3.帰りし勇者は醜き世界で何を成す。 (中編)
水流が滝壺に落ちる飛瀑の音が、夜の静寂を切り裂き辺りに響き渡る。そんな上流の滝近くにその砦はあった。かがり火の明かりによって、山腹の闇の中に仄かに浮かび上がる砦は、とても山賊の巣窟には見えない。山賊の事を知らずに山に入った者は、どこかの村と間違えそうな砦だった。
その村とも見える砦は、平地に立つ樹木を切り開いた場所に、丸太で組んだ簡素な小屋が数棟建ち並び、その周囲を人の背丈ほどの杭が、塀がわりに取り囲んでいる。砦というと物々しい感じだが、実際は村落に毛が生えたようなものであった。
中央にある少し大きめの小屋の横に建つ物見櫓が、唯一砦らしいといえば砦らしかった。
そんな山賊達の砦に、アポロとケインが近くの岩陰に身を潜め、鋭い視線をおくっていた。
「あれがあいつら、山賊達の砦です」
少年ケインが体を震わせ、歯をカチカチ鳴らして囁く。そんなケインを、アポロの胸元から顔を出した鳴きネズミが、首を傾げて眺めている。
アポロはケインの案内のもと、山賊の砦を目指し、川の上流へと沢伝いに登って来ていた。しかし、夜目の効くアポロがいるとはいえ、やはり夜の山歩きには時間を取られ、すでに時刻は明け方近くになっていた。
冬にはまだほど遠い季節だが、山の夜は、特に明け方近くは凍てつくように寒い。アポロから予備のコートを借りてその身に纏っているが、ケインの少し汗ばんだ体に、寒気は容赦なく襲い掛かっているようだった。
「……寒いか。こいつをもってろ」
アポロが懐から、親指大の小さな石を数個取り出す。
「これは?」
「以前、ドワーフの友達に貰ったものだが、こいつは火晶石といって、火の精霊が宿ると言われている。持ってると体が暖まるぞ。それに、投げ付けると火炎を発する。いざというときはこいつを使え」
アポロはそう言うと、何かを思い出すように少し遠い目をする。そしてケインはその火晶石を受け取ると、興味深そうに眺めていた。
「さてと、どうするかな。囚われているのは、妹以外にはどれほどいるんだ」
「えっ、はい。女の人が二十人ほど……」
ケインは火晶石が珍しいのか、手のひらの上ある火晶石を見詰めたまま答えてしまう。
「きちんと、確かな人数を示せ!」
アポロが眉を寄せ厳しい口調で問い返すと、ケインが慌てて火晶石を仕舞って答える。
「えーと……大人の女の人が十五人、女の子が妹を含めて四人です。男の人はいません」
ケインの返事にアポロが少し頬を緩める。しかしまた厳しい表情に戻しすと、右手で髪の毛を弄りながら砦を眺める。
「どこから侵入するかだが……」
「あっ、それなら僕らが抜け出した穴があります。こっちです」
ケインが直ぐにも駆け出そうとするのを、アポロがその腕を掴まえ押し止める。
「もう少し待て」
「でも妹が……」
「慌てるな。月がさっきから雲に隠れている。それに空気が、かなり湿ってきたようだ。もうじき雨が降る。それからの方が良いだろう」
「……わ、分かりました」
少し気落ちした様子を見せたケインだったが、歯をカチカチ鳴らして、体を小刻みに震わせている。それは寒さからだけでなく、逸る心を抑えられないようであった。
そんなケインを微笑みを浮かべて、アポロが眺めている。
「心を奮い立たせると、その者の力を数倍にも引き出すが、しかし行き過ぎた興奮は判断を誤らせて、真っ先に命を落とす事になるぞ」
ケインがアポロに顔を向け頷くが、その顔は強張りひきつっていた。
「ふっ、少し深呼吸をしてみろ。鼻から肺の奥まで空気を吸い込み、口からゆっくりと吐き出せ」
ケインが言われた通り深呼吸を繰り返していると、アポロがそのケインの下腹のへそ下あたりを押さえる。
「ここだ。深呼吸をするとき、この丹田を意識して力を溜めろ」
「えっ、はい」
恥ずかしそうにしながらも、ケインは教えられた通り、下腹部に手を当て呼吸を繰り返す。
「今からは、普段の時も常に丹田を意識して呼吸するといいだろう」
ケインがもの問いたげな表情をアポロに向け、何か言おうとした時、空からポツリポツリと雨粒が落ちてくる。
二人が上空を見上げると、それは直ぐにも大粒の雨となり、大量に降り注ぎ始めた。アポロの胸元から顔を覗かせていた鳴きネズミが、それに驚いて「ピー」と鳴くと、顔を引っ込めた。
「よし、これなら直ぐには気付かれないだろう。行くぞ!」
「あっ、はい」
二人は物陰伝いに砦へと近付いていく。ケインが案内したのは砦の入口とは反対側にある、塀がわりに地面に打ち込まれた杭の一ヶ所。
そこにしゃがみ込むと、ゴソゴソと何かをやりだす。
「ほらっ、ここが腐ってるんだよ」
ケインが指差す場所に、ちょうど人が這って通れるほどの穴が空いていた。
「待て!」
ケインを下がらせ、アポロが穴の向こうやその周囲の気配を探る。
「ふむ、まだこの穴は気付かれていなかったようだな」
二人がアポロを先頭に穴を潜ると、目の前には何かの小屋の壁が目に入る。
「ここは、食糧庫だよ。今の時間だと誰もいないと思うよ」
ケインの言葉に頷きながらも、アポロがその小屋の中を窺うと、確かに人の気配はなかった。
「いつもは囚われている者はどこに」
「あの小屋だよ。多分、妹もあそこに」
ケインが指差したのは、中央にある大きな建物の横にある窓のない小さな小屋。しかもその小屋は、物見櫓の真下に位置していた。
「……厄介だな。やはり先に、あの櫓の人間を黙らせないと駄目か」
アポロとケインが降り頻る雨の中、物陰沿いに駆け出す。どしゃ降りの雨が上手い具合に二人を隠し、難なく近くの小屋の物陰までやってくる事ができた。
その物陰からそっと窺うと、物見櫓の上にひとり、下にひとりいる。そして大きな建物の入口に、二人の男がいる。
それを確めたアポロが、コートの内側から小型のクロスボウを取り出す。そのクロスボウは板ばねと弦を二つ重ねたような形状をしており、二回続けて発射できるようになっていた。
クロスボウの先端に足を掛け、二本のボルトを装填したちょうどその時、入口横にいた男のひとりが建物の壁に向かって立ち小便をする。そしてそれに文句でも言っているのか、櫓の男が体を乗り出し何か叫んでいた。
その隙を逃さず、アポロがボルトを発射して駆け出した。
ボルトが櫓の上で叫んでいた男の口の中に吸い込まれ、その先端が後頭部から飛び出ると男は崩れるように落下する。
アポロはそれを確認する間もなく、駆けながら続けてボルトを発射する。
二本目のボルトも、建物横で壁に凭れ掛かっていた男の額に正確に突き刺さると、その壁に縫い付ける。男は大きく目を開けたが、直ぐにその瞳から光が失った。
アポロはクロスボウを投げ捨て、櫓下の男に滑るように近付く。
横を走り抜けながら、抜く手も見せず剣を振るう。
「なっ!」
雨音に、アポロが迫るのに気付くのが遅れた男は、一声発して大きく口を開けたまま、その首が転がり落ちた。
「んっ、どうした。小便ぐらいゆっくりと……あばばば」
最後のひとり、壁に向かって立ち小便していた男が振り向く。その顔の中央に、走り寄ったアポロの剣が突き刺さる。
その剣をずるりと引き抜くと、男は糸が切れた人形のようにくたくたと崩れ落ちた。
それは瞬く間、数瞬の出来事だった。ケインが言葉もなく、ごくりと生唾を飲み込む。
「戦いに躊躇は禁物だ。殺るとなったら一気にだ。分かるな」
アポロがケインのそばに戻って来ると、諭すように言う。それにケインが、コクコクと何度も頷いていた。
今の騒ぎに気付いた者がいないのを確認したアポロが、その捕らわれている者が押し込められてる小屋を、そっと入口から中を窺う。
中では天井から吊るされたランプの明かりの下、十人ほどの男が下半身を剥き出しに、荒い声を出して女達に覆い被さっていた。
「ちっ……ケイン、お前はここにいろ」
アポロが舌打ちと共に顔をしかめる。
「ぼ、僕はもう大人だ。中で何が行われているか、分かってるつもりだよ」
「……そうか、ならこれを使え」
アポロがさっき拾ってきたクロスボウにボルトを装填して渡す。
「いいか、しっかり狙って射てよ。絶対に焦って引き金を引くなよ。分かったな」
ケインが今度は力強く頷く。その瞳には、しっかりとした意思の強さを湛えて。
「ふむ、よかろう。行くぞ」
中に踏み込んだアポロが、手近にいた男の首の後ろにずぶりと剣を突き刺す。
「ぐはぁっ」
その男はくぐもった呻き声と共に、血飛沫を辺りに撒き散らして事切れる。
アポロは容赦なく次々と、男達の息の根を止めていく。
半数ほどの男が息絶えた時に、男達もようやく気付くが、もはやどうしようもない。
「な、なんだてめえは…………あぎぃぃぃぃ」
男が慌てて女から離れようとする。だが、容赦のない剣が振るわれ、その首が転がり落ちる。
次々と殺られ、最後の男がやっと手元にあった剣を引き寄せ、組み敷いていた女を盾にしようとしたが、トンという音と共にその額からボルトを生やす。
ケインが真っ青な顔で、クロスボウの引き金を引いていた。
「しっ、騒ぐなよ。俺達は救出にきたものだ」
突然の事で、呆然と言葉を無くしていた女達にアポロが声を掛ける。
「ひぃっ!」
女達が悲鳴を上げようとしたが、その時、その女達の中からひとりの若い女性が進みでる。
「皆、騒がないで、静かにやつらに気付かれるわよ」
その女性は気丈にも、毛布を纏っただけの姿で女達を宥め、ケインに顔を向ける。
「ケイン無事だったのね。あいつらが死んだと言っていたから……」
「アンナ姉ちゃん、ごめん……」
その女性が顔を歪めてケインを抱き締めた。
「悪いが話は後だ。それでケイン、お前の妹は?」
アポロが外を窺い、警戒しながら二人に声を掛ける。
「あっ、そうだよマリーは、マリーはどこに」
「マリーちゃんは……今は館の方に。他の子達も……商人が品定めするからて言って連れて行ったわ」
アンナと呼ばれた女性が、顔をしかめて目を伏せる。アポロ達が周りを確かめると、十人ほどの女しかいない。どうやら、子供達と何人かの女性は隣の小屋に連れて行かれたようだった。
「くそっ、あいつら」
ケインが飛び出そうとするのを、アポロが捕まえる。
「興奮や焦りは禁物だと言っただろ」
アポロがケインを諭していると、アンナと呼ばれた女性がジロジロと眺めている。
「私はアマル村の村長の娘、アンナ・バーガー。あなたは誰? 私達を救出にきた国軍の人なのかしら」
「いや、俺はアポロ。ただの旅人だ」
名前を聞いてアンナが眉を潜める。
その時、アポロの胸元から鳴きネズミが「ピー?」と、鳴きながら顔を出し首を傾げる。しかし周りを眺めてびっくりしたのか、直ぐに引っ込んだ。
それを見たアンナが驚き、少し表情を緩めた。
「今のは鳴きネズミ……悪い人ではなさそうね」
「詳しい話は後だ。今は時間がない。あの大きな小屋には、どれぐらいの人数がいる」
「今日は商人がやってきたから、夕方から宴会だったのよ。だから大半の人があそこに百人近くの人が……あなたひとりで行くつもり」
「当然だ。ケインに妹を助けると、約束したからな」
「それなら私も行くわ。もうこんな生活は嫌! あいつらに弄ばれるぐらいなら、いっその事、あいつらと刺し違えるわよ!」
アンナが近くに転がっていた剣を拾うと、険しい顔をアポロに向ける。
「……まぁいいだろ。だが、何か身に纏って欲しいものだな。目のやり場に困る」
「えっ」
アンナは叫ぶように言った時、その巻いていた毛布を撥ね飛ばして素っ裸になっていたのだ。途端に真っ赤になったアンナが、身をくねらせた。