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5.帰りし勇者は新たな一歩を世界に示す。


 緑豊かな山並みに暖かな陽光が降り注ぎ、爽やかな風が吹き抜けていく。この世界に不満が満ち溢れ、争いが絶えないとは信じられないほど、長閑のどかな昼下り。山の中にある、最近まで山賊達の砦だった場所にも暖かな陽光は降り注ぎ、平穏な雰囲気を醸し出していた。


 その山腹にある砦近くで、二つの人影が茂みにその身を隠している。彼らが見詰める先には、滝壺近くにいる獣の姿があった。


 滝が水飛沫を上げて落下する場所は、ちょっとした淵になっている。その岸辺で、子牛ほどの大きさをした茶色い毛並みの獣が、のんびりと水を飲んでいた。

 その獣が何かに気付いたのか、顔を上げてひしゃげた鼻を「ゴフゴフ」と鳴らす。

 その時、茂みから二本のボルトが続けて飛来した。一本目はは獣の背中を掠め、滝壺に飛び込む。だが、二本目が獣の首もとに、ぐさりと突き刺さり、反対側に先端部が飛び出した。

 獣はよろよろと足踏みした後、その場にどさりと倒れた。


「やったー!」


 茂みから喜びの声を上げて、その手にクロスボウを持った少年が飛び出す。


「待て! 慌てるなケイン。手負いのモルボアは危険だぞ」


 少年を追い掛けるように、もうひとつの人影、男性も飛び出した。

 後から飛び出した男性の懸念けねんした通り、倒れていた獣がよろけながらも立ち上がり、「プギィ」と興奮した鳴き声を上げた。そして吃驚して立ち竦む、少年に向かって走りだした。

 しかし、後から飛び出した男性がその少年の横を駆け抜け、獣と擦れ違い様に手に持つ剣を突き刺す。すると、その獣は断末魔の声を上げて、今度こそ本当に事切れ倒れた。


「ごめん、アポロさん……」


 少年がしょんぼりと肩を落として俯く。


「戦士に焦りと油断は禁物。いつ如何なる時も冷静沈着にだ。分かったな」


「……はい……」


 肩を落としたまま、か細い声で返事する少年に、男性が厳しい表情を見せて眉を寄せる。


「顔を上げろ! それと返事ははっきり正確に!」


「はい!」


 少年が慌てて姿勢を正して、大きな声で返事をする。


「過ちはだれにでもある。それを次に生かせるかどうかが問題なのだ。それに、もっと自分に自信を持ち、堂々としていろ。それによって人に与える印象は変わるのだからな」


「はい!」


 その返事に満足したのか、男性がその表情を緩めて少年の頭に手を乗せると、髪をくしゃくしゃと撫でる。


「今日は旨いボア鍋が食べれそうだ。となるとまずは、このモルボアの血抜きをしないとな」


 少年が嬉しそうに頷くと、倒れる獣に駆け寄った。


 二つの人影はアポロとケインであった。この日は砦近くで狩りを行っていたのだ。

 あの明け方近くに山賊達と戦った日から、一週間が過ぎていた。



 結局、ケインやアンナを含めた女性達も、そのままこの砦に居着いている。それは最早帰る家や、それどころか、帰る村すら山賊達によって無くしていたからだ。そのため、取り敢えず暫くは、この砦にいる事にした。山賊達が戻ってこないか心配ではあるが、やはり雨露を凌げるのは重要であり、ここには豊富な食糧が残されていたからであった。

 この砦には穀物など食糧もそうだが、武器防具の類いも多数残され、牛馬の家畜も数頭いる。それに周りの山々には、狩りの対象となる鳥獣も数多い上に、山菜や果実など豊富に実っていた。

 この砦は意外と住みやすい場所でもあったのだ。


 そして大量に残されていた物資は、殆どが帝国から援助された物であった。

 ローマン帝国は世界統一を旗印に、多方面に軍を展開していた。本来この辺りの地を治めるエストラル王国も、帝国との国境近くに軍を派遣して帝国と睨みあっている。

 そこで帝国は、王国内の賊達を手懐け糾合すると、帝国の鑑札を授け王国内を撹乱させていた。

 主に農村部を襲わせ、帝国に従うなら良し、従わぬなら村ごと滅ぼしていたのだ。

 硬軟合わせた帝国の揺さぶりに、王国は農村部に軍を派遣する余裕もなく野放しになっている。

 そのエストラル王国とは、各地に代官を派遣する王家を中心とした、中央集権といえば聞こえは良いが、実際は臣下に与えるほどの領地もなく、都市と呼べるのも王都以外にない小さな国であった。それ故、国境付近で帝国軍と対峙するのが精一杯であり、国の根幹を為す物だとは分かりつつも、農村部は見捨てられ無法地帯と化していた。

 どこから見てもエストラル王国が瓦解するのは最早明らかであり、苦渋の選択をするのも時間の問題だと思われていた。


 それらの話を、アンナや女性達から聞き及んだアポロは眉を潜める。特にアンナは、村長の娘というだっけあって王国の政情にも明るく、詳しく話したあと何処か期待するような眼差しで、アポロを見詰めていたのだった。




 アポロ達はモルボアの血抜きを行った後、今日の狩りはこれまでと砦に引き上げることにした。

 そしてアポロがモルボアを担ぎながら砦入口まで戻って来ると、どうも妙な雰囲気が漂っていた。


「おーい、門を開けてくれ」


 アポロ達が幾ら声を掛けても、開く気配がないのだ。


「アポロさん……」


「……」


 ケインが不安そうな顔をアポロに向ける。二人が不審に思い始めた頃、ようやく門が開き始めた。


「ごめんごめん、帰って来たのに気付かなかったわ」


 アンナがすまなそうな顔をして、門を開けてくれた。


「それにしても、えらく帰ってくるのが早かったわね」


「今日は早々に、良い獲物に出会えたからな」


 アポロが憮然とした表情で背中に背負ったモルボアを見せると、アンナは大きく目を見開き「ヒュー」と、口笛を鳴らす。


「少し用心が足りないのではないか。まだあれから幾日も経っていない。いつ山賊達が戻ってくるかも知れないというのに」


 アポロが不機嫌そうに、きつい視線を投げ掛ける。と、アンナは両の手のひらを顔の前で合わせて、舌をぺろっと出し「ごめんごめん」と謝った。


「何かあったのか」


 更に不機嫌になったアポロが、無愛想な口調で問う。


「それがさぁ……変な男達がやってきたのよ」


「んっ、まさか山賊共か!」


 アポロの言葉にケインが険しい表情を浮かべて、手に持つクロスボウを構えようとする。


「あっ、ちょっと待って。それほど危険じゃないから。そのひと達は確かに、ここにいた山賊には間違いないのだけど……取り敢えず、そのひと達のところに案内するから、歩きながら話すわ」


 どこか歯切れの悪いアンナに促されて、アポロ達は何処か釈然としない表情で歩き出す。

 アンナが道々話したのはこういう事だった。

 この砦に戻ってきたのは三人の男達であり、元々は帝国領内に住んでいたということだった。

 帝国の支配を嫌い、この国に流れてきたのだが、食べるのに困り嫌々ながらも、この山賊団に最近加わったらしかった。加わった後にこの山賊団は帝国の走狗だと気付いたが、もう後の祭り、逃げることも出来ずにいたらしかった。

 そこまで話したところでアポロ達は、あの焼け落ちた小屋の前の広場へと辿り着いた。

 ケインはその話の間中、始終無言のまま微妙な表情を浮かべていた。


 広場の真ん中までやってきたアポロが、背負ってたモルボアを地面に下ろすと、近くで遊んでいた子供達が「わぁ」と歓声を上げて走り寄ってくる。

 その四人の女の子達の中には、ケインの妹のマリーも含まれている。そしてマリーの肩の上には、今まで一緒に遊んでいたのか、鳴きネズミのピーが乗っていた。そのピーはアポロを見付けると、嬉しそうに「ピーピー」鳴きながら、アポロのコートの中に飛び込んだ。

 それを見たマリーが少し頬を膨らませつつも、兄のケインににっこり微笑んだ後、他の子供達と一緒に恐る恐るモルボアをつついて遊んでいる。

 深く心に傷を負ったはずのマリーが見せるその無邪気な様子に、例え表面上の事であろうと、アポロはほっと胸を撫で下ろしていた。


 焼け落ちた小屋の前に集まっていた女性達も、アポロ達の周りに集まると、モルボアを見て歓声を上げている。

 そしてアポロが視線をふと上げると、その焼け落ちた小屋の前に、三人の朴訥ぼくとつそうな男が呆けた表情で立っていた。

 その三人の男達は、アポロの視線に気付くと、慌てたように走ってくる。そしてアポロの前まで来ると、額を地面に擦り付け土下座した。


「お前達が、ここにいたという山賊だな。逃げたのではなかったのか。どういう風の吹き回しだ」


 アポロが眉を寄せじろりと眺める。三人の男達は体を震わせ、額を地面に擦り付けたまま話し出した。


「あなた様は光の勇者様です」

「おら達はまだ、ここに来たばかりで悪事を働いていません」

「どうかおら達をお救いください。このままでは光神アマラ様の天罰を受けてしまいます」


 アポロがアンナに顔を向けるが、アンナは両手を広げて肩をすくめる。

 すると、女性達の中からひとり前に出ると、男達を指差し話し出した。


「私は知ってるわよ。確かに、この人達は最近ここに来たばかりで、砦の雑用ばかりをやらされてたわ」


 他の女性達も「そうそう」と頷く。


 この三人の男達は、元々信心深い素朴な農夫だった。そのため、先日の落雷に吃驚仰天して逃げ出したものの、このままでは光神アマラの天罰が自分達にも落ちると思い、許しを乞うため砦に戻って来たのだ。そして今、アポロの前で土下座していたのだった。


「それで俺にどうしろと」


「出来ればお側近くでお仕えしたいのです」

 三人が額を地面に擦り付け、体を震わせお願いする。


「おいおい、ここにいるケインやアンナ達は、家族をここの山賊達に殺された。お前らは仮にもその山賊の仲間に一度は入ったのだぞ。随分と身勝手な話だな」


 アポロは呆れたようにため息を吐き出し、アンナ達に顔を向ける。


「そのひと達は、元山賊といってもまだ悪事を働く前だったし、この砦にいた男達の中でも、どちらかといえば、私達を庇う素振りを見せてたしね……それにもう、血腥ちなまぐさいのはこりごりだわ」


 アンナが男達を許すかのように首を振ると、残りの女性達も肯定して頷いた。あの惨劇の時は女性達も、復讐という熱意に突き動かされいたが、元はどこにでもいるような農村の娘達。熱が冷めた今は、直接自分達に危害を加えた訳でもない男達を、どうこうしようという気はもう失せていたのだ。


 アポロが今度は、ケインに顔を向ける。


「ケイン、お前はどうだ」


「……」


 しかしケインは無言のまま、顔を歪めて苦悶の表情を浮かべる。

 それは、少年らしい潔癖さで仮とはいえ、一度は悪の道に落ちた男達を、許せないという気持ちが強く沸き上がってきていたからだった。


「……アポロさん……アポロさんはどう思って……」


 ケインが絞り出すようにアポロに問い掛ける。


「俺か」


 そこでアポロは天を仰ぎ、その灰色に染まった髪を弄ると、またケインに顔を向ける。


「そうだな、光神アマラは慈悲深い女神様だと聞く……そういうことだ」


 ケインが更に顔を歪める。それを見たアポロがニヤリと笑って続けて口を開く。


「こういう時、お前の父親ハンクならどうしただろうな」


「……僕は……分かりません」


 ケインが肩を落とす。それを見届けたアポロが、まだ額を擦り付けたままの男達に、厳しい顔を向ける。


「そういうことだ。取り敢えずは、ここに住むことを許す。だが、完全に許された訳ではない。まずは」


 そこで言葉を切ったアポロが、ケインを見てまたニヤリと笑う。


「この少年ケインにかしずき、認められてからの話だな」


 それを聞いた三人男達は、今度はケインに向かって懇願するかの如く土下座をする。

 それを見たケインが、何ともいえない表情を浮かべて困惑した。

 その様子をにこやかに眺めていたアンナが、様子を改めアポロを見詰める。


「そういえば、今まで聞きそびれてたけど、この五年、いえあの邪神が討伐されてからもう六年近くになるわね。その間、あなたはどこにいたのよ」


 その問い掛けにアポロが少し遠い目をすると、また髪を指先でもてあそびながら答える。


「それが俺にも良く分からん。あの後気が付くと、何処とも知れぬ荒野に立っていた。運よく通りかかった旅の人に聞くと、あの戦いから数年経っているのを教えてもらった。そこで俺はハンクとの約束を果たすため、アマル村を目指した」


「本当に何も覚えてないの」


「……いや、微かにだが、何かとてつもない大きな……大いなる存在と出会った気もするが、あれがもしかすると光神アマラだったのかもな……もっとも、夢だったような気もするが。どっちにしろ良く覚えていない」


 その言葉に反応したのは、三人の山賊だった男達だった。


「おー、アマラ様にお会いしたのですか」

「やはりあなたは本物の勇者です」

「今一度我らを、世界を救い、お導きください」


 三人の言葉に、アポロが苦笑を浮かべる。


「お前達は帝国から流れてきたという話だが、そんなに帝国はひどいのか」


「はい、帝国内では国民に等級を付け、一部の人間のみが裕福に暮らしています」

「私達は三等階級の農夫です。私達は拒否する権利もなく戦争に行かされるところでした。だから逃げ出したのです」

「帝国は占領した国の民を戦奴として駆り集め、戦いの最前線に立たせています。帝国の行いはアマラ様の教えに背いた行いです」


 三人の男達が必死の形相で次々に言い立てる。


「……しかし神殿は、光神教の大司教、聖イグリアス殿がおられたはず。何も言わないのか」


 アポロが顔をしかめて答える。


「聖イグリアス大司教様は、三年前に引退されました」

「後を継がれたモーフィス様は、そのう……多額の献金で帝国に許しを与えたと、もっぱらの噂です」

「もはや、帝国の野望を阻止して世界に安寧をもたらすのは、光神アマラ様の使徒たる光の勇者様しかありえません。何卒、世界を今一度……」


 アポロがまた天を仰ぎ、「ふう」と息を吐き出す。


 そんなアポロに、アンナやケインが期待のこもった眼差しをして声を掛ける。


「さっき血腥ちなまぐさいのはもう嫌と言ったけど、そういう話なら別よ。あの邪神討伐の戦いの時、私はあなたが率いる光の軍勢に参加するつもりだった。でも、父に泣いて止められた。だから、今度は……」


「アポロさん、父さんは世界を救うために死んだはず。それが今は、世界がこの有り様。父さんの名誉のためにもお願いだ。もう一度……」


 アポロが天を仰いでいた視線を皆に向ける。


「今度は邪神や邪神を崇める魔族が相手ではない。相手は同じ人、人間だ。辛い戦いになるぞ。それでもか」


 アポロを囲む皆が、表情を引き締め無言で頷く。それを見渡したアポロが突然、すらりと腰の剣を引き抜くと天に向かってかざした。


「ならばここに誓おう。世界に平穏と安寧をもたらすことを。光神アマラの御名に於いてここに誓う」


 アポロの掲げた剣が、陽光によってきらきらと輝く。そしてアポロを囲む皆の顔も、それに負けず劣らず輝いていた。

 それは、子供を含めて総勢二十四名のささやかな旗揚げだった。だが、その風景はまるで、神殿などに飾られる、神話時代を模した一幅の絵画のようであった。


 山々を吹き抜ける爽やかな風が、彼らを祝福するかのように砦内を走り抜け、小屋の屋根上にある風見鶏を、くるくるといつまでも回し続けていた。



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