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閑話 商人マーカスの憂鬱


 ひとりの男が、まるで祭りのような大騒ぎの大通りを、小太りの体を揺すってせかせかと歩いている。


「そこの人どうだい。良い出物があるよ。こいつはドワーフの所から……」


「うるさい! 話し掛けるな! おいお前ら邪魔だ! 退け!」


 眉間に皺を寄せた男が、物売りの投げ掛ける声も邪険に振り払い、込み合う通りを人を押し退け急ぎ足で歩く。その姿は道行く人々を驚かせていた。

 男の名はマーカス。

 アポロ達と争っていた山賊達と、帝国の指示の元、取り引きを行っていたあの商人だった。


 そしてここは帝国内でも、エストラル王国との国境にもっとも近い位置にある都市ペリント。

 本来は何の特色もない都市であり、帝国内でもさほど重要視されていなかった都市だった。だが、最近はにわかに衆目を浴びると、戦時好景気で街を上げて沸いていた。

 それもそのはず、この都市はエストラル戦に於いて最前線の重要拠点となり、ここには対エストラル方面軍の司令部が置かれていたからだ。そのため、人が溢れ物が飛ぶように売れていたのだった。


 賑やかな大通りを抜けた先の中心部に、一際大きな建物がある。本来はこの都市および、近隣の村を監督する政庁の置かれた建物であったが、今はエストラル方面軍の司令部にも流用されていた。

 その門衛が急ぎ足でやってくるマーカスに気付くと、すでに顔見知りなのか軽く頭を下げる。しかし、マーカスは血走った目を向けるだけで、そのまま無言で通り過ぎた。

 マーカスはその建物の扉前まで歩いてくると、ようやくその足を止める。そして呼吸を整え乱れた髪を撫で付け、その表情をニコニコとした笑顔に変える。更にそこで、もう一度深呼吸をすると、やっと扉の取っ手に手を掛けた。

 しかし、ふと気付いたように後ろを振り返る。そこには顔をひきつらせたマーカスの従者が付き従っていた。


「ふむ、お前はここで待って……いや、商工ギルドに顔を出してこい。それで今、我らの会頭が何処に居られるのか聞いて来てくれ。早急に連絡を取られねばならぬ」


 その従者が「はい」と返事をして門外に走り去るの確認すると、やっと扉を開けその小太りの体を建物内へと滑り込ませた。


   ◆


 周囲が華美な装飾で飾られた会議室。その正面の壁にある、青地の布に金と銀の剣をクロスさせた刺繍が成された、大きな帝国旗が人目を引く。

 会議室の中央には、これもまた大きなテーブルが据えられ、周囲を数人の男達が囲んでいた。そのテーブル上には地図が乗せられ、青と赤の様々な駒が置かれていた。


「昨日、連絡が届いた所によりますと、カール上将軍率いる東部方面軍は、東部諸王国連合の軍をハズダット平原にて撃破。現在は、城塞都市スクハを攻囲中とか」


 金髪の端正な顔をした若い男がそう言うと、地図の右上にある赤い駒を取り去り、青い駒を前に進める。

 周りの男達が「おぉ」と感嘆の声をあげた。

 しかし、正面の国旗下にいた壮年の男だけが、苦々しい顔を浮かべる。


「ふんっ、カールなどいくさのなんたるかも知らぬ男。余程、良い参謀にでも恵まれたのだろう」


 壮年の男の言葉に、感嘆の声を上げていた男達は顔を強張らせて頷く。


「それで我が軍は、エストラルとはどうなっておるのだ」


「はっ、現在国境付近でミラン将軍率いる八千の兵がエストラル軍五千と、対陣して睨み合っております」


「ちっ、たかが掻き集めても五千しか集められぬ小国の分際で……さっさと降伏すればよいものを」


 壮年の男が更に顔をしかめたが、何かを思い付いたように口を開く。


「もういっその事、全軍で押し出せばどうだ。わしが陛下からお預かりした兵は五万。五千の兵など直ぐにすりつぶせる」


 その壮年の男の言葉に、金髪の若い男が少し眉を潜めて答える。


「ですが、ゲルハルト閣下、エストラル軍は塹壕深く穿ち陣を構え、徹底抗戦の構えです。力攻めすれば我が軍の被害は甚大であります。我らの本来の目的はエストラルなどといった小国ではありません。エストラルの向こう側、ウル平原に蟠踞ばんきょせしセントール達、ウル部族連合。ここでいたずらに兵を消耗させる訳には参りません。出来れば、そのエストラル軍五千も、我が軍に取り込みたいと」


「むむっ、そのような事分かっておるわぁ。だがな、ビクトールよ……カールのやつが……」


 ゲルハルト閣下と呼ばれた壮年の男は、先ほどの東部戦線での勝利の報告が余程悔しいのか、顔を歪ませている。


「しかし閣下、セントール達を支配下におく事が出来れば、勲功第一等は閣下になるのは誰の目から見ても明らか。今少しのご辛抱かと。それにドワーフ達に発注した対セントール用の新式の戦闘馬車も、もうそろそろ完成の目処めどがたつ頃。それを待ってからでも遅くないかと思われます」


 ビクトールと呼ばれた金髪の若い男が、涼しげに答えた。


「おぉ、ミスリルをふんだんに使った特殊車輛だな。いつできる。おい、書記長」


 ゲルハルトの呼び掛けに、少し離れた所に立っていた初老の男が軽く頭を下げる。


「その件ですが、只今思ったより重量がかさみ、車軸や馬を連結する部所に難航していると報告を受けております。それに馬車を引くのも馬では無理なのではないかと、何やら課題がやまずみなようで、後暫くは掛かるよしにございます」


「なんじゃ、まだなのか……ビクトール、お前もまだまだ甘いのぉ」


 ビクトールが目を伏せ、申し訳なさそうに頭をさげる。


「ここは、やはり力押しで攻める方が良いのではないか」


 ゲルハルトが呟くように言うと、今度は黒髪の暗い雰囲気の男が前に進み出る。


「閣下、よろしいでしょうか」


「んっ、ヘイズか。なんだ何か意見があるのか」


 ゲルハルトがビクトールに向けていた眼差しと違って、少し剣のある視線をそのヘイズと呼んだ男に向ける。


「わたくしめが以前より推し進める策が、もうそろそろ効果を発揮する頃かと思われます」


「あぁ、山賊や盗賊どもを使って後方で撹乱するといっていたな」


「はい、さようで。現在は四つの集団が我が帝国に協力して、今頃はそれなりの村がこちらになびいているかと。その者達を使って、エストラル王都で騒乱を起こさせればいかがでしょうか」


「ふむっ……」


 ゲルハルトが何か考えるように目を閉じると、金髪の男ビクトールが口をはさむ。


「閣下、我が神聖なるローマン帝国軍が、賊の協力を得るなど恥ずべき行為。しかも、ヘイズは帝国軍の鑑札だといって勝手に賊達に授けている様子。栄えある帝国軍に賊軍を迎えるなどもってのほかであります」


 ビクトールが眉を寄せ、ヘイズを睨み付ける。だが、ヘイズはビクトールに向き合うと鼻で笑って答える。


「ふんっ、鑑札など帝国の印も押されていない紙屑も同然のもの。それにやつらは役目が終ればまとめて処分するだけだ。お前のような坊っちゃん育ちには、このような策思い付きも出来ないだろうな」


「なにっ!」


 激昂したビクトールが腰の剣に手を掛けると、会議室の中が騒然となる。


「馬鹿者! 軍議中だぞ、静かにせんか!」


 ゲルハルトが一喝するが、それでもビクトールとヘイズは睨み合っていた。


 そんな時、扉をノックする音が会議室に響き渡る。


「なんだ、今は軍議中だぞ。何のようだ!」


 その問い掛けに衛兵が入ってくると、頭を下げ答える。


「ただいま、ゼニヤ商会のマーカス様がお越しになり、至急の面会を希望なされていますが、いかが致しましょうか」


「……ふむ、マーカスか……よし良いだろう。ここに通せ」


 ゲルハルトが一瞬考える素振りを見せたが、ひとつ頷いて答えた。


 暫くして、腰を低くしたマーカスが、満面の笑みを顔に張り付かせて、会議室の中に入ってきた。


「これは皆様、ご苦労様でございます」


「何用だ、今は軍義中。急ぎの用なのであろうな」


 皆にペコペコと頭を下げているマーカスに、ゲルハルトがきつめの声音で話し掛けた。


「はぁ、出来ればお人払いを」


「馬鹿者! 今は軍議中だ。それにこの者達はわしが頼みとする股肱の参謀達、皆に聞かれて困るような事はお前とは何もないはず。良いから話せ」


「ですが……分かりました。……が現れました」


 それでもマーカスは、声を落として低い声で囁く。


「はっ、何が? はっきりと申せ。よく聞こえんぞ」


 ゲルハルトが顔をしかめるのを見て、意を決したように声をだす。


「ひ、光の勇者でございます」


「はぁ」


 ゲルハルトも会議室にいた者達も、皆が一瞬何を言ってるのか分からんとばかりに、ぽかーんと呆ける。その後直ぐに、会議室は失笑の声で満ちた。


「お前は何を言ってるのか分かっておるのか。少し働き過ぎなのではないか」


 ゲルハルトも苦笑混じりに答えた。


「しかし、あの者は本物に間違いありません。かねてより、もし本物の光の勇者アポロ殿を見掛けた折りは、神殿と皇帝陛下のお知らせする事になっております」


「馬鹿を申せ。あやふやな話を陛下にお知らせすれば、こちらの首が飛ぶことになるわい。だいたい今の世の中、光の勇者を名乗る者は星の数ほどおるわ。確か、この軍の中にもひとりおったのではないか」


 ゲルハルトの言葉に、ビクトールが前に進み出て答える。


「はっ、我が軍にもひとりおります。もっともこちらは光神教から差し回された方で、光の勇者アポロ殿の後継者という触れ込みであります」


「あの大戦から五年、いや六年になる。その通達は昔の物。今更であろう。その者も大方、光の勇者を名乗る偽者であろうな」


「しかしあの者は……」


 マーカスはあの夜の事を、分かる範囲で事細かく伝える。ひとりで山賊の砦に乗り込み、捕まっていた者達の協力は得たといっても、半数近くの賊を葬り、最後には雷すら呼び寄せた事などを話した。


「ふむっ、どう思うビクトール」


「はっ、所詮は訓練も受けていない賊です。それなりの訓練を受けた者が不意をつけば可能かと。それに落雷はそれほど珍しくもなく、悪天候下での戦場ではままある事だと思われます。それに光の勇者アポロ殿は白銀の頭髪が有名です。その男の風貌とは合わぬかと」


「というわけだ。マーカス、納得できたか」


「しかし六年近く行方不明だったのです。身分を隠して隠遁していたのでは。あの灰色の髪も、そのために染めていたのではないですか」


 尚も食い下がるマーカスに、ビクトールか更に言葉を掛ける。


「それこそ本末転倒。その者はアポロと名乗ったのであろう。ならば、灰色に染める必要もない。お前の言ってる事は逆なのだ。その偽勇者は、少しでも本物に似せるため、灰色に髪を染めているのだろう」


「しかしあの者は確かに……」


 更に言い募ろうとするマーカスを、ゲルハルトが一喝する。


「もうよい下がれ! つまらん話で軍議を邪魔しおって、お前の商会からは追加で物資の援助をしてもらうからな」


 そしてマーカスは会議室から衛兵によって、外に連れ出された。

 扉が閉まると、会議室の中からは嘲笑する声が漏れ聞こえてくる。

 それを聞いたマーカスが、唇を噛み締めた。


   ◆


 建物の外、扉の前でマーカスが、ぼぉと空を見上げている。使いに出した従者を待っていたのだ。そんなマーカスの背後の扉が開き、暗い風貌の男ヘイズがマーカスに声を掛けた。


「ここにおったのか……さっきのあの話、あれは本当の事なのか」


「分かりませんな。今となっては……」


 マーカスは空を見上げたまま答える。

 その横に並んだヘイズが、同じく空を見上げる。


「俺はえらくゲルハルト閣下に叱責されたぞ。賊などあてにならんと言われた」


 そこで初めてマーカスが、ヘイズに視線を向ける。


「俺は所詮、戦奴あがり。本部内での風当たりは強い。何としても今度の作戦を成功させねばならぬ」


「それは、わたくしめもございます。商会内での地位を築くため、あなたに賭けてるのですよ」


「そうか……」


 暫く二人で空を見上げていたが、ヘイズがふっと微笑みを浮かべマーカスの肩を叩くと、建物の中へと消える。

 そして扉が閉まる寸前に、「頼むぞ」と一声掛けた。マーカスが振り向くが、すでに扉は閉まっていた。


 しばらく、その扉を見詰めていたマーカスは、さっきまでの気の抜けた表情から精力的な表情に変える。そして従者を待ってられるかと、商会ギルドに向かって走り出した。



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