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2.帰りし勇者は醜き世界で何を成す。 (前編)


 辺りが暗闇に包まれる夜半、二人の子供、男の子と女の子が手探りで前に進んでいた。

 ひとりは十歳前後の少年。茶色い髪に甘い顔立ちの少年は、将来女の子にさぞ持てそうだと予感させる。しかし、その瞳には意思の強さを示す光があった。ややすれば、それがまだ年若い少年にとっては、利かん気の強さとなって現れるように思える。

 そしてもうひとりの少女は、少年より更に幼く、まだ物心がついてからさほどの歳月をていないように見えた。その少女は、少年と同じく茶色の髪をしており、腰まで長く伸ばしている。他人が見れば、思わず護ってやりたくなるような可愛らしいその少女は、少年と似た顔立ちで、二人が兄妹だと容易に想像させた。

 そんな二人の兄妹が進むのは、山深く分け入った場所。樹木が数多く生い茂り、明かりの差さぬ夜の闇の中を進むのは容易な事ではなかった。

 ましてや二人はまだ子供、ほぼ不可能といって良いだろう。

 案の定、少女が泣き言を言い出し、少年がそれを励ましていた。


「お兄ちゃん、もう歩けないよ」


「あともう少し、あと少しだから頑張れ。あいつらから……」


 ちょうどそんな時、雲の切れ目から月が顔をだす。辺りが、月明かりでほのかに明るくなった。少年は少しほっとした様子を見せたが、前方に大勢の人影を認めて、ぎょっと顔をひきつらせて立ちすくむ。


「おいおい、俺達に黙って砦から脱け出すとは、いけない子供達だな。少しお仕置きが必要かも知れないな。ヒャハハハ」


 その人影から甲高い声が響き、同時に大勢の男達の笑い声も辺りに響き渡る。


「くそっ、どうして……」


 少年が後ろを振り返ると、後ろからも多数の人影が迫ってくるのが見えた。焦りの色を見せる少年は、左右に目を走らせる。左には人影が見えるが、右には見えない。それを確認すると、震えて少年にしがみつく少女を抱えるようにして、右へと駆け出した。


「そっちに逃げても無駄だぞ!」

「逃走ルートも考えずに逃げ出すとは、やはりガキだな」


 焦る少年には男達の声も届かず、遮二無二前へと進んでいた。

 しかし男達が言うように、そっちには逃げ道はなかった。少年が進んだ先には、山間にできた谷底を望む崖先へと続いていたのだ。

 崖の先端部から谷底を眺めた少年の顔に、絶望の表情が浮かぶ。

 それは、谷底には川が流れていたが、落ちると到底無事ではすまない高さだと思われたからだった。

 そんな少年達に背後から、また男達の声が掛かった。


「ヒャハハハ、まさか逃げ切れるとでも。この辺りは俺達の庭みたいなもんだ。逃げれる訳ないだろ。お前、馬鹿じゃないのか」


 少年は少女を後ろへと庇い、男達に向き合う。


「うるさい! お前らの言いなりになるつもりはない。お前達が……母さんを……」


 男達と対峙する少年の瞳からは、ひとしずくの涙がこぼれ落ちる。それは恐怖からくる涙でなく、自分の不甲斐なさを思い、悔しさのあまりこぼれ落ちた涙だった。


「おいおい、こいつ泣いてるぜ。そんなに俺達が怖いのか。やはり、まだまだお子ちゃまだな。お漏らしは大丈夫でちゅか。ヒャハハハ」


 子供達を囲むように近付く男達が、どっと沸いた。


「父さんさえ生きてたら、お前達なんかに……」


「あれっ、お前の父ちゃんって有名な騎士てか、でも残念、ここにはいない。それにしてもあれだな、お前の父ちゃんもお前に似て馬鹿な男だな。勇者の弾除けにされて死んじまうとはな。ヒャハハハ」


「くそっ、父さんを馬鹿にするな! 父さんは、父さんは……皆を救うために……お前達に何が分かる!」


 興奮した少年が、近付く男にむしゃぶり付く。だが、男にあっさり蹴り倒された。


「ガキが、調子にのんなよ! 俺達が宴会してる最中に抜け出しやがって。お陰でこっちは、夜中に山の中を這いずり回ることになっただろうが」


 激昂した男が、更に数発少年を蹴り続ける。


「ほんと弱いやつをいたぶるのは気持ちいいぜ。ヒャハハハ」


 男が笑い声をあげ蹴り続ける中、地に転がる少年は、手近にあった棒切れを拾うと、蹴ろうとする男の足を思いっきり叩いた。


「痛っ、このガキなめた真似しやがって!」


 男が痛みに声をあげ、周りの男達がどっと笑う。それを気にした男が、更に激昂して少年を力一杯蹴りつける。

 しかもそのはずみで、少年が崖から飛び出した。そして谷底に向かって、真っ逆さまに落ちていく。


「お兄ちゃーん!」


「マリー!」


 兄妹の呼び会う声が、痛ましくも谷に響き渡る。


小頭こがしら、どうします。かしらに叱られますぜ」


「ちっ、仕方ねえだろ。落ちてしまったのは……この高さだ。助からねえだろう。おい、お前ら口裏を合わせろよ。あのガキは勝手に落ちたんだからな」


 男達は泣き叫ぶ少女を担ぎ上げ、その場から引き上げて行く。そしてその少女の泣き声が、夜の山々に空しく響いていた。


   ◆


 雲が月を隠し、山々を真の闇が包みこむ。静まり返った暗闇の中、サラサラと水の流れる音だけが聞こえてくる。そんな河川敷近くの拓けた場所で、男が夜営をしていた。


 男の名はアポロニア・クロムウェル。人はかつて、彼のことを光の勇者アポロと呼んでいた。だが、邪神が討伐された今は光の加護を無くし、ただの男アポロとなっていた。彼の頭髪はそれを示すかのように、以前は白銀に輝く綺麗な髪だったが、今はくすんだ灰色に変わっている。

 それを気にするのか、アポロはいつも髪をいじるのが癖になっていた。

 今も髪の毛を指先でもてあそびながら、焚き火の向こうに目を向けている。そこにはまだ幼い少年が横たわり、その胸をゆっくりと上下させていた。


 アポロは一週間前に、アマル村で出会った老婆に教えてもらった、山賊達の拠点を探し求めて北の山地にと、数日前から分け入っていた。今は亡き友のためにも、幾日掛かろうが、必ず山賊達の拠点を見つけるつもりでいたのだ。


 この日は河川近くで夜営をしていたのだが、夜中に目を覚ました。それは夢の中に、かつて共に戦った仲間達が現れ、彼に微笑みかけてきたからだ。彼を非難する訳でもなく、ただ笑いかけてくる仲間達に、なんともやるせない気持ちとなり目を覚ました。そして、顔でも洗おうと河川敷に出たのだが、そこで上流から流されてくる少年を発見したのだ。

 それはもしかすると、アポロの亡き友、ハンクの導きだったのかもしれない。


 アポロは川から少年を拾い上げたが、その少年はすでに虫の息だった。

 アポロにはかつての光の加護の残滓ざんしなのか、僅かな力だが、癒しの手を使うことができる。その力を使って少年の治療を行った。

 最初は弱々しかった呼吸も、かなりの時間をかけた治療でようやく落ちついたのだ。その際、今日できた傷ではなく、数日前にできた傷や痣が多数あり、少年が過酷な状況にあったのが窺えアポロは眉をひそめた。

 焚き火の向こうでは毛布にくるまれた少年が、規則正しく呼吸を繰り返している。それを眺めたアポロが、ほっと一息つく。そのアポロの膝の上では、鳴きネズミが首を傾げていた。


 暫くは、夜の静寂が辺りを支配する。聞こえるのは、たまに弾ける焚き火の音だけ。そんな静かな時間がゆったりと流れる中、アポロの膝の上にいた鳴きネズミが、昼間の間に採集していた木の実を食べている。その鳴きネズミが、木の実がもう無くなったのか、もっとくれとばかりに「ピーピー」鳴き始めた。

 その鳴き声に、少年が身動みじろぎして目を覚ました。


「んっ、ここは……」


「おっ、目を覚ましたか」


 アポロが焚き火越しに、目を細めて少年を見る。


「それは鳴きネズミ……あなたは、っ」


 起き上がろうとした少年が、痛みで顔を歪める。それを見た鳴きネズミがアポロのコートの中に逃げ込み、顔だけ出すと少年をそっと窺う。


「まだ完全に傷は塞がっていない。無理はせず大人しく寝てろ」


 少年はアポロの言葉で、自分の体のあちらこちらに布が貼られた治療のあとに気付いた。


「これはあなたが……」


「なぁに、大した事はしてないさ」


 アポロが照れたように笑うと、焚き火に薪をくべる。すると、焚き火は「パチパチ」音を鳴らして少し弾けた。


「あ、ありがとうございます。あなたはどなたなのですか」


「俺か、俺はアポロニア。皆にはアポロと呼ばれている」


 名前を聞くと、少年が少し怪訝な表情を浮かべる。


「それで少年、お前の名前は。それに、こんな夜中に川泳ぎもないだろ。何があったんだ」


「僕はケイン・ランバート……あっ、妹は。妹のマリーはどこに」


 少年が何かを思い出したかのように、慌てて周りを見渡す。

 アポロは少年の名前を聞くと、薪をくべようとしていた動きを一瞬止めるが、また動きだす。


「見つけたのはお前ひとりだが、いったい何があったんだ。ちゃんと話してみろ」


 ケインと名乗る少年は、消沈したように呆けていたが、暫くして話し出した。


「僕達の住んでた村は一月とちょっと前に、盗賊の襲撃にあったんだ。僕と妹のマリーは、その盗賊達が此処に連れて来た。僕達は盗賊達の砦で使いっぱしりをさせられていたけど、今日の夕方、人買いの商人が砦にやってきて……このままだと妹のマリーが売られてしまうと思った僕は、商人と盗賊達が宴会を始めた隙に、マリーを連れて砦から逃げ出した。でも途中で……あいつらに母さんは殺され……妹まで……僕は、僕は……」


 ケインは途中からせきを切ったように涙をボロボロと溢し、抑えていたもの吐き出すかのように嗚咽混じりに話していたが、最後は絶句していた。


「そうか……」


 アポロは痛ましいものを見るような視線をおくっていたが、厳しい表情に変えてケインに話し掛ける。


「それでお前はどうする。このまま、尻尾をまいて逃げるなら山の麓まで送るが」


 その言葉にケインが眉を吊り上げ、キッと鋭い視線を投げ掛ける。


「僕は逃げない。妹をあいつらから取り返す。お願いだ、その剣を僕に貸してくれ!」


 ケインがアポロの側に置かれた剣を指差し叫んだ。


「ふっ、この剣は大事な剣だから貸す訳にはいかないが……それなら、俺の腕を貸してやろう」


 アポロがにっこりと微笑みを浮かべる。


「えっ」


 ケインが驚きの表情を浮かべる。


「それで、盗賊共の拠点はどこにあるんだ」


「こ、この川の上流に……えっ、しかし……」


「そうか、それなら今からでも辿れるかな。俺は夜目も効くが、お前はどうだ動けるか。それともここで待っているか」


 驚いて呆然としているケインをよそに、アポロがてきぱきと身仕度を整えていく。


「今から……」


「妹が明日にもその商人に、売られてしまうかもしれないのだろう。なら、今から動かないとな」


「ぼ、僕も連れて行って下さい。お願いします。これぐらいの痛み、今、妹が不安に思ってる気持ちに比べたら、どうってことない。だから僕も」


 ケインが顔をしかめ、痛みをこらえて立ち上がる。それを見たアポロが、更に表情をゆるめた。


「よし良いだろう。一緒にお前の妹、そのお姫様を救出しに行くか」


 アポロが満面の笑みを浮かべてそう言った。



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