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雑草姫の微笑  作者:
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薄闇に潜む牙 1

「申し訳ありません…本日、“花皇宮(サライ)”への入宮は禁止されております」


 ウィンザー通りから街路をずっと辿った先に佇む、“花皇宮(サライ)”への秀麗な門。その前に佇む黒銀の甲冑を身に纏った《百合の騎士団(ナイツ・オブ・リリー)》の騎士は、ルーナリーアの姿を認めるなり、至極済まなさそうに眉を落とした。瞳をしばたたかせると、最早顔見知りになった騎士の男性が、余計に申し訳なさそうな顔で小さく頭を下げた。


「…何かあったのですか?」


 今日は週に一度、焼き菓子を《薔薇の騎士団(ナイツ・オブ・ローズ)》の詰所へ届けに行く日だ。それは、毎週顔を合わせるこの男性も存じているし、身分証の提示と自分の《花》を見せる事で、“花皇宮(サライ)”の中へ入る事が出来ていた今までを考えると、そうルーナリーアが感じたのは当然だろう。

 腕に抱えた藤籠がずり落ちないようにしっかりと両手で抱え直すと、ルーナリーアは軽く首を傾げた。


「それが…どうやら、魔物が帝都内に複数侵入しているようなのです」

「えっ、魔物…ですか…?」


 雑草(セリエ)であるルーナリーアの質問にも生真面目に答えた騎士の男性は、驚きに目を瞠る銀髪の少女へ頷いて見せた。


 魔物というのは、人間と異なるもの。動物達とは又違った存在の総称だ。

 街の近くに現れる魔物は小型のものや、こちらから攻撃しない限り無害の魔物が殆どで危険性は余り無いのだが、稀に人間を見るや襲いかかってくる肉食の魔物や、普段は山の奥に住む魔物がふらりと街道や街の近くまで降りてくる事がある。そういった際に対処するのは、帝都であれば騎士団だし、街であれば腕に自信のある若者達が集う討伐団が請け負っている。

 そもそも、帝都ルシュタンブルの周囲には都市を取り囲むように壁が聳え立っていて、安全性でいえば他の都市と比べて比類なきものだが――ただ一箇所だけ、城壁の無い部分から魔物が迷い込むこともあるのだという。


「勿論、“花皇宮”内は我々がお護りしているとはいえ…万一があってはならぬと、魔物の件が落着するまで門の開閉を禁じられまして…」

「そうですね…もしも、があっては大変ですから」


 精悍な顔を引き締め、背筋を伸ばす騎士の男性にルーナリーアも賛同した。

 帝国の象徴にも等しい皇帝、そして皇族達の住む“花皇宮(サライ)”には、皇族以外にも政治を動かしている歴々の人達が居る筈だ。そんな人達に、万が一、億が一でも何かあったとしたらどうなるかくらい、一市民にしか過ぎぬルーナリーアでも予想に難くない。

 別段自分が悪い訳ではないだろうに、しきりと謝罪を繰り返す《百合の騎士団(ナイツ・オブ・リリー)》に所属する騎士の男性へ小さく笑みを浮かべ、少女は首を振った。


 しかしながら、これでは焼き菓子を届けられそうにない。

 報酬については、菓子を届けた後に受け取っていたから、それだけは安堵して良い点ではある。だが、最近では報酬というよりも騎士団の彼等と話したい、という楽しみから騎士団の詰所へ訪れている為、残念ではあるが致し方無いだろう。

 そう思っていても、ルーナリーアの足はその場へ縫い付けられたように佇み続けていた。門番である騎士が、不思議そうな視線を落とした時には、逡巡するように視線を巡らせた少女が、躊躇いがちに藤籠を差し出していた。


「あの、宜しければこれを《薔薇の騎士団(ナイツ・オブ・ローズ)》の方へ届けていただけませんか?」

「了解であります! 交代時間は夕刻後ですので、すぐ届ける事は出来ませんが…」


 一市民であり、雑草(セリエ)が貴族である騎士に頼み事をするのには申し訳なさがあったが、当の本人はといえば全く気にした様子はない。ほっとして表情を緩めると、ルーナリーアは腕の中の藤籠を騎士の男性へと手渡した。結構な重さがある筈だが、少女と違い片手でも軽々と持ち上げてみせるところは、やはり男性でもあり日々鍛錬を怠らない結果だろう。

 深々と頭を下げるルーナリーアへもう一度しっかりと頷いてみせた騎士の男性は、しかしながら次の瞬間には、気遣わしそうな眼差しで少女を見下ろした。


「…街には、我々騎士団を始め、討伐団の者も巡回しておりますので大通り近辺は問題ないかとは思われますが…できれば、人の多い場所を選んでご帰宅ください。 お送りできれば良かったのですが…申し訳ありません」

「とんでもありません! 勿体無いお言葉です…大通りを通って帰りますので、何かあれば騎士の方々へ助けを求めますから」


 顔が真っ青になっているのを自覚しながらも、余計に心配させることがないように、ルーナリーアは必死に笑顔を作った。その実、胸中は帝都を徘徊しているらしき魔物と出逢わないように、どうすれば一番良いかをあたふたと考えている。

 笑顔が功を奏したのか、口元を綻ばせた騎士の男性は、どうやらルーナリーアの笑顔に上手く誤解してくれたらしい。頬の筋肉が引きつる前に深く頭を下げた少女はすぐに身を翻して大通りの街路を進み始めた。


 帝都内に魔物が侵入する場合、進入経路(ルート)は一箇所しか考えられない。

 それは、唯一堅牢な壁の無い場所――ルーナリーアの自宅から、すぐの場所に広がる“鎮めの森”からだ。自宅の中に入ってしまえば堅い材木と煉瓦で作られた家は強固なものだが、そこへ辿り着くまでに自ら危険な場所へ飛び込むようなものだからこそ、ルーナリーアの表情は晴れずに引きつっていた。







 どうやら、魔物が帝都内へ侵入している事は、巡回している騎士達から皆が続々と耳にしているようだ。“花皇宮(サライ)”へ赴く際は至って普通に人々が行き交う大通りであったが、今は皆一様に顔を強張らせ、足早に家々へと帰って行く姿が酷く目立っていた。

 そんな市民達とは対照的に、数人一組できびきびと動き回っているのは騎士の一団だ。どこを見渡しても、視界に必ず一組は魔物討伐の為に編成されたと思わしき一団がいるのだから、多少なりは安心だが…建物の影から急に魔物が飛び出してこないかと考えてしまった為に、ルーナリーアの足取りも自然と早足になってしまう。


 どうやら魔物が進入している事は街路を行き交う人々のみならず、通りに面した商店にも各々通知がいっているようだ。やや慌てた様子で早々に店じまいをしている商店も多い。閉店しないにしても、今まで開いていた扉をしっかりと閉め、室内へ籠もる店員の面差しはどこか不安気だ。


「……魔物、かあ…」


 一度だけ、見た事がある。

 あれは、両親と共に幌付きの馬車に乗って、近くの街まで移動していた時だったか。年齢も一桁の頃だから記憶は定かではないが、馬車が進む街道の外側で数人の人間が手に剣を構えて狼に似た魔物と戦っていた姿は鮮明に思い出せる。あれは今思えば、街道の安全を守る為に巡回していた討伐団だったのかもしれない。

 子牛ほどもある巨躯を俊敏に動かし、ぎらぎらと光る瞳が彼等をかみ殺さんばかりに睨み付けていた姿は幼心ながらに恐怖を搔き立てられたものだ。


 無害なタイプの魔物であれば、ここまで大事になったりはしないだろうから、きっとあの時のように自ら人を襲う魔物なのかもしれない。今更ながらに自衛する物を持っていない事に思い至ったルーナリーアは、途方にくれたように顔をしかめた。

 この調子では“黄金の林檎亭”も早々に閉店しているだろう。ルーナリーアが訪ねてゆけば匿うくらいはしてくれるだろうが、今居る場所とは隣の大通りに位置している“黄金の林檎亭”へ行くには、通りから一旦それて多少狭い街路を進む必要がある。大通りですら今は不安な場所だというのに、それよりも更に狭い街路を一時的にとはいえ進む勇気はルーナリーアにこれっぽちも残っていない。


 となれば、自宅に帰るしかないのだが――“鎮めの森”の傍にある自宅周辺には、魔物除けを幾つも設置してはいるが、だから安心だという保証など何処にも存在しないのだ。自然と零れた吐息が溜息になってしまうのは、些か致し方ないものだろう。


「――あら? 貴女は…」


 行き交う馬車の一つがルーナリーアの少し前で停止し、窓から顔を覗かせた女性は雑草(セリエ)の少女を見止めるなりまろやかな声をいぶかしそうに潜めた。

 いつの間にか足を止め、とつとつと考え込んでいたルーナリーアは、慌てて顔を上げる。


「豊穣祭で舞を捧げた方よね?」

「……はあ。 確かに私ですが…」


 見慣れぬ人物に向けて、ルーナリーアは、間の抜けた吐息を漏らした。

 馬車の窓からルーナリーアを見下ろす女性は、大層美しい人だった。淡い金の髪と銀色の瞳。柔らかい笑顔を湛えているにも関わらず、どこか憂愁にとらわれているかのような雰囲気は、触れただけでこの女性が砕け散ってしまいそうな程の危うさと繊細さを混合させている。ちらりと見える衣服は皺一つない上等なものだが、余り華美ではない装いであることからして、何処かへ出掛けていた帰りの貴族令嬢か、豪商の令嬢だろうか?


 同じ人間である事を思わず疑いたくなる程、優美に繊手を動かして両手を合わせ、花の綻ぶような笑みを浮かべるこの女性はどうやらルーナリーアの事を知っているようだが、当然ながらこれ程に美しく《花》の位も高そうな女性は、豊穣祭での五人以外に知り合いはいない。


 未だにこの女性が自分へ声を掛けた理由が分からず、目をしばたたかせるルーナリーアとは対照的に、御者へと何事か告げた後に女性は馬車の中から地面へと軽やかに降り立った。そのまま、頬を薔薇色に染めた女性は、絹糸の如き髪を空気に舞い上がらせながら傍まで駆け寄ると、そのままルーナリーアの両手をしっかりと握り締めた。

 何事か分からず、ぎょっとするルーナリーアをよそに、初めて出会ったばかりの女性は満腔の笑みを隠す事なく浮かべている。


「急に魔物が出たから屋敷へ戻るようにと言われて最悪な気分でしたけど、貴女に会えるなんて! 今日は何て素敵な日でしょう!」

「あ、あの…一体…?」

「ああ、ごめんなさい! いきなりこんな事言われても驚くわね! 私、貴女の舞を見てファンになったの」


 戸惑っている様子のルーナリーアを見て、女性は微かに目を瞠ると、少しだけ照れたような微笑を浮かべた。この女性は、そういうちょっとした仕草ですらため息が零れるほどに洗練されていて美しい。


「まるで伝説にある“舞手の乙女”が再来したようだったわ…是非一度、お話してみたいと思っていたからとっても嬉しい!」

「…………」


 褒められて嬉しくない筈はない。それが、高貴な《花》からの賞賛ならば尚更に。

 だが、白磁のような美しい女性が浮かべる微笑にルーナリーアが戸惑ってしまうのは些か致し方ないのかもしれない。雑草(セリエ)として生きてきた少女が、賞賛を浴びる事など皆無に等しかったのだから。

 しかし、美貌の女性はルーナリーアの戸惑いを気にする様子はなかった。荒れて、かさついた少女の両手を存外に強い力で捕らえた女性は、天使のように優しい顔で唄うように声を紡いだ。


「色々と聞きたいことがあるけど…今日は、ちょっと危ないものね。 残念だけど、今日はこのまま貴女のご自宅まで送らせるから、また今度ゆっくり会ってくれないかしら?」

「私で宜しければ、いつでもお話させて頂きますが…送って頂くのは…」

「いいえ、何と言っても送らせるわ。 だって、今は魔物がうろついているのよ?貴女を送らなかったことで、万一何かあったら……私の矜持に関わるもの」


 華奢な印象からは想像できなかったが、どうやらこの女性は一度決めたことは曲げない性格らしい。嬉しさと申し訳なさに顔を曇らせるルーナリーアをよそに、有無を言わせぬ口調ではっきりと宣言すると、女性は馬車へと掴んだ手を引っ張り始めた。


「…あの、では、申し訳ありませんが、よろしくおねがいします」

「ええ! 勿論よ! さあ、乗ってちょうだい!」


 馬車の傍では、御者が御者台から居りて扉を開き、待機していた。

 深々と頭を下げる御者へ、恐縮しきりと身を縮めたルーナリーアが恐る恐る乗り込むと、すぐに女性も馬車内へと乗り込んだ。幾度か乗った経験のある馬車と違い、居心地の良さを追求した内装は、椅子からクッション、室内の装飾に至るまで贅が凝らされており、移動手段である事を思わず忘れてしまいそうになる装いだ。

 当然、このように豪華な馬車へ乗った経験など生まれて初めてであるルーナリーアは視線をあちこちへとさまよわせていたが、微かに空気を震わせて笑う女性の姿に気が付くと、かあっと熱くなる頬を隠すべく顔を伏せた。


雑草(セリエ)の区画へ行けば良いのよね?」

「はい、お手数をお掛けしますが…」

「いいのよ、……出して頂戴」


 確認に対しての同意が得られると、女性は御者台へ繋がっているらしい小窓をコンコン、と二度叩く。恐らくはそれが合図だったらしい。普段の乗り合い馬車と比べて考えられない程の小さな振動が響くと、リズム良く街路を進む蹄の音が響き始めた。



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