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雑草姫の微笑  作者:
17/27

純白の縁 2

「こ、こんばんは、ケインス様。 あの、どうしてここに…?」


 つい数分前まで、“瑠璃(るり)の間”で沢山の女性達に囲まれていた筈の美丈夫が、すぐ近くで佇んでいた。硝子越しにテラスへと注ぐ光は弱いというのに、ルーナリーアを見下ろす瞳の色はとても鮮やかで、淡い闇の中でも鮮烈な印象を与える。


「…貴女が見えた。 それより、余り体調が良くないのか?やはり、あの時の…」


 強い眼差しであるにも関わらず、表情は至って無に近しい。

 それでも、深い青色の瞳の奥に気遣うような揺らぎが見えた気がして、ルーナリーアは勢い良く首を振った。


「いいえ!それが…その、ああいう場は初めてで、気後れしてしまいまして…」


 社交場というものに慣れている筈のケインスからしてみれば、きっと今のルーナリーアは酷く間抜けに見えているに違いない。かあっと頬が熱くなり、真っ赤になった顔をできる限り伏せると、臍の上あたりで緩く組んだ指先同士を落ち着き無く動かし、消え入るような声を返した。


「何だかとても場違いに思ってしまって、居心地が、良くなくて…」

「………」


 要は、逃げたのだ。

 これが他の者であれば、失笑するか困惑するか、或いは同情か――どちらにしても、余り良い反応は得られなかっただろう。しかし、“青騎士”の男性はいずれの反応でもなかった。ただ、精悍な顔が無表情に近しい面持ちの侭で頷いただけだ。


「私もだ」

「え? で、でも、慣れていらっしゃるのでは…」

「慣れている、とああいった場が好きというのはまた別のものだろう? 私は…剣を振り、馬に乗って駆けるほうが余程好きだ」


 切れ長の青い瞳は、微かな笑みを湛えたようだった。

 思いもかけない言葉に、ぱちぱちと若葉色の瞳を(またた)かせた少女は、この男性が剣を振り、地を駆ける姿が何故だか容易に想像できてしまい、思わず唇をほころばせた。

 沢山の勲章を胸に掲げ、皺一つ無い衣服に身を包む姿も立派ではあるが――やはり、青空の下で白銀の甲冑を身に付けている姿のほうが、とても似合っている気がした。


「それに…私よりも、テレーゼやエストのほうが余程話術がある。ああいった場が得意な者に任せておけば良かろう?」


 一目見て分かる程のものではないが、夜気に溶ける言葉には微かに笑みが含まれている。

 きっと、“青騎士”なりの冗談(ジョーク)に違いない。自分も、友人であるクドラに任せてこの場所に居る事を思い出し、ルーナリーアは笑顔で一つ頷きを返した。


 まるで別世界のように煌びやかな硝子(ガラス)の向こうでは、丁度弦楽士達の奏でる優美な音楽が“瑠璃の間”を満たしていた。誘われるようにして次々に手を取り、音楽に合わせ踊りを楽しむ人々の姿と比べ、ふっつりと互いが口を噤んだこのテラスはとても静かだ。

 だというのに、この沈黙が居心地悪く感じないのは、何故だろうか?失礼にならない程度で隣の男性を盗み見ると、手すりに片手を乗せて満月の空を見上げている“青騎士”がいた。


 精悍な横顔は鼻筋が高く、淡い月光に上方から照らされて、より一層彫りの深さを際立たせている。

 いつの間にか、その横顔をぼうっと眺めていたルーナリーアは、不意にその鮮やかな瞳が少女自身にひたりと向けられている事に気付くと、慌てて視線を逸らした。


「…ルーナリーア」

「……はい…」


 思い切り目が合ってしまった。今更逸らしても無駄である。

 不敬な行動であった事は十分承知していた為、うなだれるようにしてそろそろと視線を持ち上げた視界に映ったのは、普段と何等変わらない藍方石(アウイナイト)色の瞳だった。否、それには少々語弊があるかもしれない。

 剣を握る者特有の、剣だこの出来た大きな掌が差し出されていたのだから。


「夜会が苦手な者同士、少々……散歩に付き合ってはくれないだろうか」







 大陸でも随一を誇るユルドゥーズ帝国の帝都たる麗しの都(ルシュタンブル)

 皇族の居住スペースから政治が動く外廷、そして“瑠璃の間”のような社交場などが緑樹の間に幾つも並び立っているのだから、当然と言えば当然だが――帝都の五分の一程を占める“星皇宮(サライ)”の敷地はとにかく広大である。

 今でこそ週に一度、《薔薇の騎士団(ナイツ・オブ・ローズ)》の面々へ菓子を届けに訪れているが、その際に通過する場所よりも、さらにここは夜の闇に混ざって緑林の香りと噎せ返るような多種の花々が放つ芳香に満たされていた。


 緑林の合間を緩やかにうねりながら続く遊歩道の脇には、ところどころに洋灯(ランプ)が設置されており、合間から零れる淡い火の光源に足元が危うくなる事はない。にもかかわらず、枕木で作られた遊歩道を進む二つの影は手に手を重ね合わせ、ゆっくりと進んで行く。

 だが、よく見ればそのうちの一人、梢から零れる月光に銀の髪を輝かせている少女は、先程から自分の片手…正確には、自分の手をすっぽりと包み込む大きな掌に視線を注いでいた。乾いた大きな手は、ルーナリーアのものと違って骨ばっている。

 しっかりとした肌からじんわりと伝わる体温が自分のものと溶けてゆくような錯覚に陥り、心地良いと思う反面、爆発しそうに脈打つ心臓が苦しくて、少女は夜気にそっと息を逃がした。


 差し出された掌を掴んだまでは良かったが、その侭当然のように手を引かれて先導されてしまい、離す機会を失ってしまった。何処に行くかを告げられてはいないものの、今更手を離しても不自然だろうし――そもそも、嫌ではない。

 だが、頬を撫でる清涼な夜気と比例して男性の体温を自覚すればする程、酷く心臓が締め付けられるような心地に陥り、ルーナリーアはあたふたと一人悶絶した。


「どうした?」

「いっ、いいえっ、何でも…」


 背後の不穏な気配を察したのだろう。歩みを止める事はしないが、肩越しにいぶかしげな視線が投げかけられると、ルーナリーアは慌てて首を振り曖昧な笑みを浮かべた。

 昼間は汗ばむ程の陽気であったが、太陽が地平線に沈んでからの気温は驚く程涼しいものだ。緑林を揺らす爽風が何時の間にやら火照った頬に心地良くはあるのだが…片手の温度に意識が傾く度、僅かに熱を下げた頬は再び熱を持ち始めるのだから、さして意味はないかもしれない。

 前方を見ると必然的に繋いだ手も見えてしまうため、若葉色の瞳は所在なさげに遊歩道や洋灯(ランプ)を眺めながら進んでいたが、その為に“青騎士”の男性が足を止めていたことに気付けなかった。


「ひゃ、わぷ…!あっ!ご、ごめんなさい!」


 ぼふんと広い背中に飛び込む形で衝突した少女は、何とも情けない声を上げたが、直後に顔を青褪めさせて勢い良く距離を取った。そのまま、武人もかくやという勢いで腰を直角に曲げて謝罪するルーナリーアを他所に、対する男性はといえば大した衝撃ではなかったのか、普段と変わらない表情で短く頷くだけだ。離れた拍子に繋いでいた手が解かれており、あれほど心をかき乱されていた温もりが失せてしまったことに現金ながらも名残惜しさを感じ、それにまた軽くうろたえてしまう。


 遊歩道の先、終着点は緑林の合間に作られたこぢんまりとした広場だった。

 背の高い樹木が広場を包み込むように枝を伸ばしており、地面には青々とした芝生が広がっている。“花皇宮(サライ)”に勤める人々や、ルーナリーア達のようにひとときの安らぎを求めて訪れた者が休めるよう、広場の端には幾つかのベンチが並んでいる。ぽっかりと開けた空からは満月の淡い光が降り注いでおり、それは幻想的な光景だ。

 だが、ルーナリーアの視線を捕らえたのはそういった光景ではなく、夜の闇にぽつりと滲む純白の輝きだった。


「スノウ?」

「…スノウ」


 闇に滲む事のない、純白の羽を広げて空から下降してきたのは、ルーナリーアにも見覚えのある小鳥である。ちち、と軽やかな鳴き声を夜気に溶かし、思わずいつものように差し出した指先へ器用に着地する白い小鳥は間違いなく数ヶ月前にルーナリーアが世話をし、名付けた小鳥だった。

 にも関わらず、ルーナリーアだけが知っている筈の名を少女の声と、低い声が見事に重なり、若葉色の瞳は丸く見開かれた。だが、それは“青騎士”の男性も同じだったようだ。

 切れ長の瞳が珍しく見開かれており、普段よりいっそう鮮やかな青色が月光の影で煌いている。


「スノウを知っているのか?」

「…はい。 怪我をしていましたので、飛べるようになるまで世話を…それから懐いてくれるようになって……スノウと、名付けたのですが…」

「成程。 時折“花皇宮(サライ)”の森や、詰所の近くへ遊びに来ていてな。新雪のように美しい羽で、スノウと呼んでいた」


 こういった偶然があるものだろうか?

 張本人である小さな小鳥は、可愛らしい鳴き声をぴぴぴと響かせながら、少女の手と“青騎士”の肩を交互に移動するのが忙しいらしい。ぴっ、ぴっ、ぴっと普段は余り鳴かないこの小鳥が楽しそうに(さえず)っていることからして、ケインスの(げん)に間違いはないようだ。


「こんな…偶然が、あるのですね…」

「嬉しい誤算だな」


 半ば唖然として呟いた声に返されたのは、落ち着いた声色だった。

 上背の高い長躯の男性と戯れる小さな純白の小鳥。彼が身に纏っている正装の白さもあって、この世のものとは思えない、侵しがたい雰囲気をすら纏っているのに、深い青色の瞳は微笑を滲ませてルーナリーアを見詰めていた。


「今後は、貴女と、スノウとを楽しみに待てる」


 夜に溶ける低い声に混ざるのは、何処か楽しそうな音色だ。普段は無を湛えている事の多い精悍な顔立ちに、見間違いでなければ淡やかに咲く微笑の花――ふと、あちこちに植えられた幾種類もの花とは明らかに異なる香りが鼻腔を(くすぐ)り、少女は若葉色の瞳をしばたたかせた。


 以前にも嗅いだ事のある香り。

 それは、恐らくは目の前に佇む男性のもの。透明感があって仄かに甘く、ついつい意識してしまうその香りは“青騎士”の《花》である青薔薇(ブルーローズ)の香りだとルーナリーアは(ようや)く思い至った。と、同時に心臓が跳ね上がる。香りがする、なんて、まるで――。


「ルーナリーア」


 いつの間にか思案に暮れていたらしい。空気を揺らす声にはっと若葉色の瞳を持ち上げた少女の視界に映ったのは、肩に純白の小鳥を乗せ、誰の目にも明瞭な微笑を浮かべた“青騎士”の男性が掌を差し出している光景だ。


「そろそろ戻ろう。 ……おいで、ルーナリーア」


 自分の名前は、こんなにも呼ばれるだけで嬉しくて、心躍るような名前だっただろうか。

 どくどくと跳ねる胸の鼓動が、頬に集う熱の意味は、一体何だろう。この気持ちは、何だろう。


「……はい、…ケインスさま」


 そっと、広い掌に自分の手を重ねる。ルーナリーアの手をすっぽりと包み込む程に大きな手は、少しごつごつしていて、とても温かかった。

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