けている。威圧感というよりも、興味津々と言った感じの、きょとんとした視線。
「な、何ですか?」
「あなた、私が妖怪と聞いても、そんなに驚いてないみたいね。どうして?」
「驚いてますよ、もう充分すぎるぐらい。でも、ああ、そういうものかなって。そういうのも、いるのねって感じです。あれ? 私の考え方、もしかして、おかしいですか?」
「大抵の場合、恐れたり、怯えたり、嫌がったりするものよ。でも、安心したわ。それなら明日からも大丈夫ね」
「はい。瑞葉さんが妖怪だからって、怖がったりしませんよ」
「ああ、そうね。それもあるけど、それだけじゃなくて」
瑞葉は両手を合わせ、軽く微笑む。
「明日からあなたの通う学校ね。先生も生徒も妖怪ばっかりだから。そこのところ、よろしく」
「今日からこの学校に転校してきた菊見春華さんです。今日からこのクラスでみなさんと一緒に勉強することになります」
「菊見春華です。よろしくお願いします」
還暦間近と思わせる老いた女性教師からの紹介と、それに応えて挨拶をする春華。そして軽くざわつく教室内。そこまでは普通の転校風景。その後が少し違った。
「彼女は人間ですが、みんな仲良くするように」
一層のざわめきと、あちこちで上がる呟きの声。批難、関心、あるいは無関心などの入り混じったそれらをたしなめる様に、布羅先生が机を激しく叩く。
「これっ、静かになさい。このクラスにも人間の子はいるでしょう。おかしな偏見を持たないように。いいですね。編入試験の得点も平均点は取れていますし、とても真面目で、妖怪に対しても偏見は見受けられませんでした。みなさんともうまくやっていけると確信してます。何よりも」
軽くこほんと咳き込んで、ゆっくりと言葉を繋げる。
「瑞葉さんが保護者です」
その瞬間、それまで騒然としていた教室は一気に静まり返り、男子生徒の一人が発した小さくもよく響く、
「命が惜しいので、静かにします」
の声に、頷きや、失笑などがかすかに起こって、その場は収まっていったのである。
「びっくりしたでしょう?」
一時限目の現代国語の授業が滞りなく済んで、廊下側の列の、一番後ろの席を宛がわれた春華の机に女子生徒が腰を下ろしてきた。薄茶色のゆるやかにウェーブのかかった短髪。背は百五十センチほどで、春華よりわずかに背は低い。
「どうせ、妖怪ばかりの学校って聞かされていたんじゃないの? それなのに」
彼女はクスリと軽く笑って、
「見た目は普通の人間と変わらないから」
春華は頷いていた。
校舎は木造で、見た目こそ古臭い印象は受けるものの、ガラス窓はしっかりと磨かれて汚れは無く、廊下もゴミ一つ落ちておらず、清潔感にあふれている。建物は、凹の字型に建てられたものが向かい合っている。北側にあり、凹の字の両端が南に向かって建っているのが高等部。逆に南側にあり、凹の両端が北に向かって建っているのが中等部である。中高一貫制度。それがここ、辰狐学園の姿である。
三階建てで、凹の字の東西に延びる部分に一組から四組までが順番に並ぶ。一年生が一階、二年生が二階、三年生が三階という構図は、中等部でも高等部でも同じである。
春華が入ったのは一年一組。
生徒たちも、その見た目は普通の人間とまるで変わることはない。制服はブレザーで、上は濃い紫色、下は薄い紫色をしているのが珍しいかも知れない。
「菊見さんは、妖怪のことはどのくらい聞かされてるのかしら」
「あ、いえ、全然。瑞葉さんが猫又だっていうことぐらいしか」
「ああ、そう。ちなみにアタシは三目灯。三つ目小僧の末裔よ。よろしく」
そう言いつつ、右手の人差し指を自らの額に当て、口の端を上げニヤリと笑う。春華は首を傾げながら、
「あ、はい。さっきも自己紹介しましたけど、菊見春華と言います。よろしく」
と、生真面目に答えるその様子に、三目灯は軽く溜息を付くと、うなだれていた。
「うわあ、悪い意味で予想外。っていうか、答え方が堅物すぎるよお。驚くのか、怯えるのか、どんな反応するのかすっごく期待してたのに。無関心とか無しだってば」
「ああ、何だかごめんなさい。三つ目小僧って言われても分からなくて。瑞葉さんに、『私は猫又なの』って言われても、全然知らなかったぐらいだから。たぶん、知らないの」
「そうよね。あー、そういえばそうだった。凶子もナッチーも、最初は妖怪のこと全然知らなかったし、人間世界では教えてないんだなあって思ってて。うん、まあ、いいわ。説明しだすと長くなるから、放課後にでも…」
そんな話の最中、教壇側の扉が勢いよく開く。それまで、教室の各所で起きていた話し声が一斉に止まり、視線がそこへと集まった。百八十センチにはやや届かないだろうか長身で、短い黒髪。目鼻立ちの整った、いわゆるイケメンタイプ。群青色の詰襟なのが、他の男子たちとは大きく違うところ。
「ジャーン、ジャーン、ジャーーン。げぇっ、土雲!
はい、そうです。私が変な土雲くんです。お入りください、ありがとう」
右手を上げながら、土雲と名乗る彼がそんな奇妙な言葉を並べると、生徒たちは何事もなかったかのようにそれぞれの会話などに戻り、教室内にざわめきが戻る。土雲はそのまま春華の傍まで近づいてきた。右手を机の、三目のお尻のすぐそばに置いて、春華に笑いかける。
「やっはー、春華ちゃん。高等部の一年の一組って聞いてさ。元気になったみたいじゃん。もう問題ナッシング?」
「ええと、誰ですか?」
「えーっ、誰とかそんな、ひどいんだピョン。知らないなんて言って、寂しくしちゃうと、ウサギさんは死んじゃうんだピョン。
…って、ああそうか。ずっと寝てたから。挨拶してないもんな。知らなくて当然だわ」
表情や言葉遣いが、ふざけたり真面目になったりと、コロコロ変わる男子の様子に、春華は唖然とするばかり。
「俺は中等部三年二組の土雲」
「バカ丸です」
「よろしくね、キラリーン…って、ちょっとアカリン、変な割り込みしないでよお。ひでえや、ひでえや」
「あんたなんかバカ丸で十分よ」
冷めた視線で三目灯から見つめられても、返す言葉ほどには気にする様子もなく、
「鷹丸君ですよー。ツッチーでも、たかピョンでも、ラブリーたっくんでも、好きに呼んでくださいマドモアゼル。
休み時間も終わりそうなので、そろそろ中等部へリターンしちゃうでピョン」
それだけ言うと、風を切って走り去っていった。茫然としたままの春華に、三目灯が顔を寄せる。
「高等部の教室にしょっちゅう来るのよね、あいつ。おかげでみんな慣れっこになっちゃったわ。おちゃらけたことばっかり言ってるけど、本当に言っちゃいけないことは言わないから、頭が悪いわけじゃないし、やるときはやるから、いざというときには結構頼りになるわよ。瑞葉さんのとこにも時々顔を出してるみたいだから、挨拶しにきたってところかしら。でもなんでわざわざ…」
「まあ、ちょっと騒がしかったよね」
「ああ、そういうことか」
「え、何が?」
「あいつなりに気を遣ったってところじゃないの? 転入生とか、最初のうちは慣れないものだし、まして人間だとそれを嫌がる妖怪もいるし。景気づけの一発と、知り合いがいるぞアピールってとこかしらね」
「そうなの?」
「さあ、ただ何も考えずに、はしゃぎに来ただけかも知れないけどね」
クスリと軽く笑う三目灯につられるように、春華も思わず微笑んでいた。
授業自体は人間世界のものと、ほぼ変わりはない。
四十五分で一時限の授業単位。四時限目を終わって、昼食の時。
「春華さん、学食行こっか? ナッチーも一緒に」
三目の誘いを受けて春華と、春華の左隣に座るナッチーが、学食へと向かう。
ナッチーと呼ばれるのは那智しとな。少し小太りで背丈は小柄、黒髪の長髪を持つ彼女は微笑みを絶やさないようなにこやかな女子で、『しとなちゃんって呼びにくいでしょうから、ナッチーって呼んで』との言葉で、みんなからナッチーと呼びかけられているようだ。
高等部校舎の一階東端の、コの字の先端に食堂がある。その部屋は、向かいの中等部校舎と繋がっている場所で、それだけに中等部と高等部の生徒たちが入り混じり、数百人はいるだろう。食事の出されるカウンターだけで十か所もある。生徒たちが次々に並んでは、居並ぶテーブルに食事を運び、早い者はすでに食事を終えて立ち去っていく。
「チケットはこれで買うわけ」
そう言いながら、三目灯は小型の情報端末機を取り出す。GUIタイプのタッチパッド形式で、いわゆる次世代型携帯端末機と外観に差はない。
「先生から話は聞いてるよね。生徒専用の端末機『KOKURI』。出席状況や授業の情報、連絡先なども登録されていて、学校と生徒間限定で電話や文章の通信も可能。プリペイド機能もあるから、校舎での買い物もこれで済ますことができるの。学食のチケットもこれで買えるから」
そのまま列に並びながら、端末機を取り出して画面を出すように言う。
「学食の画面あるでしょ。そこにメニューがあるから注文のボタンを押せばいいの。これで支払いと同時に厨房にも注文が入ってるから、後は受け取りカウンターのオバチャンのとこで端末機を差し出せば、すぐに食事が出てくるってわけ。何月何日に何を注文したかも記録されてるから、栄養管理も出来るの。ただ、学食の画面は食堂に入らないと機能しないのが不便よね。教室にいる間に注文できたほうが早いと思うんだけど、文句言っても仕方ないわね」
三者それぞれに注文を終えて、端末機をブレザーのポケットへしまう。
「ネットも見れるし、これのパッドタイプを使った通信型授業をしようって話もあったみたいだけど、反対意見が多くて難航してるみたい。実際、ネットの接続先も限定されてるし、授業中は電話も使えなくしてる。外への持ち出しも禁止。制限だらけだから、学校にいる間だけは便利な代物ってところかしら。実際、先生との通信だけはこれを使ってるけど、それ以外は自分ので済ましてるって子も多いわよ」
足を止める暇もほとんどないままに列は消化され、受け取った食事とともにテーブルに付く。辺りを見回せば、先ほどの土雲鷹丸と同じく詰襟の中等部男子や、水色のセーラー服を来た中等部女子たちもいて、高等部と中等部の生徒たちが入り混じって歓談しているテーブルも所々で見受けられる。
昼食の時も終え、午後の授業も滞りなく終えて、一日はあっという間に過ぎようとしていた。