6.帰りし勇者と王国の危機 (前編)
山々の緑が陽光に映え、鮮やかに輝いて見える。ここ山腹にある砦にも、その生命力溢れる薫風が漂ってきていた。
そんな砦内の広場では、アポロの前に皆が整列して一斉に剣を振り下ろしている。
「せぃ! せぃ! そりゃ!」
「よし、次は前進しながら左右の切り返し! 後退しながらの左右の切り返し!」
アポロの号令のもと、皆が左右に剣を振り下ろす。ケインもアンナや女性達も、汗を流して体を動かしていた。子供達四人も近くで、真似して木の棒を振り回している。
アポロが誓いを立ててから、半月ほど経つが何かが劇的に変わるはずもなく、たかだか二十人ほどでは何も出来ない。
取り敢えず今は、アポロが皆を鍛え上げていた。
熱心に訓練に励むケインの後ろには三人の元山賊の男達が従い、同じように剣を振って修練に励んでいる。
彼ら三人は一からやり直すため以前の名を捨て、新に名前を名付けてくれとアポロに願い出た。最初は難色を示したアポロであったが、彼らの懇願に負け渋々ながら名付けた。
一番がっしりしている壮年の男にグリアス、三人の中では一番目端の利きそうな細身の青年にビーン、寡黙で言葉少なな小柄な男にブリントと名付けた。三人の男は大層喜び、今はケインやマリーの世話を一生懸命行っている。
ケインやマリーも最初はかなり嫌がっていたが、今は三人に随分と馴れたようだった。
「よし止め! 次はそうだな……ケイン、前に」
「あっ、はい」
皆が真剣な顔で注目する中、ケインがアポロの前に出てくる。
「それでは、剣を構えてみろ」
ケインが頷くと、アポロに向かって中段に構える。それを、アポロがじろりと眺める。
「剣先は相手の目に向け構えるように。それと、肩から力を抜け。力が入り過ぎると、逆に動きが鈍くなるぞ」
アポロが剣先の向きや高さなど、ケインの構えに手直しを加えていく。
「ふむ、こんなものかな。中段の構えは剣の基本であり、最強の構えと言われる。何故か分かるか」
皆が首を振ると、アポロがケインの前で剣を抜き中段に構える。
「ケイン、斬りかかって来てみろ」
その言葉にケインが動こうとするが、目の前にあるアポロの剣が圧力となり迫り、額に汗を浮かべて動けなくなる。
「どうだ、この剣が気になるだろう。中段に構えた剣があると、相手は容易には斬り込めなくなる。本身の刃を見ると、人は自然と死を意識してしまい、体を固くしてしまう。だから、斬り込むにはまずその剣を払うなりしなければ踏み込めぬものだ。そうなると、相手より一動作遅れることになり、逆に斬り込まれる。中段に構えるのは、防御には最も適している構えともいえる。だが、それだけではない。そのまま、一歩前に踏み出せば、一動作で相手に突き入れることが出来る。まさに攻防一体の構えなのだ」
皆が真剣な顔で感心したように頷いている。
「それでは二人一組、打太刀と仕太刀に別れての形稽古だ。怪我をしないように最初はゆっくりでいいぞ」
アポロは皆に真剣での稽古を課していた。今の情勢ではゆっくりと剣を教える事も出来ず、先ずは皆に剣を慣らさせる事にしたのだ。それに、アポロ自身の剣技も、実戦の中で培ったものでもあったからだ。
「ケイン、お前は俺とだ」
アポロが構えを解き、剣をだらりと体の横に下げる。そこに、ケインが「たぁ!」とかけ声と共に剣で打ち込む。それをアポロが、下から掬い上げるように打ち払うと、ケインの手から剣が離れ頭上へと飛んでいく。
「まだまだ力が入りすぎだぞ。もっと柔らかく、手首や体全体で衝撃を逃がせ」
アポロが、くるくると回りながら落ちてくる剣を、顔をしかめて左手で受け止める。
悔しそうに顔を歪めたケインが、「はい!」と元気よく返事してその剣を受け取った。
「もう一度だ。続けてどんどんこい!」
言われる通り、ケインが次々に剣を振るう。掛け声と共に、上段から振り下ろし下段から振り上げ横に薙ぐ。
そのことごとくを、アポロが弾き返す。その度に手首が痺れるのか、ケインが顔を歪めている。
「まだまだ! 姿勢は正しく、もっと速く! もっと力強く!」
アポロが剣を弾くと共に、ケインに体当たりをする。ケインが吹っ飛ばされ、地面に転がっていく。
「ほらっ、守りが疎かになってるぞ」
ケインが唇を噛み締め立ち上がると、またアポロに斬りかかっていく。
その周りでも、皆が「やぁ、とぅ」と元気な掛け声で訓練に励んでいた。
そんな訓練の最中、誰かの呼び掛ける声が聞こえてきた。
「アポロさーん!」
その声にアポロが振り返ると、砦入口の門で辺りを警戒していたはずのカーラが、此方に向かって走って来るのが見えた。
カーラは砦に残った女性達の中では、一番年嵩の二十九歳の女性で、四人の子供達のうち二人の女の子の母親でもあった。そのカーラがふくよかな体を揺すらせ駆け寄って来るのを、皆が訓練の手を止め注視していた。
「どうした、何かあったか」
アポロが不審気な視線を向けると、カーラが息を弾ませ答える。
「あっ、はい。見知らぬ人が……」
どうやら誰かが、この砦を訪ねて来たようだった。
◆
深い堀を穿ち、幾重にも重なる石壁が階段状に連なる。その重厚な城壁には、数年前の神魔大戦の時に出来た傷跡が、まだ生々しくも残っていた。
中央に王城を抱えるその都市は、大陸でも古い歴史を誇るエストラル王国の王都。そして、その外壁にある正門前は騒然としていた。
近隣の村落から王都に逃げ込む者、或いは他国へと脱出するために、王都から去ろうとする者などで連日の騒ぎになっていたのだ。
その人々や周囲を警備する兵達は一様に、その表情に暗い影を落とし、重苦しい雰囲気が漂っている。
その騒ぎの最中、数十台の馬車が連なってやって来ると正門前で止まった。その馬車群を取り囲むように、兵士達が集まってくる。
「おい、お前達はなんだ! どこからきた!」
「これはこれは御苦労様です」
先頭の馬車から小太りの男が体を揺すらせ降りると、にこにこと表情を緩め、部隊長らしき男に頭を下げた。
「私は行商人のマーカスと申します。お喜び下さい、この度はホルス卿の要請で、物資を大量に持ってきましたぞ」
マーカスと名乗る男がにこやかに笑って、懐から書類を取り出し手渡した。
「ふむ、確かに内務次官ホルス様の判が押されているが……あの者達は?」
隊長らしき男が馬車に付き添う、柄の悪そうな男達を眺めて顔をしかめた。
「彼らは護衛の方々ですよ。最近は物騒ですからねぇ。それよりも、今回はアルコールの類いもかなり……ふふ、今夜あたり頑張ってる皆さんに、振る舞い酒があるかもしれませんな」
その言葉に周りにいた兵士達が、顔を見合わせ表情を綻ばせる。
それを苦々しげな面持ちで眺めていた隊長が、商人と柄の悪い護衛達を見詰めため息を吐き出す。
「よし良いだろう。だが、くれぐれも中で騒ぎは起こすなよ」
「はい、それは勿論でございます」
にこにことした笑いを貼り付かせたまま、商人が馬車に乗り込むと馬車の列は門内へと動き出した。
それを部隊長が、首を振りつつ眺めていた。
門内へと進んだ馬車の隊列は、通りを進むに連れ、数台づつに別れてあちらこちらに散っていく。それは、予め決められていた動きのようであった。
そして残り数台となった馬車が、王城近くの大邸宅の門内に入っていく。
先頭の馬車が屋敷前で止まると、待ちかねたように屋敷から男が走り出てくる。その豊かな口髭を生やした壮年の男が、馬車から降りた男に焦りの色を滲ませた声で話し掛けた。
「マーカス、本当に大丈夫なのか」
「ホルス卿、ここでは……」
「しかし……」
「大丈夫ですよ。今回は私も支店の金をかなり流用しましたからな」
ホルス卿と呼ばれた男が不安そうな顔を見せていると、馬車の荷台からぞろぞろと完全武装の男達が降りてきた。
その男達は使い込まれた鎧に身を包み、歴戦の強者を思わせる風情をみせる
「あ、あの者達は……」
「腕利きの傭兵達ですよ。私も最早後戻りは出来ません。今度の作戦は何としても成功させるつもりですよ」
ホルス卿が頬をひきつらせてゴクリと喉を鳴らした。
「さあ、早く中へ。人目につきますからね。今回の作戦が成功すればあなたも、ふふふ」
「う、うむ。そ、そうだな」
体を揺すって笑うマーカスと、ぎこちない動きのホルス卿が屋敷の中へと入る。傭兵達も油断なく周りを窺いながら屋敷内に消えると、辺りは静かになった。
それはこれから王都内で起こる騒乱が、嘘でもあるかのような静寂だった。